命の上に立つ
ご許可をいただくと、ケーターさんはつかつかと前に進み出て跪き、ヨハン様を仰ぎ見た。やや充血した両の瞳には鋭い光。
「急にどうした、ケーター。フリーゲに何かあったか? 監視のネーベルがまた現れでもしたか」
「いえ、奴は息災です。監視者も現れてはおりません」
ケーターさんの来訪に思い当たる節がないのか、ヨハン様は珍しく困ったように小首を傾げられた。ケーターさんは目をそらさず、じっとヨハン様を正面から見つめている。その表情は怒りに似ているが、少し違うような気がした。
「用件を言え、ケーター。俺はそんなに睨まれるようなことをした覚えは……ああ、もしかして」
ヨハン様はそこで口を噤み、俯きながらおっしゃった。
「ロベルト修道士のことか」
その名前を口にすると同時に、悲痛で、自嘲的な微笑が浮かぶ。
「お前は今でこそ俺のもとで隠密などしているが、元は騎士になるかもしれなかった男だものな。キリスト教の守護者として、修道士を死なせる作戦に異を唱えにでも来たか」
ヨハン様のお言葉に、ケーターさんは短く、はっきりと答えた。
「違います」
「では一体何事だ?」
「オイレから聞きました。もう何日も、ほとんど何も口にしていらっしゃらないと」
「は?」
予想外の答えに、ヨハン様は目を瞠られる。
「実際にお会いしてはっきりとわかります。尋常ではないお痩せになり方です。それも、この2~3週間でのお話しだとか」
「……それで、俺を見舞いにでも来たというのか?」
「いえ。配下として一言申し上げに参りました。この身は後で解雇されようが殺されようが構いません。ですがどうか最後までお聞きください」
ケーターさんは刺すような眼付きをヨハン様に向けると言い放った。
「あなたは子供ですか」
突然の失礼な物言いに唖然とする私を一瞥し、続ける。
「ロベルト修道士様の件は聞いております。多大なる損失ではございますが、ほかに道がない以上致し方なきこと。ましてやご自身の意志によるものです。僭越ながら、送り出されたヨハン様のご判断に間違いはないと私は信じております……問題は、そのことを気に病むあまり、自らに無用な罰を与えていらっしゃることです」
「……別に、自分を罰しているわけではない。単に食欲が湧かんだけだ」
「食欲が沸かずとも、召し上がるべきです。もしもご自身の存在の重要さをお分かりでしたら」
「それは……」
「傍にヘカテーがいれば、ご体調を気遣い、また少しは諫めてくれるかと期待していましたが、一緒になって痩せゆくだけとは。失望しました」
ケーターさんの言葉がぐさりと心臓に突き刺さる。ヨハン様のご体調が気にかかってはいたが、同じく食べる事ができないでいる自分には、ものを言う資格がないと思っていた。また、送り出すというご決断を下され、私以上に辛い思いをされているヨハン様に、無理強いをすることはできないと思っていた。しかし、どちらも言い訳だ。私は、一番近くに付き従う者としてするべきだったことをしていなかった。
「ヨハン様、お気持ちはわかります。ヨハン様は大変優秀でいらっしゃいます。優秀すぎるあまりに、おそらく、自分の手駒を失う前提での作戦を立てられたことも、失敗して失ったこともなかった。故に、ご自分の意志でご自分に従う者の命を捨てられたのは、今回が初めてのご経験でしょう」
「……そうだな」
「ですが、戦いを生業とする者として申し上げます。今回初めて直接手を下されたというだけで、あなた様の命は今までも、無数の屍の上にありました」
ヨハン様の両目が再び見開かれた。
「これはヨハン様に限った話ではありません。そもそも生きることとは殺すことです。戦地に出たことのある者であれば、それを肌で知ることになります。いかに自分の命が味方の死に支えられているか。たまたま敵の刃と自分の間に入った、たまたま敵の注意がそちらにそれた……ただそれだけのことで、本人にはその気がなくとも、自分の代わりに死んでいく。昨日共に過ごした者たちの断末魔を聞きながら、それでも今日を生き延びようと走り抜けるのが戦士ですから。そして、戻ってから考えるのです。今の自分に至るまでに、何世代かけて、どれだけの命が失われてきたか」
「ロベルト修道士のことを気に病んでも、今更だと言いたいのか?」
「いいえ。私が言いたかったのは、命の上に立つ命がいかに貴重かということと、失われた命を無駄にしないためには生きるしかないということです。はっきり申し上げましょう。ヨハン様がなさっているのは緩やかな自殺であり、それは散っていった者たちへの侮辱です。そもそも、万全ではないご体調で、ご自分の役割を全うできるのですか?」
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まだしばらく更新時間が不安定な日々が続きそうですが、引き続きお楽しみ頂けましたら幸いです。




