救い
それから私は自室にこもり、ひたすらロベルト修道士様のために祈りを捧げ続けた。修道士様は、盗賊に出会ったとしても、その盗賊に食べ物を分け与え、みことばを用いて教え諭すようなお方だ。その旅路の先にどんな結末が待ち受けていようとも、あの慈悲深く高潔な修道士様が、無為に苦しめられるようなことがあってはならない。そうでなければ、私は信徒でい続けることすら難しくなるだろう。そのお優しさから、四半世紀以上もの間、二人の弟君を救えなかった悔恨に打ちひしがれた挙句、不当な帝位に就いた弟君を今度こそ悪魔の道から救わんと、自らの命を差し出そうというお方に、何故それ以上の試練が必要だというのか。もう、十分だ。修道士様には平穏な日常があれば良いはずだ。旅する者の導き、聖ラファエル、我らのために祈り給え。神様、イエス様、マリア様……!
食事と睡眠以外はほとんど祈りに明け暮れた私の日々は、4日続いた。5日目の昼、外から近づいてくる騒がしい声で、それは途切れたのだった。
「ですから! 私はただ、命からがら逃げてきただけで……」
「わかってる、別に懲らしめたりはしねぇよ。いいから落ち着いてついてこい」
やがて、塔にはしごが掛けられ、廊下から声がかけられた。
「ヘカテー、いるか?」
声の主は当然ラッテさんだ。
「ラッテさん、その人が修道士様についていった床屋さんですか?」
「そうだ。急にとっつかまえたから混乱しているが、頭はしっかりしてる奴だぜ」
「そうですか……はじめまして、ヘカテーといいます」
「は、はじめまして、床屋のハンスです……?」
声を掛けると、ハンスさんは困惑したように目を瞬かせた。突然捕らえられて塔へ連れて来られ、見知らぬ女に声を掛けられたのだから無理もない。
「まぁ、ひとまず上に行こうや」
ラッテさんに連れられて階段を上がり、ヨハン様のお部屋を目指す途中、私はハンスさんの顔を見ながら思った。彼は怯えている。しかしそれは、捕らえられたからというわけではないような気がする。もっと深く、染みついたような恐怖が感じられた。そういえば、ラッテさんは前回の報告でも、ビーレハウゼンで見かけたとき怯えた様子だったと言っていた。道中、一体何があったのだろうか。
「ヨハン様、ラッテでございます。床屋のハンスをお連れいたしました」
「入れ」
ヨハン様のお声を受けて、ハンスさんはラッテさんに引っ立てられるようにして部屋の中央へと進み出た。そして、礼をした私と、跪いたラッテさん、威風堂々としたヨハン様を見比べ、慌てて膝をつく。ヨハン様はその様子に冷ややかな笑みを浮かべると、静かに問うた。
「お前がドゥルカマーラに同行したという床屋か。単刀直入に聞こう。なぜお前ひとりでこの地に戻ってきた?」
ヨハン様の問いに、ハンスさんは目を見開くと、泣き出しそうな顔で言った。
「申し訳ございません! 私が、私が不甲斐ないばかりに……!」
「前置きはいい。一体道中何があった?」
「襲われたのです! そして、ドゥルカマーラ先生は殺されてしまいました!」
「盗賊か?」
「それが、訳が分からないのです! あんな暗い瞳を私は初めて見ました……奴は音もなく一撃で先生を殺した後、私にダガーを突きつけて言いました! 『伝言だ。この決断をさせたことを私は決して許さない』……ただそれだけ、誰からかも、誰宛てかも何も言わずに!」
「なんだと!?」
「その伝言をすぐに持ち帰らなければお前も殺すといわれて……私は荷物も何もかも置いたまま、無我夢中で逃げたのです! ああ、私が賊に気付いていれば先生は……!」
その言葉に、私は膝から崩れ落ちた。その可能性が高いとわかってはいた。わかってはいたが、それでもそうではないと信じたかった。私が必死に祈りの言葉を唱えている間、修道士様はすでに亡くなられていたのだ。鼻から眼に突き抜けるように痛みが走り、視界が一気にぼやけた。
「……そうか。急に捕らえて悪かったな」
ヨハン様の声と、ラッテさんの動く気配。縄が解かれるのだろう。ヨハン様もその言葉に嘘はないと判断されたようだ。
「下がって良いぞ。その伝言は俺宛てだ。確かに受け取った」
その言葉にはたと気づき、私は涙もぬぐわぬままハンスさんに詰め寄る。
「修道士様は……ドゥルカマーラ先生は、どのようにして殺されたのですか!?」
「後ろから首を掻き切られて……」
「では、苦しまなかったのですね!?」
「即死でした」
その答えはせめてもの救いであった。私が祈りを捧げ続けた守護天使は、旅の無事を授けてはくれなかったが、これ以上の試練がないようにとの願いは聞き入れてくれたようだ。




