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話したい人

誤字報告ありがとうございました!

 今までであれば、お食事をお持ちする際に大体ヨハン様が話しかけてくださるので、話を切り出す機会は毎日あった。しかし、今は間の悪いことに、お部屋にも入れず、ヨハン様との接触も難しい状況が続いている。もちろん、さすがに私からヨハン様を訪ねていくことはできない。明朝居館に行ったとき、家政婦長のズザンナ様に相談するしかないだろう。


 ズザンナ様からヨハン様へと用件が伝わり、実際に外出の許可をいただくまでに、どれくらいの時間がかかるだろうか。不安が募るばかりで、眠れないまま夜が更けていく。


 日没後のこの時間帯は、本当に静かだ。この城に来てからは特にそう思う。


 それはきっと父のせいだ。

 私はもとから眠るのがさほど得意ではないので、夜中によく目を覚ましていたが、以前は目を覚ますと必ず父が気付いて話しかけてくれていた。


 父も眠りが浅い人で、私より早く寝るのも、私より遅く起きるのも見たことがない。夜中に目を覚ました時も、3回に1回は月明りで何か作業をしていたように思う。


 思えば父は不思議な人だ。実の親子であることは風貌から言って間違いないと思うが、いったいどこの出身で、どうしてレーレハウゼンにやってきたのか、高い教養と美しい所作はどこで身に着けたものなのかなど、私は父の素性を良く知らない。


 それは母も同じで、私は母の名前すら知らない。幼いころに母がどんな人だったのか尋ねた時、父は『聡明で、高潔で、誰よりも美しい人だったよ』とだけ答えた。

 そのまま話を進めれば詳しく知ることもできたのかもしれないが、答える父の表情があまりに悲痛で、私はそれ以上訊くことができなくなってしまったのだ。


 そして、別に知らなくても特に問題はなかった。すでにこの世の人ではない母のことを知ったところで会えるわけでもないし、父は母の分まで私を慈しんでくれた。細々と店を営み、商いのための知識を時折私に授け、豊かではなくとも困ることはない生活を私に提供してくれていた。昔の父がどうであろうと、目の前の父が私をまっすぐに愛してくれているという事実だけで私には十分だった。


 しかし、最近ギリシア語を勉強して、自分の出自が気になってきていたさなかの、この思いがけない紙である。与えられる愛だけを当たり前に享受して、その愛をくれる存在のことをほとんど知らないという事実に、私はある種の恥ずかしさも感じていた。


 この紙が何かの間違いで、父が生きていることを願う。生きていたら、今度はもっと父のことを知りたい。どんな人生を歩んできたのか、本人に直接尋ねてみたい。


 ああ、もう空が白んできた。今は考えても事態は何も動かないのに、考え事がやまないまま朝を迎えてしまったようだ。


 この時間帯から眠るとかえって寝坊をしてしまいそうなので、私はあきらめて寝床から出ることにした。


 朝の支度を整えると、私はすぐにでも家に帰れるようにしておいた。書いてあった言葉が本当であった場合に備えての準備と、間違いであることを信じて父へのお土産。

 あとは半ば強迫観念のようにギリシア語の勉強をして、昼食を受け取りに行くまでの時間をつぶす。


 しかし、やはり私は相当に混乱していたようだ。一番肝心の準備を忘れていたことに気づいたのは、ズザンナ様にお会いしてからだった。



「いきなり何を言い出すの? 勝手な真似は許さないよ」


「ですから、父が亡くなったとの連絡が入ったので、確認のためにお休みをいただきたいのです」


「見え透いた嘘を言うんじゃない。塔の中に閉じこもっていて、いったい誰がどうやってお前に直接連絡を寄こすというのさ」



 そう、ズザンナ様をどう説得するかを、全く考えていなかったのだ。さすがに親の葬儀とあれば取り次いでくれるものと疑っていなかった。



「その……窓から手紙が入りまして」


「いい加減におし。紙なんて貴重なもの、直接手渡すならまだしも、はしごもない3階の窓から投げ入れる馬鹿がいるわけがない」


「いえ、本当です。たった一言ではありますが、こちらが窓から入りました」


「これはお前の国の言葉? わたしが読めないからって適当なものを見せて」


「適当ではございません。私はただ……」


「まさかヨハン様のお手元からくすねたんじゃないだろうね? まったく異邦人は手が早い。ちょっと顔を気に入られたからって調子に乗っているんだろう。お前は肩書は専属メイドでも、実態はただの娼婦だ。ヨハン様の後ろ盾があるからと、私が甘く見てやるとでも思ったのかい?」



 ズザンナ様には読めないのだから仕方がないが、紙を見せても証拠とは思っていただけなかった。こうなると、どのように交渉してよいものかわからない。何しろ、窓から入ってきたこの不審な紙以外に、父の安否を示すものは一切ないのだ。


 そんな時、思いがけないところから援軍がやってきた。



「何を話しているのですか?」



 部屋に入ってきたのは、執事のクラウス様だ。優しく穏やかな声で私たちに話しかけると、にこやかにこちらに歩みを進めてきた。



「ズザンナさん、少し聞こえてきましたが、ヘカテーの様子を見るにただのわがままとは思えません。私に話を代わっていただけますか?」

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[一言] クラウスは理解者のようでよかったですぞ! ズザンナは絵に描いたようないけすかなさですな!
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