紙切れ
夕暮れの中、二色の光に呼ばれてやってきたお二人が跪き、肌がぴりつくような緊張した空気のお部屋の中。ヨハン様の声を待つ、ほんの僅かの間の沈黙が痛い。
「さて、まずは二人の進捗から聞こうか」
二人が顔を上げ、目くばせをすると、先に口を開いたのはオイレさんだった。
「フリーゲについて嗅ぎまわっていた人物の特徴がわかりました。ただし、その特徴は『右目が悪く、首の付け根に瘤がある』というもので、どちらも魚の鱗や詰め物などで装うことが可能です。目だった特徴づけによって他の特徴を印象付けにくくするやり口と思われます。その人物が現れたのは二月ほど前のようです」
「なるほどな。監視者と同一人物という線はまだ残っているか?」
「断定しかねますが、おそらく別人かと。1年以上レーレハウゼンにいたのであれれば知り合いに聞いたほうが早いですし、変装にも限度があります。情報収集係が準備期間を経て途中で変装をし始めたとしても、聞き込みを開始する前は住民との接触を断っていたことでしょう」
「そうか、監視者がフリーゲの何を監視しているのかも気になるところだが、まずは情報収集係の方をもう少し詳しく調べろ」
「監視者の方が身元を洗いやすいのではないですか? レーレハウゼンで暮らしていたのなら、住民の伝手で……」
私が思わず問いかけると、ヨハン様はニヤリと笑って頬杖をつく。
「簡単なことだ。お前は、さして交流のない者に、友人について聞かれた場合と、不審者について聞かれた場合、どちらに対して正直に答える?」
「あ……それは確かに、後者です……」
「だろう? そもそもこの1年レーレハウゼンで活動しながら、俺たちの網に引っかかっていない時点で、監視者は完全な専門職だ。まぁ、素人が14年潜伏した事例もあったがな」
「そ、それは……」
「もちろん監視者についても調べるが、急がず泳がせた方が良い。俺たちが知りたいのは行動を起こしている隠密ではなく、それを操っている側の情報だ。最悪、目的さえ知ることができれば、二人ともどこの誰だろうが構わんのさ」
「失礼いたしました……」
「まぁ、あまり畏まるな。お前に求めている役割は情報収集ではない。さて、オイレの報告は以上だな。次はラッテ、ティッセンの動きはどうだ?」
そのお言葉に、オイレさんは静かに顔を伏せ、ラッテさんが正面を見据える。眼光は鋭く、怒っているかのような雰囲気だ。一体何があったというのか。
「先にヨハン様にお呼び出し頂きましたが、ちょうど私の方から、ご報告に伺おうとと思っていたところでございました」
ラッテさんは一礼して立ち上がり、1枚の紙切れをヨハン様に差し出す。
「ヘカテーの祖父、下級騎士のソウスケ氏について調べる中で見つかったものです」
「……なんだと!?」
紙に一瞥をくれたヨハン様の目が見開かれ、その唇から驚愕の声が漏れた。
「どうなさったのですか?」
「見ろ、ヘカテー。お前の祖父からの伝言だ」
ひっくり返された紙には、こう記されていた。
『お前の飼い主にこの紙を渡せ。その後どうなるかは彼次第だ。Παρακαλώ σταθείτε δίπλα στο άτομο που φέρνει αυτό το χαρτί, εάν είμαι ακόμα ζωντανός.(もしまだ私が生きていれば、この紙を持ってきた者の側にお付きください)』
ドイツ語とギリシア語。二つの言語で書き殴られた文字は、私たちを嘲笑うかのように挑発的だった。その紙の向こうに、狡猾で一筋縄ではいかぬ歴戦の遍歴商人の姿が透けて見えるようだ。こんな紙を寄越す人物が、あの優雅で誠実な父を育てたというのか。
「ラッテ、どこでこれを手に入れた?」
「ティッセン宮中伯領に滞在中の私の部下が、ソウスケ氏と懇意にしているという薬屋と話す中で、突然渡されたものです。渡すというか、正確には、買った薬の中に入っていたのですが」
「ヘカテー、これをどう見る?」
ヨハン様は顎をひと撫でし、私に視線を投げかけられる。純粋な疑問ではない。この方は本当に、人を試すのがお好きだ。
「ギリシア語が含まれることから、書いたのはもちろん薬屋ではなく祖父でしょう。しかし、彼が私たちがこの紙の全容を読めるということを想定して書いたわけではないと思います。ギリシア語が読めるということ自体は、政治的な交渉において何の意味も持ちませんから」
「では、何故全てドイツ語で書かなかった?」
「解する者の少ないギリシア語で記したのは、読まれては困るというのもあるでしょうが……解読するのに祖父の手が必要だからでしょう。わざわざ『飼い主』と言うからには、隠密を放った貴族に向けて『ギリシア語のできる騎士を置いていると聞いた』という、ティッセン宮中伯に近づく口実を用意したということではないでしょうか。この紙そのものを持っていかなくても、きれいな紙に書き写せば宮中伯に渡せます」
「ふん……きれいな紙に書き写せば、か。まさか宮中伯と同じことを強いられるとはな」
「同じこと、でございますか?」
「宮中伯が夫人を隠密のように扱っているように、俺も母上を使うことになる。親しさから言えば、それが一番自然だ」
再び口角が上がり、オリーブの瞳が爛々と輝く。紅潮した頬は、迫りくる難題に挑むことへの興奮を示していた。
「皆、忙しくなるぞ。この紙きれで縮めた距離を、密約を結ぶところまでもっていかねばならん」
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