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魚の小骨

「面倒なもの、でございますか……」



 見れば、ヨハン様の額にうっすらと汗が浮いていた。安堵の表情。やはり何かを恐れていらしたのだろうか。しかし、隣を見やればラッテさんの表情には微塵も変化がなく、こうなることがご計画の通りであったことを物語っている。



「ヨハン様、どこかお疲れのご様子ですが、いかがなさいましたか?」


「わからんか?」



 ヨハン様は姿勢を崩されたまま、問いかけられる。唇から漏れる笑い声は、そのぐらい自分で考えろとおっしゃっているようだ。



「ジブリールさんが異教徒であるということを、知らないふりをなさっておいででした。今後のお二人の関係性を考えて、あえてここで明らかにはしたものの、ご本人の意志で認めていただく必要があったということでしょうか」


「まぁ、そこまで間違ってはいない。だが、これは二人の間に収まるものではなく、むしろイェーガーの家の問題だ。ジブリールという特異な存在を置いておくには、貴族としてそれなりの建前が必要なのさ」


「……つまり、修道士様というお立場からのご進言、ということですね」


「ああ」



 修道士様の溜息を思い出す。なるほど、確かにあまり引き受けたくはない役柄だ。自分の進言によって方伯のお家が異教徒をお城に住まわせるということは、改宗させられなければ重大な責任問題に発展する危険性を孕んでいるのだから。



「それに、ロベルト修道士が合理的な判断をしてくれたおかげで助かったが、ジブリールと反目するなら何か理由をつけてここを去らせるつもりだった。二人を天秤にかけてジブリールを取ったものの、失いたくないのはロベルト修道士も一緒だ。一度、ラースの前にドゥルカマーラとして出してしまっているのもあるし、あの慧眼、政治力、味方につけておくに越したことはない」


「ご進言を得ることが叶わなかったからと去らせてしまっては、異教徒を住まわせていると告発されて問題になるのではありませんか?」


「いや、その場合は追放された恨みで因縁をつけてきているということにすれば対応できる。困るのは、ロベルト修道士がこの家に招聘されていながら、自らの意志で告発した時だ。だからわざとジブリールが異教徒であると勘づかせ、その身元を明らかにした上で、俺はそれを知らなかったと言い切った。これで、どちらに転んでもロベルト修道士からの告発は封じられる。俺が参加しなかったのは、彼が俺に報告せず勝手に告発を行う可能性を考えてだ。二人きりで聞いた事実をどこで話すか、あるいは胸の内にしまっておくか、判断する裁量を与えた。告発しようとするなら即妨害し、先に追放するつもりでいた」



 言われてみれば、わざわざ修道士様の疑いの目を招くような変な筋書きだった。筆談のためとはいえ、そもそも音を判断材料にする治療に長けた耳の聞こえない医師の時点でおかしい。アルメニア人という設定も、私を通訳にすれば、ギリシア語による会話でギリシア人のふりができたはずだ。本当は二人きりで会話させる予定で、筆談は会話を記録に残すためのものだったのだろう。



「では、私が勝手に参加してしまったことはご計画外のことで、お困りだったのではありませんか? そうと教えてくださればお邪魔しませんでしたのに……」



 ヨハン様はまたしても、ふっ、と笑い声を漏らされる



「まぁ、確かにお前を居合わせさせるつもりはなかったんだが、お前がどのくらいの処世術を身に着けたのか、急に知りたくなってしまってな。ラッテ、どうだった?」


「はい、ヘカテーの働きは見事でした。ロベルト修道士がすんなりとあのような結論を出したのは、ヘカテーからの説得があったからこそでしょう」


「……ということは、お前は何も口出ししなかったのだな?」


「ええ、私は終始話を聞いていただけ、出る幕はありませんでした。彼女はロベルト修道士相手に一人でジブリール氏の価値を訴え、さらに改宗の可能性を示し、僅かな言葉で告発が愚かな選択肢であると思い至らせました」


「そうか。ヘカテー、よくやった。思わぬところで成長が見られて、俺は嬉しいぞ」


「も、もったいなきお言葉です!」



 思わず頬が緩んでしまう。やはり、ヨハン様にあまり真っ直ぐ褒めていただけると、少しくすぐったいような気持ちになる。



「……そういえば、なぜジブリールさんはあっさりとご自分が異教徒であると認められたのでしょうか」


「ああ、それか。ジブリールが信仰しているのはイスラームという宗教だ。イスラームはキリスト教以上に偽証に対して厳しいらしい。周辺から攻めるような問いかけ方であれば、いくらでもはぐらかすことができただろうが、正面からキリスト教徒かと問われれば否というほかないのさ」


「そういうことだったのですね。確かに、お耳についての問答では、一度も嘘をつくことなく、修道士様にご自分が耳が悪いのだと思いこませていました」


「だろう? 俺もあの問答には驚いた。あれでは危うく、異教徒であるということも明らかにならぬまま、脱臼治療の勉強を終えてしまうところだった。相手が勝手に思い込む分には偽証にならないということなんだろうが、誠実な態度とは言えないな? やはり型破りな男だ、ジブリールは。敬虔なのかそうでないのかまるでわからん」



 ははは、と高らかに笑うヨハン様。つられてラッテさんと私も一緒に笑う。ただ、どうしてだろう……ヨハン様の「誠実な態度とは言えない」というお言葉が、どこか、喉に小骨が引っ掛かったように、頭の中でこだましたのだった。

ここまでお読みくださりありがとうございます。また、ブックマーク・評価、そしてご感想を本当にありがとうございます! 大変励みになっております。


お知らせです。

この度、作品タイトルを変更することにいたしました。

新しいタイトルは『塔の医学録 ~悪魔に仕えたメイドの記~』です。

混乱防止のため、タイトル変更は次回更新時に行い、念のため旧題もカッコつきで残しておきます。


作品はまだまだ続きますので、今後ともお楽しみいただけましたら幸いです!

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