相談
「ラッテさん!? いつからそこにいたんですか!?」
「あんたらが入ってくる前からいたよ」
「さすがですね……」
全く気付かなかった。それは私だけでなく、修道士様とジブリールさんも同様のようだ。ラッテさんの専門は潜入とはいえ、とくに広くもないこの調理場の、一体どこにいたというのだろう。
「人間、いると思ってないものは見えねぇもんなんだよ……さて、修道士様。驚かせてしまい大変失礼いたしました。ここまでのお話、紙面上の会話も含め把握いたしました。続きはヨハン様を交えてお話しができればと存じます。まだ脱臼治療の練習も途中のところ恐縮ですが、よろしければ4階へ参りましょう」
ラッテさんに先導され、私たち3人はヨハン様の私室に向かう。
「ヨハン様、ラッテでございます。3人を連れてまいりました」
「意外と早かったな。入れ」
お部屋に入るなり、ラッテさんはヨハン様に紙を渡した。調理場で筆談に使っていたものだ。
「まずはこちらをお読みください。ロベルト修道士とジブリール氏の会話です」
「ふん」
ヨハン様はざっと目を通すと、鋭い目つきを保ったまま、口角をほんの少し上げられた。
「なるほど。ラッテがわざわざ全員連れてくるとは何事かと思ったが、ジブリールは異教徒であったのだな。ロベルト修道士、何故そのことに気づいた?」
「病を見つけたのならば、取り去る努力をすることを望まれているとの発言からです。病とは神罰であり、悔い改めることなくそれを取り去ろうとすることは主なる神に対する冒涜であると、信徒であれば誰でも知っているはずです。また、祖国の言葉にも触れていましたが、国規模でその考えを持っているとすれば、それはキリスト教国家とは考えにくいでしょう」
「そうか」
神罰、確かにそれは一般的な考え方だった。もちろん、放っておいて死ぬのが定めとは受け入れがたいので、皆健康に注意し、薬を用いはする。それでも、薬を買う経済的な支出と薬の苦みが反省を促すものとの言い訳をし、重篤な病には司祭を呼んで祈祷を行うのだ。他人の病を取り去ることを神に望まれているというジブリールさんの考え方は、病を神罰と解釈しないものであり、非常に突飛な考え方といえる。
「で、どうするべきだ?」
ヨハン様は修道士様に問いを投げかけられた。
「どうする、とはどういうことでしょう……?」
「貴殿は教師兼相談役だろう? 俺は今、兵力増強のために迎えた医師が異教徒だったと知って、扱いに困っている。相談がしたいのだ。ロベルト修道士よ、ジブリールをどうするべきだと思う?」
ヨハン様は小首を傾げ、目を細めて修道士様を見つめられる。瞳に宿るオリーブの輝きが、深淵を覗き込むように修道士様の心の内を推し量り、何かを試していらっしゃることを窺わせる。しかし、その細い指先は、神経質にテーブルを叩いていた。まるで、何かを怖がっていらっしゃるかのように。
修道士様は無表情のまましばらくその姿と向き合っていらしたが、やがて、はぁ、と疲れたようなため息を吐き、俯き加減に視線をそらしておっしゃった。
「ヘカテーさんより、ジブリールさんは遠方よりこちらへいらしたばかりだと伺っていますが、それは本当でしょうか?」
「ああ。アイユーブ帝国を横断する長旅をしてきてな、つい先月帝国にたどり着いたばかりだ」
「であれば、彼は異教の文化の中で育ち、それを当たり前のものと思って過ごしてきたのでしょう。また、修道士という私の身分を知っても攻撃的な態度に出ることはありませんでした。これは異教徒であっても反キリストではないということを示していると考えます」
「それはつまり、ここにジブリールを置いていても問題はないということか?」
「ええ、少なくとも現状ではそう判断いたします」
「それは良かった。実は、ジブリールは医学のみならずあらゆる学問を修めた天才でな、期待しているのは脱臼の治療だけではないのだ。どれだけ探してもなかなか手に入ることのない優秀な人材、できれば失いたくない」
「なるほど。脱臼の治療で、私もその片鱗を目にしております。今までのやり取りから察するに、彼の問題は異教徒であるという一点のみです。我々クリュニー会は、民衆の教化に努めるもの。私は一介の修道士であり、司祭ではございませんが、自分の力の及ぶ範囲で彼の宗教的問題を解決するように尽力いたしましょう」
「それは助かる。ではこの件、よろしく頼むぞ、ロベルト修道士」
「かしこまりました」
修道士様は軽く頭を下げて、ヨハン様の依頼を承諾した。それと同時に、テーブルを叩いていた音が止む。
「ジブリールをこの城に留め置くことに問題がないのであれば、まずは引き続き脱臼の治療を習得してもらわねばならんな。二人とも、まだ時間があれば下で続きを頼む。ジブリール、Παρακαλώ να τον διδάξετε ξανά.(また彼に教えてくれ)」
修道士様とジブリールさんは部屋を後にする。二人とのことだったので、私はそのままラッテさんと残ってヨハン様の言葉を待つ。
扉が閉まると、ヨハン様は姿勢を崩しておっしゃった。
「何とかなったか。まったく、貴族とは面倒なものだな」




