梟の顔
なんとか梯子を上ると、オイレさんは手をつかんで引き上げてくれた。
「あの、先ほどは危ないところを助けてくださり、ありがとうございました!」
「いいのいいの、それが仕事だったからねぇ。でも、知らない人を簡単に信用しちゃダメだよぉ。今もそうだけどさ」
「それはその、さっき助けていただいたので……味方だと……」
「うんうん、まぁ僕のことは信用してくれて大丈夫だよぉ。君と同じで、ヨハン様の配下だからね」
職業病なのか、一貫しておちゃらけた雰囲気で話す彼を見ながら、どうしても気になっていたことを訊いてみた。
「あの……お昼に大通りで歯抜きをされていたオイレさん、ですよね? お化粧をされてないのもそうですけど、なんかほっそりしているというか……」
そう、大道芸を見せていたオイレは肥満体だったが、目の前の彼はずいぶんと引き締まった体型をしている。そのせいで余計に同一人物に思えないのだ。
「はっはっは、大道芸人の食事と運動量で、あんな体型になれるわけないでしょぉ? 太ってたほうが面白いから化けてるだけ。化け方は企業秘密だけどねぇ」
「そうだったんですか……」
「それより、早くヨハン様のとこに行かなくちゃ! 報告報告~」
オイレさんは足取り軽く、階段を上がっていった。上る速度が異様に速く、それに追いつこうとするとせっかく整えた息がまた上がってしまう。
そして、ヨハン様の私室の扉の前につくと、首と肩をほぐすようにぶんぶんと回し、大げさに深呼吸をしてから、扉に向かって声をかけた。
「ヨハン様、オイレでございます。ヘカテーをお連れし、本日のご報告に馳せ参じました」
話す声は一段低く、先ほどまでの陽気な声が作り声だったのだと気づかされた。雰囲気も打って変わって、凛とした緊張感に満ちている。こちらの方が素なのだろうか。あるいはどちらも演技なのか。いずれにしても役者が過ぎる。
「入れ」
入室を許可する聞きなれた冷たい声。5日もお休みを頂けたのに、まさか翌日に聞くとは思わなかった。
部屋に入ると、オイレさんはヨハン様の前に跪いた。発言はしない。私はいつも通り、部屋の隅で礼をして控える。
「思いのほか早かったな。仔細を述べろ」
「は。ヘカテー宅はすでに引き払われて貸家となっており、近隣住民よりトリストラントは引っ越したとの情報を得ました。ヘカテーは家の前で賊に狙われましたが、私の方で処理いたしました。賊は身分を示すものを所持しておらず、どこからの刺客かは不明です」
「トリストラントは逃げたと考えてよさそうか」
「単なる脅しかもしれませんが、賊はヘカテーにあの世で父親に会えという旨のことを言っておりました。生存の望みは薄いかと思われます。ただし、ヘカテーに私物を残しておりました故、何らかのヒントになるやもしれません」
「承知した。ヘカテー、渡されたものを見てもよいか?」
お二人のやり取りを聞いていると、不意に話を振られたので、前に進み出てヨハン様に本をお渡した。
「はい、こちらでございます。異国の文字で書かれた本ですが、祖父の遺品で、私も何度も目にしたことのあるものです。父のものに相違ありません」
「ふん……なんだこの字は、見たことがないな。紙もインクも、こちらのものとは違うようだ」
ヨハン様は受け取った本を開き、1頁ずつ素材を確かめるようにしながら呟いた。
「東方の更に東には、植物から紙を作る技術があると聞いたことがある。もしかするとこの本は相当遠方から来たものなのかもしれんな。ギリシア語の書き込みを見る限り、薬学に関する本のようだが……ヘカテー、大切なものなのに申し訳ないが、しばらく借りてもよいか? 必ず無傷で返す」
「もちろんです。どうぞお持ちくださいませ」
「助かる」
ヨハン様は本をテーブルに置くと、オイレさんに向き直った。
「さてオイレ。此度の働き見事だった。ヘカテーを無事に返してくれたこと、感謝する。お前に頼んでよかった。褒美は上乗せしておこう。引き続き頼むぞ」
「もったいなきお言葉にございます」
どうやら、オイレさんは最初から私の護衛としてヨハン様がつけてくださっていたようだ。鎧兜を着けているわけでもない、普通の服の普通の青年。騎士でも傭兵でもなさそうだ。返り血一つ浴びた様子もなく、平然とした彼の顔を見ながら、私は、結局自分では抜くことすらできなかったダガーのことを思った。




