目的
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冷たい光をその瞳に宿したまま、ネーベルを見やるヨハン様の視線につられて、私も再びネーベルに目を向けた。傷だらけの不潔な姿でへらへらとした態度を崩さずに視線を受け止めるネーベルは、この状況を楽しんでいるようだった。
「何だよ……ああ、俺を見る目つきが変わったなぁ、黒髪女。さっきの動揺した顔もなかなか良かったが、そっちのがもっと色っぽいじゃねぇか。熱心に俺のこと見つめて、惚れたか? このまま抱いてやろうか、へへ」
「……その気持ち悪い演技はいつまで続けるつもりですか」
「演技ぃ? 俺が何を演じてるって? はははは、あんたそれじゃあ、まだまだだぜ」
下品な笑顔と裏腹に、その瞳が湛えているのは強烈なまでの知性。演技ではないとの言葉に嘘はなさそうだった。私は直感する。ネーベルは狂ったふりをしているのではない。根が歪んでいるのだ。生来のものか、どこかで変わってしまったのかはわからないが、歪めたのは塔の地階でもオイレさんの拷問でもない。
この男は、何のためにべらべらと良くしゃべり、私たちを挑発している? 普通に考えれば時間稼ぎだが……この期に及んでその必要が?
「お互い様です。私が何者かを見破れていないということは、あなたもまだまだですね。先ほど主がおっしゃった通り、あなたをこの場に連れ出したのは質問をするためです。解放したわけではありません。何故時間稼ぎをしようとしているかは知りませんが、あなたに合わせるつもりはありません」
気を取り直して返答すると、ネーベルは不思議そうに眼を瞬かせたのち、その口元を綻ばせた。嘲笑。この反応は。
「ああ……なるほど、時間稼ぎをしているわけではないと。可哀想に、あなたには目的がないのですね」
途端に両目が見開かれた。
「今も、意図があって時間稼ぎをしているわけではない。私たちがあなたの発言に踊らされる様を見て楽しんでいるだけ。まだ殺されていないから生きているだけ。いつも目的を与えてくれた主から引き離されてしまったから」
私が語り掛けると、ネーベルは一瞬唇を噛み締めかけ、そっと戻す。注意して見なければ見逃してしまうような、そのほんの微かな動きが、図星であることを告げていた。
オイレさんはネーベルの忠誠心を尊敬すると言った。確かに、皇帝とネーベルの相性は最高といって良いだろう。目的のためなら兄殺しをも厭わぬ皇帝と、無目的で殺しを楽しむ隠密。しかし、目的を与える者と与えられる者の間にある絶対的な主従は、忠誠と呼べるものではない。もっと無機質で薄暗い依存関係だ。互いが互いを必要とし、その約束を守ることに対しては信頼もし、それでも互いを慈しむことはない。
「ようやく静かになったな」
ヨハン様の声が響く。
「改めて、お前に問おう。まずはブリッツという隠密についてだ。奴は殺しを担当する者か?」
「……そうだ」
「返答が遅れたな。ではレーゲンはどうだ? 前回は監視のみをしていたようだが、刃物を奮うことはあるのか?」
「ない」
「さて、ロベルト修道士とフリーゲを襲ったのはどちらか。フリーゲを一度打ち負かしているという点ではブリッツの可能性が高そうだが……ヘカテー、どう思う?」
私はヨハン様とネーベルのやりとりを見て思ったことをお伝えする。
「恐れながら、私はレーゲンの方かと存じます」
「ほう。何故そう思う?」
「ブリッツが殺しを担当するものかという問いに対し、少し遅れて肯定しました。これは、肯定することで私たちを惑わせると思ったからでしょう。次にレーゲンについて聞かれた時は即答していますが、単にヨハン様に返答の遅れを指摘されたためです。おそらく、リッチュルのお家の隠密は、イェーガーのお家ほど役割分担が明確ではないのだと思います。実際、ネーベル自身も、マルタさんを殺害していますが、役割は殺害ではなく監視のようでした。得意分野はあれど、皆が諜報、護衛、暗殺のすべてを請け負うのではないでしょうか」
私の言葉を聞いて、ネーベルの唇に僅かな隙間ができた。
「今も、驚きの表情を見せました。間違っていれば安堵の表情を見せるかと思います。ネーベルが放たれた隠密がどちらかを知っているのかどうかはわかりませんが、只今申し上げたことに関しては間違いはないかと」
ネーベルから目を離し、視線をヨハン様へと移動させると、そこには温かい微笑みがあった。
「よくやった。オイレからの尋問報告とも矛盾しないし、これで敵の内情をもう少し深く探れた。十分な成果だ」
「……もったいなきお言葉にございます」




