悔恨
遅れてばかりですみませんーー!! それでも読んでくださる皆様に感謝です……
雛のように兄を慕い、笑顔で謎解きをして遊んでいた少年が、一体どこでそこまで歪んでしまったのか。修道士様は傍で見ていても全く変化に気付かなかったのだという。持って生まれた性質がたまたま隠れていただけかもしれないとも思った。実は自分も相当に歪んでいて、無意識に弟を育て上げてしまったのかもしれないとも思った。答えは出ない。ただ、自分に耳打ちをした時の微笑みが、それまでずっと隣で見てきたものと全く変わらないことが恐ろしかった。いっそのこと、振舞いや口調も別人のものに変わってくれていたなら、悪魔憑きだと言って納得することもできてしまえたのに……そう語る修道士様の額にはうっすらと汗が浮いていて、四半世紀も前のはずのその記憶が、未だ真新しいままなのだろうことが窺われた。
「私は、その恐怖と重圧に耐えることはできませんでした。幸いにもその頃には、誰にも知られぬうちにことを進められるだけの腕は身に着けていたので、私は家族に悟られぬよう、ひっそりと修道院に入る準備を整えました。もちろん『一緒に逃げよう』ともうひとりの弟を誘いはしたのですが……」
「……最終的にリッチュル辺境伯の地位はエーベルハルトが継いでいる。つまり、その弟も死んだのだな」
「ええ。そのことは私の深い悔恨となって、この胸にこびりついています。予想だにしなかった兄は無理でも、行く末のわかっていた弟の命なら救えたはずではなかったか、と」
そうか。この間、今も夢に見るとおっしゃっていた『護れなかった者』とは一つ下の弟君のことか。私が語った、リッチュルの家の隠密による悲劇は、昔のことをまざまざと思い出させたに違いない。そして、ヨハン様のことを、末っ子の持っていた危うさとどこか重ねて見ていらしたからこそ、ヨハン様に道を誤らせぬようにと私に告げられのだろう。
「しかし私はそのことを悔いつつも、家を出てから、過去とは決別して生きてきました。それまで鍛えてきた隠密の力を以て、ロベルト・フォン・リッチュルとしての痕跡はすべて消しました。当時の配下は、私が家を出てからも私に従い続けましたが……ただのロベルト修道士として生きることを許してくれました。実際、ヨハン様のお力をもってしても、私が何者なのか、おわかりにならなかったでしょう?」
「そうだな。意図的に経歴が消されていることはわかったが、どこの誰なのかはまるでつかめなかった。貴殿に敵意がないと分かって、比較的早くにそれ以上の詮索を諦めたものの、もしそのまま調べていたらどのくらい時間がかかったかわからん」
「つまり、ラッテさんがあの時私を見つけ、声をかけてきたのは、一時はリッチュルの家の影を担った力をあてにしてではないということです。一体どんな偶然か、あるいは主の思し召しか……」
「ロベルト修道士、何が言いたい?」
ヨハン様が目を細め、短く、そして鋭く問いかけられる。
「救えなかったことを悔いているのは、両方の弟に対してなのです」
修道士様はそのオリーブの瞳を真っ直ぐに見つめたまま、はっきりとおっしゃった。
「私が一人で逃げなければ、一つ下の弟は死なずに済んだかもしれません。また、私がきちんと向き合っていれば、末の弟はここまでの暴挙に出ることもなかったかもしれません」
当たり前のように告げられるが、帝位簒奪の経緯は、当然、公になっているものではない。やはり修道士様はお家を出てからも、隠密と携わり続けていらしたのだ。
「エーベルハルトはきっと今も、昔の謎解き遊び同様に、ただ謀略という遊びを楽しんでいるだけなのです。しかし、その遊びのために、多くの命が失われてきました。そしてついに帝位簒奪の計画を聞いた時には、私は弟が本物の悪魔になってしまったと嘆きました……そんな折に頂いたのが、ヨハン様からのお話です。イェーガー方伯の紋章を見たとき、頭の中に稲妻が走ったかと思いました。方伯の力をもってすれば、まだ弟を罪の道から救い出すことができるのではないかと」
「それは、父上に帝位を簒奪せよと言っているに等しいぞ」
「その通りです。そもそも我が弟が得たものは正当な地位ではありません。私は、お傍に置いていただけるのなら、イェーガーのお家のために今まで培ってきたこの力を全力で奮い、その対価として、そうなるように仕向けさせていただこうと考えておりました。別に皇帝になること自体は、方伯にとっても悪いことではないでしょう?」
修道士様のお言葉を受けて、ヨハン様に再び怒気が宿る。
「なればこそ、貴殿にはイェーガーの家のためにもっと働いてもらわねばならんではないか。なぜむざむざ死にに行く?」
「私がこの頭を使って補佐するまでもなく、このお家の影を担う方は十分に優秀でしたので」
「だとしても、優秀な手駒はあったほうが良い」
「私の死には意味があります。私という駒がイェーガーのお家から失われたと思えば、エーベルハルトは油断します」
「その油断という利益は、貴殿を失うという不利益に見合うと思うのか?」
「では逆に問いますが、代わりに誰を寄越せると? 誰が向かおうとも、どうせドゥルカマーラという医師は殺される。ならば老い先の短い身がそれを請け負うのが道理でしょう?」




