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あるべきもの

 声が止んだ時を狙って4階に行くと、早くも部屋を出ようとしていたジブリールさんに遭遇した。お酒に漬けている内臓を見に行こうとしていたらしい。破れた内臓を縫い合わせた場合でも、無事に保存ができるのかどうか気になっているのだそうだ。次の勉強会まで毎日観察し、保存状態を確認するのだというが、勉強会の面々のことを考えても、内臓が破損していない状態の遺体を解剖する機会はまた必要だろう。


 ジブリールさんはまとめていた質問に快く答え、私の書いた文章の確認もしてくれた。


 まず、腹膜についての疑問。腹膜の半分以上を占める臓側腹膜と、1割ほどの面積しかない壁側腹膜は役割が異なり、血流も違う。別個のものとして存在しているものを無理にくっ付けてしまっては不具合が起きるのは必定とのことだった。毎度感じることだが、ジブリールさんの医学は全て肉体を最も自然な「あるべき」状態に戻すことを目的としている。別々でいるのが自然なものをまとめてはいけないのは当然の発想だった。


 それから、腸の傷が致命傷になりやすいということ。これは私の認識がだいたい合っているといえた。内臓そのものが生み出す液により他の臓器を溶かしてしまう危険性。それから、腸の中に包まれ隔離されている汚物が発する毒に身体が冒される危険性があるのだという。確かに、汚物が排泄される前は腸の中にとどまっているのだから、腸が破けてしまえばその毒にあたるのも当然といえた。


 解説されてみればすんなりと納得できることばかりだが、なかなか自力でそこにたどり着くことはできない。まるで謎解き遊びのようだ。答えを聞けばくだらないとすら思えるほど当然のことも、人は自分で考えることは難しい。ジブリールさんにしてもヨハン様にしても、それができる人のことを天才と呼ぶのだろう。


 教えてもらったことを加える形で、文章を書き直す。ジブリールさんはその作業を、隣についてみていてくれた。私が書く文章はドイツ語、そして口頭で問題を指摘するときにはギリシア語。この人はこのお城に来てからずっと、ひとりで異教の祈りを捧げる時間以外は一切母国語を使っていないということになる。なんと恐るべき頭脳か。


 彼の協力のおかげで、初めて仕上げた1節は非常に読みやすいものにまとまった。大まかな解説の後に詳細な手順を箇条書きで記したそれは、人体を扱う本の例えとしては悪趣味な例えかもしれないが、まるで料理本だ。しかし、実践に生かすべき医術を開設するのに、流麗な言葉など必要ない。わかりやすく、誰もが同じ理解を得られるよう腐心して書くべきなのだから、これはこれで正しい形だと思えた。


 ひと段落したところで、私たちは食事をとりながら、医学についての雑談をした。私はずっと気がかりだったことを質問してみた。医術は怪我や病気を癒してくれる。しかし、特に傷を縫う時など、癒す過程でどうしても痛みを伴うことが多い。これはどうにかできないものか、と。



「Ο πόνος είναι μια φυσική αντίδραση του σώματος.(痛みは肉体の自然な反応です)」



 それは確かに患者を苦しめるが、肉体が異常な状態にあることを教えてくれ、治療の際の指標にもなる。痛みが発生することは自然の節理なのだから、無理に止めようとしない方がよいとの見解。


 しかしそれは、私には受け入れがたい考えだった。私は、医術は苦しむ人を救うものだと思う。そして、痛みとは人を最も苦しめるものだ。いくら「あるべき」ものだとしても、避ける方法がないのかを考えるべきではないのか?


 するとジブリールさんは、実は方法はないこともないのだといった。ケシの種を用いるのだそうだ。たしかに、私が本草書やロベルト修道士様からの教えで得た知識でも、粉末にしたケシの種を油に溶かし軟膏は痛み止めに用いられていたが、腸がはみ出すほどの傷には気休めにしかならないような気がする。彼は笑って私の言うことを肯定した。皮膚からの吸収には限度がある。服用させるのだ。服用させるか、煙を吸わせることで、意識をぼんやりとさせ、痛みを和らげることができるのだという。


 ただし、この方法には問題がある。基本的にケシは毒だ。意識をぼんやりとさせるどころか、ちょっとでも要領を間違えれば命を落とす。それこそ、激痛のために死んでしまう可能性があるほどの大怪我や大病の場合にのみ、使用すべきものなのだそうだ。


 医術に携わることは、命に携わることだ。命を救うためには、自分の行動が命を奪う可能性も覚悟していなくてはいけない。ジブリールさんはそんな厳しい言葉を、何よりも優しい口調で私に投げかけた。

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― 新着の感想 ―
[一言] たまにはこちらに。 実践を突き詰めると料理本になると言うのは、言い得て妙な表現だと思いました。 手順書なんかでも、理屈をごちゃごちゃ書かれるより箇条書きでやる事ズバッと書かれた方がやりやす…
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