見送るということ
連日遅れて申し訳ないです……
1週間後、ロベルト修道士様に教えを受ける日。私はこの時間を使って、いくつかの疑問を修道士様にぶつけることを心に決めていた。
「修道士様。本日はお勉強も見てはいただききたいのですが……少し、ご相談したいことがあるのです」
修道士様は私の眼を見て何かを察してくださったのだろう。鷹揚に頷き、私の横に静かに座られた。
私は話した。修道士様のお顔さえ見ずに、ただ独り言のように話した。正直に言うと、相談というよりは愚痴に近いのかもしれない。しかし私はどうしてもお話がしたかったのだ。物心ついた頃から、ずっと私を可愛がってくれた……そして、久しぶりに会えたと思ったら、あっという間に逝ってしまったマルタさんのことを。
オイレさん曰く、旦那さんはどう穿ってみても一般人なのだそうだ。何代もこの地で商家を営んでいて、都市参事会との繋がりもある。見せかけの夫婦ではなく、きちんと式も挙げていた。馴れ初めは、娼婦だったマルタさんを旦那さんが何とか口説き落としたらしい。そんなに華やかな顔立ちではないので、きっとあの人柄に惚れ込んだのだろう。女将軍の家、旦那は尻に敷かれているなどとしょっちゅう揶揄されてはいたものの、誰もが認めるおしどり夫婦だった。元から大きな商家だったが、マルタさんの手腕でさらに発展したそうだ。
そういう、ごく普通の市民としての顔しか、私は知らない。そのせいで未だに受け入れられない気持ちがある。
「20年以上と言っていました。私が生まれる前から、この地に馴染んでいたのです」
私の話を、修道士様は眉一つ動かさず、しかし両目に微かな悲しみをたたえて聞いてくださっている。
「ヨハン様も驚かれていました。マルタさんをこの地に放った人は、なぜこんなにも長い間、彼女に潜入させていたのでしょうか。彼女は、私たちのことを親しく思っていたのは本当なのだと言っていました。ずっと顔も見せない主よりも気持ちが傾いたとすら。馴染めばなじむだけ、裏切りの可能性も高まるというのに、なぜそんなことをしたのでしょうか」
「……裏切りの可能性が高まることよりも、相手方に疑われない有利さを取ったのでしょう。彼女に情報を送らせているということは、受け取る別の隠密がいるということ。監視させれば、裏切りは阻止できますし、最悪は切り捨ててしまえばよい」
「今回のように、ですか? 20年も板挟みに苦しんだ挙句、簡単に切り捨てられてしまうのですか?」
「簡単ではなかったはずです。そのような隠密を切り捨てるには、相当な覚悟が必要です」
「マルタさんを殺したネーベルは笑っていました」
「笑ったのは主ではありません。その彼も、今はこの塔の地階で苦しんでいるのですよ?」
「でも……でも、マルタさんは……」
「ヘカテーさん。ヨハン様を見ていればわかるでしょう? どの家であっても、家を背負うというのは大変なことです」
何を言えばいいのかわからなくなって黙り込む私を、修道士様はそっと覗き込んだ。
「私は、この件に対して、何を言える立場でもありませんが……聖書『ローマの信徒への手紙』には、こんな言葉があります。『すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい』。マルタという女性は、隠密として仕える主を情報で支え、市民としてヘカテーさんたちを支えた。彼女の主もまた、主としてマルタさんを支え、もたらされる情報で自分の家を護った。悲しい結末ではありましたが、皆が必死に最善の手を考え、義務を果たしました。もちろん、それはあなたもですよ」
「私は、何も……」
「いいえ? 親しい方が突然目の前で殺された衝撃に打ちのめされながらも、無事帰還し、ネーベルという人から情報を引き出しさえした。立派なことです」
「ほとんどオイレさんのおかげですが……」
「あなたが今ここにいる。それはあなたがしっかりと働いた証です。人の死とは、いくら経験しても慣れるものではありません。親しければ親しいほどに……しかも自然死でなければなおのこと」
目を向けると、そこには笑顔があった。いつも無表情なロベルト修道士様の、温かい微笑みが。
「白状すると、私は逃げてしまったからこそここにいます。護れなかった人のことを、今でも夢に見るのです。修道士になってからの方が長くなったというのに、未だにね」
「そう、なのですか?」
「ですから、戦っている人には心からの賛辞を贈りたい。マルタさんは、隠密としても市民としても誠実を尽くした、素晴らしい人だったのだと思います。最期にあなたに伝えた言葉にも、きっと何一つ嘘はありません」
「……たしかに、真心からの言葉と感じました」
修道士様は、そっと私の手を取る。冷たく、骨ばった皴皴の手が、優しく両手を包み込む。
「はっきり言っておきます。あなたがヨハン様の下につき続けるなら、もっと多くの死を見るでしょう。あの方は茨の道を歩まれるお方だ。優しいあなたは、その度に傷つき、こうして思い悩むでしょう。ですが……ですが、あなたは思い悩みなさい。誰かを見送るたびに、大いに傷つきなさい」
微笑みの真ん中で、相反するがごとく力強い眼差しが、私を射貫く。私には、なぜかそれが泣いているかのように思えた。
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正直、こんなにも趣味に走ったマニアックな小説を、こんなにも多くの方に読んでいただけている奇跡に驚いております。驚きつつ、世の中には意外と沢山の同士がいたのかと嬉しくも思います。
最近、更新時間が遅れがちで恐縮ですが、引き続きお楽しみいただけるよう、執筆を頑張ります。どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。これからも塔メイをよろしくお願いいたします!
【追記】
申し訳ございません。9/26の更新はお休みとさせてください。9/27は更新いたします。




