結束
3回目に開催された勉強会の日、ハンスさんの姿はそこにはなかった。集まったほかの皆は、青ざめた顔をして、緊張したように下を向いている。つまり、ハンスさんが告発されたのだ。裏の事情を知っている私には少しばかり大きな予定のひとつでしかないが、そうでない皆には衝撃だっただろう。何しろ、ハンスさんに賭けられた容疑は偽証罪、しかもご領主様に対する反逆の意味も含んでいる。学びの場が塔に移る前から、自主的に集まって苦楽を共にした仲間が捕まったとあっては、心配で仕方がないはずだ。
マルコさんが徐に口を開いた。
「ヴィオラさん……ハンスはどうなっちゃうんでしょう? 真っ直ぐな人間ですし、少なくともドゥルカマーラ先生に関することで嘘をつくなんてことは、絶対にありえません。何か陰謀めいた、嫌なものが裏にあるような気がするんです」
「大丈夫ですよ。何か間違いがあったのです。裁判ではきっとハンスさんの無実が証明されるでしょう」
「でも、偽証罪の裁判は神明裁判です……普通の裁判なら、私たちが彼の有利になるような、普段の人柄についての証言をすることもできるんですが……」
「神明裁判なら猶更です。証人は欺くこともあるかもしれませんが、主は正しき者の味方をしてくださいます」
マルコさんは口を噤む。ここで私に反駁しては、信仰心の不足を表明するようなものだ。はぐらかすような言い方になってしまい申し訳なく思うが、ヨハン様の許可もないのにここで事情を説明する訳にもいかない。
「ご領主様は公明正大なお方、それも私のような異邦の血を引くものを雇い入れ、皆さんのような一般庶民にも学ぶ場を与えてくださるような方です。事実を捻じ曲げるようなことはなさいません。無実が証明されれば、それを受け入れてくださるだけの度量がおありです。祈って待ちましょう」
気休めにしかならないだろうが、私は何とか心を軽くする言葉を探した。
「メイドの嬢ちゃんの言う通りだ」
すると、ラルフさんが間に入った。
「俺たちにできることがない以上、気落ちしていても仕方がない。学びを止める訳にはいかないんだ。あいつがいなくとも、俺たちは前に進む必要がある。いつなくなってもおかしくないこの貴重な時間を、余計な愚痴で減らすのはやめにしようぜ」
皆が顔を上げる。並ぶ12の瞳には、強い光が宿っていた。
この人たちはきっと、今までもこうして窮地を切り抜けてきたのだろう。庶民が学問に、それも出所も不確かな医学に傾倒するなど、風当たりは厳しかったはずだ。働く時間を削って学ぶ姿は、庶民には怠惰に、貴族には生意気に映るのだから。
それでも、オイレさんが捕縛されたときにも解散しなかったこの人たちは、ひたすらその結束と意志の力で茨の道を突き進んできたのだ。学ぶことは戦いであると考えるジブリールさんと相性が良いのも当然である。
ジブリールさんは調理場にやってくると、すぐハンスさんがいないことに気づき、問いただしてきた。私が事情を紙に書くと、しばらく首をひねったのち、その口元ににやりと悪戯っぽい大きな笑みを浮かべる。
『皆さん、きっと大丈夫です。私が考えるに、これはハンスさんの無実を立証するために行われたものです。もし私がご領主様の立場なら、有罪と疑う者の一番近しい仲間たちを、自分の城に招き入れたりはしません。むしろ何かしらの理由をつけて全員一緒に捕えます。つまり、こんなことがあってもこの学びの場が閉ざされないのは、ご領主様が私たちを価値あるものとして扱ってくださってる証拠でしょう。何があったのかは知りませんが、何かのっぴきならない事情があって、裁判の名のもとにハンスさんを保護したのだと思いますよ』
皇帝との攻防については伝えていないはずだが、この人の頭脳はある程度裏にある事情を導き出してしまったようだ。
勉強会は恙なく終わり、私はジブリールさんに医学書を作ることについての相談をすることにした。勉強会の面々も、ヨハン様も、隠密の皆さんも、それぞれに戦っている。私も自分にできることで戦って行かなくてはならない。
章立てについては、ジブリールさんも賛成してくれた。やはり、なぜその治療法が有効なのかを合理的に説明するためには、身体の構造と機能を知っている必要があるからだ。故に、まずは解剖図から始めて、各器官の働きについても一緒に説明する。
そして、ジブリールさんは思い出したように言った。
『今まで、紙面上で説明できる範囲に留めていたのですが……今日、皆の反応を見て考えを改めました。次にヨハン様にお会いするとき、私は解剖の機会をいただけないか、打診してみたいと思います。きっと医学書の編纂にも役立つでしょう』




