毎日使っていても
やはり、オイレさんはすぐにピットさんと話をつけてきてくれた。以前ラッテさんは、ウリさんと違って隠密のような扱いは難しいと結論付けていたが、目的もわからぬまま遺体を提供するという後ろ暗い内容の契約でも、お金さえ出せば請け負うと即答したそうだ。
「損得だけで動く人間はある意味で信頼できます。ウリが自分の仕事の後継に推したのも、ラッテが契約関係なら良しとしたのも、おそらくはそういう理由でしょう。死体は手に入り次第、私がいったん預かり、こちらまでお届けいたします」
「それで構わん。これからはジブリールも城の住人となる。いつ届いても取り立てて困ることはない……うん? どうしたジブリール、Υπάρχει κάτι λάθος;(何か気になるか?)」
見ると、ジブリールさんがオイレさんを見てどことなくそわそわとしていた。ヨハン様が問いかけると、少し躊躇してから、おもむろに紙とペンを所望した。そして、何かを書きつけると紙を突き出し、突然オイレさんの袖をまくってみせる。
『それは歯ですか? どうしてそんなものを作ったのでしょう? 君は噂に聞く処刑人なのですか?』
書かれていたのは、ドイツ語の短い疑問文が3つ。まくられた袖の下から覗いたのは、抜いた歯で作られたネックレスだった。オイレさんは今は隠密のお仕事しかしていないはずだが、歯抜き師の証であるそれを、今も手首に巻きつけて生活していたようだ。それは未練のためか、あるいはいつか必ず歯の治療でお役に立つのだという決意のためか……いずれにしても、オイレさんが決めるのは身に着ける理由であって、ネックレスを作ること自体は象徴以上の意味を持たない。そこに疑問を持つということは、サラセンでは歯抜き師がこのようなものを作る習慣がないのだろう。
オイレさんはすぐジブリールさんが帝国語は読み書きのみで喋れないということを理解したようで、笑顔でペンを貸すように手振りで示すと、3つの疑問文の下に返答を綴った。
『私は歯抜き師です。これは処刑ではなく、治療で抜いた歯で作ったものです』
『確かに欠けているものばかりですね。何かに使うのですか?』
『身分を示すのに使います。この国では歯抜き師は芸人の一種なので、医師のように身元や教養を保証してくれる人がいるわけではありません。患者の信用を得るには実績を見せるのが一番ということです』
お二人とも無言で、互いにペンを走らせる音だけを響かせているが、インクから熱気が溢れてこちらまで伝わってくるようだった。なんといっても医療の現場に立つ者同士、聞きたいことは山ほどあるはずだ。ヨハン様と私は、顔を見合わせて、二人が書きつけている紙をそっと覗き込んでみる。
『歯抜き師と言ってましたが、悪くなった歯を抜くのが仕事なのですか?』
『はい。抜いた後は薬を塗ったり、日頃から口の中をきちんと綺麗にしておくように寸劇で訴えたりしますね』
『素晴らしい! 自分の身体を自分でいたわることこそ、何よりも大切なことです。私の祖国では、いざ怪我や病気をした時になってようやく治療に訪れるだけで、防ぐという概念があまり浸透していませんでした』
『その点はこの国もそこまで浸透しているとは言えません。それより、私は抜く以外の治療法に興味があります! よろしければ教えてください』
『もちろんです! 例えば、悪い部分だけを削って、上から』
「待てジブリール、その話しっかり聞かせろ」
思わずドイツ語で投げられたヨハン様の言葉だったが、ジブリールさんはその中に自分の名前を聞き取ったためか、手を止めて目線を上にあげた。
「筆談だと、口での会話以上に他の者が入りにくくなる。質問がある者は手を挙げて知らせ、回答できる者が答える形にしよう」
ヨハン様はその旨を書きつけ、急遽、歯に関する質問会が開かれることとなった。
『虫歯の規模が小さい場合は、抜かずに削るという方法があります。もちろん痛いことに代わりはありませんが、抜くよりは身体の負担が少なくて済みます。そして、削った歯には、冠のように歯の上半分をかたどったものをかぶせるのです』
「はい、質問です!」
そこまで綴られたところで、オイレさんが勢いよく手を上げた。
『ただ被せただけでは、すぐに外れてしまいませんか? どうやって上半分を下半分にくっつけるのでしょう?』
『下半分にくっつけるのではなく、左右の歯にひっかけるのです。板状の金属をこのような形で巻きつけます』
ジブリールさんは、回答に簡単な図を添える。図でも会話できるところが、筆談形式の良いところだ。
今度はヨハン様の手が上がる。
『歯と歯の隙間は小さい。金属の板を入れたら、押される痛みと戦い続けなくてはならないのではないか?』
『大丈夫です。なぜなら、ほんの僅かずつですが、歯は移動します。伸ばした金属程度なら、ひと月もあればほどよい所に収まります』
その返答に、ジブリールさん以外の全員の口から驚きの息が漏れた。人の身体とは本当に不思議だ。自らの歯という、会話や食事の度に使うもののことですら、私たちはこんなにも知らないのだ。




