余話:犬と梟
ケーター視点です。ソフトですが拷問描写がありますので苦手な方はご注意ください。
「おはよぉ、生きてる?」
「物騒な挨拶をするな、さっさと上げろ」
天井から差し込む僅かな明かりとともに聞こえてくる、仕事仲間の呑気な声にため息を漏らしながら、俺はふてくされたように応える。
上の階に引き上げられて、明るいところで自分の肌を見てみると、たった一日で惨憺たるありさまだった。何に噛まれたのか、真っ赤に腫れあがっている部分や、大量のできものができている部分。さらに、縛られた手首は縄に擦れて血と漿液が滲んでいる。
「地階がこんな有様だと知ってみると、塔全体の衛生状況も疑わしいもんだな」
「君、この状況でよくそういう発想になるよねぇ。大丈夫、上のほうは掃除も行き届いてるよ」
「そりゃよかった。で、今日はどうする気だ? 歯でも抜くか?」
「変なこと言わないでくれる? 歯抜きはあくまで治療なんだからね。僕は医療従事者だ、健康な歯は抜きたくないよぉ」
梟と名のつけられたこの隠密は、あからさまに嫌そうな顔をした。それもそのはずで、本来彼は諜報と陽動が主であり、尋問を担当することはほとんどない。歯抜き師という表の職業故に、人体をよく知る者として抜擢されたのだろうが、余計な仕事に抜擢された側はたまったものではないだろう。また、軽業を得意とするため、俺が普段担当している荒事系も一部は彼に回されていると思われる。ある意味、今回の俺の行動の一番の被害者と言えるかもしれない。
「こっちにはこっちの事情があんだよ。とっとと今日の分の無駄な仕事をしやがれ」
「はぁ……さっさと色々説明して任務に戻って欲しいなぁ」
「説明したところで仕事に戻れるかも怪しいもんだ」
すでに俺の指は赤黒く変色し、爪は1本もない。爪は1年もすれば生えてくるだろうが、今までのような俊敏な動きができるようになるにはだいぶ時間がかかるだろう。
「まぁいいや。今日は僕も疲れてるから雑談でもつきあって」
「はぁ?」
「ほら、尋問ってさぁ、喋る奴は爪1本で喋るじゃん。昨日そんな状態になった時点で、君が喋んない人だってのは明白だからねぇ」
オイレは床に転がった俺を見下ろして遠い目をする。
「俺はありがたいが、仕事サボって報告はどうするんだ?」
「ヨハン様がいちいち君の状態を確認するわけないでしょ? そもそも喋るような人間だったら雇われてないだろうから、昨日のこれは尋問というより、ただの制裁だねぇ。ヨハン様が必要なのはあくまで情報だし、こっから先は特に痛いことしなくても、たぶん僕は怒られないよぉ」
やる気のなさそうなオイレの返答に、俺は少し納得した。情報を引き出して使い捨てにするのであれば、もっと残酷な方法はいくらでもある。当初、痛めつける対象が手足に集中していたのは、日ごとに場所を変えるためだと思っていたが、どうやら本当に任務への復帰を視野に入れているようだった。
「たいしたもんだな、あの方は」
おもわず独り言つと、オイレは空笑いをしてふいに話題を変えた。
「そうそう、ヘカテーちゃんに会ったよぉ」
「そうか。紙の件で相談でもされたのか?」
「いいや、彼女、お父さんのこと調べようとして街に行ったんだ。今日一日僕が護衛してた。で、見事襲われたよぉ」
「なっ……」
「あ、やっぱり気になるんだぁ。その反応だと、彼女が殺されちゃ困る側の人なんだねぇ?」
途端にオイレの眼がギラリと光り、俺ははっとした。
オイレの本職は諜報。妙に間延びした話し方に油断しがちだが、ただ肉体的な拷問に耐えるよりも梟との雑談の方がよっぽど危険だった。
「安心して、無事だよ。傷一つついてない。ヨハン様に報告する頃にはもう普通にしてた。あの子、強いねぇ」
「……」
「襲ってきたやつはカールって名乗ってたけど、偽名かなぁ。二十歳くらいで、茶髪に茶目の平凡な顔で、中肉中背の目立たない感じの奴。ちょっと鼻声だったなぁ。服や持ち物も一通り漁ったけど何の手掛かりもなかったんだ。あんまり腕のいい隠密じゃなさそうだったねぇ?」
「……」
カールという男の特徴には心当たりがあった。服や持ち物を漁ったということは殺したのだろうが、暗殺を得意とする彼に勝ったとすると、オイレは荒事方面も相当な手練なのだろう。そのまま自分の後釜に転身しても良いのではないかと余計なことを考えた。
しかし、話のどこに罠が潜んでいるかわからないとなると、もう会話を続けることはできない。俺はできるだけ表情を硬くして、だんまりを決め込むことにした。
それでもこの梟にとってはかなり収穫があったらしい。
「そっかそっか、やっぱりあの子優秀だったんだ。それに、手がかりが見つからなくて安心しているんだね。じゃあ、あの本は結構重要なものだったのかなぁ? ヨハン様も知らない文字の変な本」
予想に反してそう言われると、気をつけていたにもかかわらず思わず息を呑んでしまった。梟は憎たらしいほど満足げな表情を浮かべている。
「僕ねぇ、これでもヨハン様のやりたいことに共感して、自分の意志でここにいるんだ。君もきっとそうなんでしょ? 誰の犬なのかはわからないけど、駄犬と呼ぶにはもったいないと思うんだよねぇ。さっさと全部喋っちゃって、復帰したらまた仲良くしようよ。ね?」




