兄殺し
ハンスさんがきょろきょろと周囲を見渡しながら部屋を出ていった後、ヨハン様は徐に口を開かれた。
「……あの伝言、間違いなく賊は皇帝の手の者だ。フリーゲが帰ってこないところを見ると、奴の顔を知っている二人のどちらかである可能性が高い。つまり、ブリッツかネーベルだ。特に、ブリッツは一度フリーゲを打ち破っている」
ふう、とその唇からため息が漏れた。
「要するに、俺はまた配下を失ってしまったということだ。ロベルト修道士が狙われる可能性に思い至らなかったとは、やはりこのところの俺はどうかしていた」
「そ、そんな……ヨハン様のせいではありません!!」
「そうか? 気付いていれば、ケーターに任務の対象からフリーゲは外すよう、申し付けておくことができたはずだ」
「でも……」
未だ収まる気配のない涙を拭いながら言い募る私に、ヨハン様は悲し気な微笑みを浮かべておっしゃった。
「気を使ってくれるのは嬉しいが、俺がどんなに言い逃れたところでフリーゲを死なせた事実は消えん。誰かが贖わなければならぬ罪は俺が贖う。配下に被せる気はない……今は、ロベルト修道士とフリーゲのために、皆で祈ろう」
おっしゃる通りだった。私たちはしばらくの間、黙祷を捧げた。修道士様の温かい笑顔が思い出される。普段は無表情の仮面をかぶった不思議な方だったが、いつも私を優しく教え導いてくださる、慈愛に満ちた方だった。自ら死地に赴く決意を固められた後も、私たちができる限り後悔しないようにと気遣ってくださった。教えを乞うことのできた期間は短かったが、心から尊敬する方であり、私の生涯の師だ。フリーゲさんも、お会いした二度だけでも人の良さがわかる、明るくて我慢強い人だった。せっかく傷も治って任務に復帰していたところ、さぞ無念だっただろう。どうか、お二人の魂に安らぎが与えられますように。
「潰えた命は必ず次に生かす。それにしてもエーベルハルトめ、決断をさせたとは笑わせる。いつだって決断は自分でするものだ。帝位にまで就いておいて自分の行動の責任すら取れないとは、ロベルト修道士の言っていた通り、中身は本当に子供なのだな。気色悪い」
そこでふと疑問を感じた。何故、皇帝は修道士様を殺してしまったのか。帝都に到着したら、自分のもとにつくように説得を試みることだってできたはずだ。何故言葉を交わすこともせず、道すがらに殺してしまったのだろう。ハンスさんに託した伝言からしても、殺したくなかっただろうことは明らかに思えるのに。
「皇帝の行動に一貫性がない気がします。ドゥルカマーラを連れてこいと言っておいて帝都に来る前に殺したり、幼いころから慕っていた兄君を呆気なく殺しておいてそのことを恨んだり……」
すると、私の言葉をヨハン様は鼻で笑われた。
「一貫性ならあるとも。奴はずっと『リッチュルの家の繁栄』のために動いている」
「お家のために? それはまた、なんというか、普通ですね……」
「遊びにも決まり事は必要なのさ。奴が帝位に就いて『エーベルハルト1世』と名乗っていることからも、家の繁栄を第一においていることがよくわかる。皇帝の地位を世襲制にする準備をしているわけだからな。おそらく、リッチュルの家の兄弟で一番優秀なのがロベルト、次がエーベルハルトだった。最初は、ロベルトが家督を継いで自分がそれを支えるのが一番だと思っていたが、当の本人が家を出てしまったので、仕方なく自分が継いだのだろう」
「仕方なく、だなんて……」
もしそんな理由で兄殺しに手を染めていたのだとすれば虫唾が走る。
「言ってしまえば、不出来な兄を支える気はなかったというわけだ。そして、ロベルト修道士が敵側についたとなれば当然これを抹殺する必要があったわけだが、帝都につく前に殺したのには2つ理由がある。ひとつは、異端の嫌疑をかけてイェーガーを告発するという当初の筋書きが狂ったこと。修道士、しかもあれだけ優秀な者を陥れるのは流石に難しい。もうひとつは、ロベルト修道士に説得されてしまいたくなかったのだろうよ。いずれにしても、殺すのならば顔を合わせる前でなければならなかったのさ。奴にとっては、自分を上回ると認めたほとんど唯一の存在だっただろうからな」
ヨハン様はそう言ってどこかを睨むように目を細め、ラッテさんに告げられた。
「地階からネーベルを連れてこい」




