これより先に進むには
「聖堂参事会が刺客を放つことはさすがにないでしょう。少なくとも、私が聞き及ぶ範囲では、イェーガー方伯を監視したり、戦いを挑もうなどというような物騒な話は聞いたことがありませんでした」
翌々日、ジブリールさんへの説教を終えたロベルト修道士様は、ヨハン様のご質問にそう答えられた。
「残念なことに、昨今の聖堂参事会に政治的な色合いが濃い、ということは承知しております。しかし、聖堂参事会はあくまで司牧活動に従事する聖職者の集団です。修道誓願を行っていないとはいえ、私欲のために人を傷つけるほど腐ってはいないでしょう。せいぜい、金銭面で貴族と協力関係を結ぶ程度かと」
「なるほどな……その、協力関係を結ぶ貴族について、何か話はなかったか?」
「ございませんね。もっとも、私が駆り出されたのは、聖堂参事会同士が連携するための事務作業のようなもの。裏で何かがあっても、耳に入ってこなかっただけかもしれませんが……」
そこで言葉は途切れ、眉間に刻まれた皴が一層深くなる。
「どうした、ロベルト修道士。何か気がかりなことでもおありか?」
「いえ……実は、少々思うことがないではありません。ただ、明確な根拠がなく、現時点でそれを口に出すのは憚られます」
「根拠などなくても構わん。貴殿の見解が聞きたい」
ヨハン様は両手を組みなおし、詰め寄るようにおっしゃった。
「正直、こちらも急な展開に困惑しているのだ。たとえ間違っていたとしても、聖堂参事会同盟の発足にかかわっていた修道士からの意見は貴重な情報だ。話してはくれないか」
その口調こそ依頼形ではあるものの、言外に込められた威圧感は、有無を言わさず情報を聞き出そうというもの。さすがのロベルト修道士様も眉尻を下げ、無言を貫くことを諦められたようだった。
「かしこまりました、では申し上げます。此度の事件、ティッセン宮中伯によるものと仮定してかかるのは少々危険です。宮中伯は聖堂参事会同盟との関係性はおそらく薄い。もし濃かったのなら、ヘカテーさんの存在について、私の所属する修道院に問い合わせたりなどせず、同盟の伝手を使ってもっと効率的に探したでしょう。宮中伯と密約を結ぶにあたり、二の足を踏むのは得策ではございません」
「そうか。ご助言感謝する」
ヨハン様は目を伏せて短く答えられる。刺客を放ったのが具体的にどの家かはわからずとも、聖堂参事会でもティッセン宮中伯でもなさそうだという見解を聞けたことは非常に大きい。一番疑わしいからとティッセンのお家だけに狙いを定めて情報収集をしていたら、時間を無駄にしてしまう所だった。視野が広くなれば、敵も見つけやすくなるというものだ。
「ところで、これを先に聞くべきだったが……ジブリールと話してみて、どうだ?」
ヨハン様のお声はすでに半分笑っている。聞かずとも結果が明白だからだろう。
「正直、ここまで難しいとは思っておりませんでした。何しろ、主の愛や御業について語ったところで、彼はすでにそれらを信じているのです。イエス様のことも一人の預言者として尊重しているので、いくら教えを説いたところで効果がなく……かといって彼の信じる預言者についても、後の時代の人物なので、聖書に依拠して否定することができません」
「はははは、そうか。筆談に使った紙を見せてくれ。俺も彼が何を考えているのかもっと知りたい。サラセンの医学については聞きかじったが、異教については詳しくなくてな」
危ういご発言に、修道士様は目を見開いて少し詰め寄られる。
「失礼ながら、異教にご興味がおありなのですか? この紙はそう簡単にお渡しするわけには……」
「いいや、興味があるのはジブリールの頭の中さ。さすがに異教そのものには興味はない」
差し出された右手に、修道士様はしぶしぶ紙を乗せられた。
「優秀な医師ゆえ、重用されるお気持ちはわかります。しかし、あまり危ない橋を渡られませんよう」
「大丈夫だ」
ヨハン様は受け取った紙を広げることもなくそのままテーブルに置き、表情を真面目なものに戻される。
「ロベルト修道士、苦労を掛けたな。今日はもう下がって構わない。此度の件、また相談することもあると思うが、その時はよろしく頼む」
「ええ、いつでもお呼びください」
修道士様がお部屋を後にすると、ヨハン様は席を立って窓際に向かわれた。そして、鳥の声のような笛を3度鳴らした後、松明を壁から外し、その炎の色を赤、黄色、赤、黄色と変じさせる。
「オイレさんとラッテさん、ですか?」
「ああ。フリーゲの件の元凶を探るのとティッセン宮中伯の動向を探るのは別の話になっても、これより先に進むにはさらなる情報が必要だからな」
松明の明かりに揺らめく二つのオリーブの輝きには、覚悟と、微かな怯えとが入り混じっているように感じられた。やはりこの方は、お家のために背負うものが多すぎる。




