かかわること
私が頷くと、ジブリールさんは私に約束をしてくれた。これからは私を第一の弟子として、共に医学書の制作に取り組もうと。ただし、執筆するのはあくまで私だ。木曜の勉強会で教わったことを、土曜までにある程度形にし、日曜日にジブリールさんと質疑応答しながら仕上げる。月曜と火曜は身体の構造についての章の執筆に充て、やはり水曜に二人で推敲を重ねる。ヨハン様が塔にいらしたときには、そこまでの成果をお見せしようという話になった。そこでヨハン様が加えたい点や削りたい点を指摘なされば、それを反映させる。そうすることで、私の編纂した3人の共著が出来上がっていくことになる。
私は嬉しかった。私は誰よりもヨハン様のお役に立ちたい。しかし、私の著書であっては駄目だし、ヨハン様はご自身の著書を他人が代筆することを好まないだろう。やがてできあがる医学書が共著であるというのは、最も理想的な形に思えたのだ。
この話をヨハン様にお伝えする機会は、なかなかやってこなかった。
自分の部屋の、閉じたきりの窓の隙間からそっと外を除く覗くと、時折城内を歩かれるヨハン様のお姿を見つけられることがある。いつもだいたいヴォルフ様と何かを熱心にお話しされていて、その内容をビョルンさんが控えに取っているようだった。どうやら何か大きなお仕事に取り組まれているようだが、この塔で隠密の招集がかからないところを見ると、工作や諜報が必要な内容ではないのかもしれない。
そんなことを思いながら日々を過ごしていると、ビョルンさんが塔を訪ねてきた。
「こんにちは、ヘカテーさん。こうして二人でお話をするのは初めてですね」
思えば、私の身分が明らかになってから知り合ったというのもあるだろうが、私に向かって敬語で話す隠密はビョルンさんだけだ。今まで特に疑問を感じていなかったが、皆さんが私が寂しがらないように随分と気を回してくれていたことに気づく。
「最近はビョルンさんも随分とお忙しそうですが、何かあったのですか?」
ビョルンさんは人懐っこそうな笑顔を浮かべてはいるが、その目の下にはうっすらと隈ができていた。
「ええ、そのお話をしにまいりました。実は先日、『皇帝法』というものが制定されましてね」
「『皇帝法』……皇帝の定義についての法律か何かでしょうか」
「さすが、察しが良いですね。ほぼその通りです。といっても、今までの慣例が明文化されただけで、定義については特に目だった点はないのですが……その中に『皇帝の名において帝国税を徴収する』との条文が盛り込まれています。最近ヨハン様がお忙しいのはそのためです」
「帝国税? 増税ですか?」
それは穏やかではない話だ。領民たちに負担がかかり、生活もままならぬ者も増えるだろう。
「増税とは少し違います。領地としての税と別に、帝国として新たに徴収されるのです。『有事に備えて国庫を潤す』との名目ですが……領民を生かすためには既にある税を減税して負担を調整しなくてはなりません。皇帝の懐を潤わせて諸侯の力を削ぐことになります。エーベルハルト1世お得意の、二匹の蝿を一つの蠅叩きで仕留める策ですよ」
斜め下を向く彼の表情は品を失わないものの、声の低さには苛立ちがこもっていた。教会領の徴税権の時と同様、合理的な、反論のできないような方法。何かの罪を着せて無理やりに陥れるよりも、にじり寄るように追い詰めてくるやり口には、極端な冷静さゆえの不気味さが漂う。
「しかし、帝位簒奪の時を思い起こすと、皇帝はいざというときにはどんなこじつけを使ってでも相手を陥れる人間です。それをしてこないということは、それだけイェーガーのお家は守りが堅いということですよね?」
私がそう応えると、ビョルンさんは嬉しそうに笑った。
「やはりあなたは優秀ですね! ヨハン様が見込まれるだけのことはあります。そうです、その通りなのですよ。前回も今回も、皇帝が仕掛けた相手は帝国諸侯全体であって、イェーガー方伯へと狙いは絞られていません。ヨハン様の長年築かれた守りは、そう簡単に突き崩せるものではないのですよ」
「……ところで、何故そのお話をわざわざ私に?」
「あれ? 今までだってあなたは、イェーガーのお家に関する大きな情報は全て与えられてきたでしょう? 隠密には別途連絡手段もありますが、あなたにはこうして直接伝えるほかないから、私が来た。それだけのことですよ。ヨハン様がなかなか来られないからと言って、あなたの役割が軽くなったとは思わないでくださいね?」
「え……」
「ヘカテーさん、あなたは依然として、ヨハン様にとってもイェーガーのお家にとっても重要な存在です。その優秀な頭は、このお家のためにしっかりと働かせてください。私はこれからも、時々ここにお邪魔します。必要な情報はお伝えしますから、気になることがあれば私に言ってください。受け取った言葉は必ずヨハン様へお届けします」
「は、はい!」
この塔にジブリールさんとふたりきりになっても、私は政治に関わることを諦められていたわけではなかったらしい。颯爽と去っていくビョルンさんを、不思議な気持ちで見送った。




