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狙われているのは

 死というものは、こんなにも突然やってくるものなのか。


 動物的な本能で感覚が鋭敏になっているのか、時が流れるのが遅い。しかし、私はその場を動くことはできなかった。ヨハン様にいただいたダガーを取り出そうとする手は、意思に反してひどく重い。


 その理由は恐怖と、諦めだ。目の前にいたカールという男に、殺気は一切感じられなかった。つまり、殺そう、という覚悟も必要ないほどに殺し慣れている賊の類ということだ。そんな輩にこれだけの至近距離で狙われて、武術の訓練もしたことのない商人の娘に逃れられるはずもない。迫りくる刃物の気配に肌が泡立つのを感じながらも、私は妙に冷静だった。


 ああ、何も成せない人生だった。

 もっと本を読んでみたかった。おしゃれだってしてみたかった。


 ヤープとももっと話してみたかった。あの世間ずれしすぎた少年は、もう少し話せば友達になれたような気がする。


 ヨハン様のこともそうだ。あの方には何かと振り回されてばかりだったが、こんな状況になると朗らかな笑顔ばかりが思い出される。せっかく勉強の機会まで与えてくださったのに、これといったお役には立てた記憶がない。


 何より、父の行方は結局わからないままだ。最後に一目会いたかった。


 ほんの数秒の間に、やりたかったことがいくつも浮かんできたが、やがてそれも終わりを迎える。



 ドサ、と音がした。



 これからやってくるであろう痛みに耐える覚悟を決め……音がしたのに衝撃が来ていないことに気づく。



「……へ?」



 間の抜けた声が聞こえて、恐る恐る目を開けると、そこには両腕のない(・・・・・)カールが呆然と立っていた。


 続けて、ヒュッという音がしたと思うと、無くなった自分の腕を不思議そうに眺める彼の頭に細長い何かが突き刺さり、目を見開いたまま膝から崩れ落ちた。ピクリとも動かない足元の彼を見やると、本を持った左手とダガーを握った右手が、その身体の下敷きになっている。


 あまりに予想外の展開に頭が追い付かず、私はただ、徐々に血がしみこんでいく自分の靴を眺めていた。



「だから気を付けてって言ったのにぃ」



 ふいに声が聞こえてあたりを見回すが、誰もいない。路地の反響のせいか、どの方向から聞こえたのかもわからなかった。



「本を拾ったらお城に帰りな。誰かに見つかると面倒だよぉ?」



 やはり声の主は見つからないが、彼が助けてくれたのだろうか。



「ど、どなたかわかりませんが、助けてくださってありがとうございました!」


「はぁい、どういたしまして」



 返事が返ってきたので、私は急いで本を拾うと、一目散に駆け出した。



「狙われているのはどっちなんだろうねぇ」



 そんな私を追いかけるように呟く声が聞こえたが、もう反応する余裕はない。膝が震えていて、立ち止まったらそのまま動けなくなってしまいそうだった。


 とにかく走る、走る。走ったあとの地面には赤く足跡がついた。はじめは濃く、距離を延ばすうちに薄くなっていく。まるで悪夢から現実に戻っていくかのようだ。まさか大好きなわが家が、悪夢の舞台になるとは思わなかった。


 なぜ父は家を引き払って失踪したのか。あのカールという男は誰だったのか。あの世で渡せと言っていたということは、もう父も殺されてしまったということなのか。


 まとまらない考えを振り払ってただ走る。大通りへ出て人が多くなってくると、皆驚いたように私を見たが、構わなかった。別に返り血を浴びたわけでもないので、怪しまれるほどではないだろう。さすがに体力の限界で、速度はどんどん落ちていくが、歩く速度になっても進むことだけはやめなかった。帰る家がなくなった今、行くべき場所はフェルトロイムト城しかないのだ。


 気が付くと、北の塔の前まで来ていた。どんな道を通ってここまで来たかも覚えていない。空はすっかり赤くなっている。夕闇を背に聳え立つ塔を見ると急に疲れが襲ってきて、その場にへたり込んでしまった。


 ほとんど地面に寝転ぶ姿勢で、上がりきった呼吸を整えようとする。思わず塔に来てしまったが、今の私は休暇中だ。本当なら先に居館へ行くべきだった。立ち上がろうとするが、身体が悲鳴をあげて言うことを聞かない。


 すると、がたん、と音がした。音のほうを見ると、梯子がおりてきている。ヨハン様が下ろしてくださったなら、すぐにでも伺わなければ。


 這うように梯子のほうに近づいていくと、声が振ってきた。



「随分走ったみたいだねぇ。ゆっくりで大丈夫だよぉ」



 妙に間延びした呑気な声は、先ほどカールと名乗った男から助けてくれた人のもの。しかし、2階からひょっこり顔を出し、ばちんと片目をつぶって見せる彼に、私は全く見覚えがなかった。


 戸惑う私を見て、彼は小声で、一段高く、歌うようにこういった。



「私は梟、夜のフクロウ 主の命をうけたなら、いつでもどこでも飛んでいく 今日は空き家にホーゥホーゥ」


「あ! あなたは……」



その声は忘れようもない。先ほど街で見た、歯抜きのオイレの声だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やはりオイレ! しかし大分キナくさくなってきましたな!
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