なぜ彼は
ティッセンのお家とイェーガーのお家は同じ皇党派を二分する柱として、敵対こそしないものの、何世代にもわたって慣れあうことのない対立関係を保ってきたのだと聞いている。以前ベルンハルト様も、ティッセン宮中伯がフェルトロイムト城にやってくることはないとおっしゃっていた。その壁は簡単に切り崩せるものではない。
しかし、今まで多くの政治工作を成功させてきたヨハン様なら、きっとすぐお互いに利のある形で手を組むように持って行ってしまわれるだろう。現在の皇帝、エーベルハルト1世は邪悪なる簒奪者。無実の人を拷問にかけ、隣の国や民族を戦争に巻き込み、前の皇帝を処刑して無理やり手に入れた帝位である。したがって、エーベルハルト1世に対抗するための一時的な協力であれば取り付けられるはずだ。
おそらく、難しいのはその協力関係を維持すること。ヨハン様にとっての最終的な目的は、ご領主様、つまりヨハン様のお父様であるイェーガー方伯様を皇帝とすることだ。少なくとも現時点では、これがティッセン宮中伯に受け入れられる選択肢であるとは思えない。悟られてしまえば、協力関係の維持が難しいばかりか、対立するほかの候補者を立てるなど、何かしらの対策も取られてしまう。それに、ヨハン様がティッセンのお家へ隠密を放っているということは、逆もまた然り。探られている前提で行動しなければならない。
ヨハン様は祖父のことがわかった、とこともなげにおっしゃるが、その裏では凄絶な探り合いが行われていたはずだ。
「お忙しい中、祖父のことを調べてくださってありがとうございます」
私は改めて深く礼をした。先ほどもお礼を言いはしたが、状況をよく考えればつられて笑っている場合ではないと気づいたからだ。薬学本の件があったとはいえ、片手間にできる事とはとても思えなかった。
「そんなに畏まるな。別にお前の祖父のことを集中して調べたわけではない。詳しく調べるまでもなく簡単に話が入ってくるほどの有名人だったぞ」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。何か国語もを操り、ドイツ語も流暢で、諸外国の情勢にも詳しい。知識として知るだけでなく、頭がよく回り、突拍子もない策を思いついたりもするそうだ。ティッセン宮中伯に仕える者たちの間では、わからないことがあればとりあえずソウスケに訊け、と言われているらしいぞ。まぁ、見た目は醜く、礼儀作法と読み書きに疎いという話もあったが、それで馬鹿にするものは後で痛い目を見るとのことだった」
「後で痛い目を見る、ですか……」
「どう仕返しをするかは知らんが、そこはさすが元遍歴商人といったところだな。それにしても、あの父親といい、お前にはとんでもない血が流れているものだ。お前もたまに片鱗を見せるが、その牙を目覚めさせてはくれるなよ?」
「滅相もございません!」
ヨハン様は相変わらず愉快そうに笑ってそうおっしゃるが、自分にそんな凶暴な血が流れているとは思えない。宮中伯を裏切り、私にもそれを隠し続けていたとはいえ、私の記憶にある父はあくまで優しく上品な人物だ。ケーターさんのお話でも、理想的な騎士という印象が強い。
「そういえば……祖父は、何故ティッセン宮中伯に仕え続けることにしたのでしょう? 前宮中伯に心酔したとしても、主君に束縛されることのない下級騎士ならば、代が変わればまた商人に戻ってしまいそうな気がいたしますが」
祖父のことは何も聞かされていないが、以前貿易商のキリロスさんとお会いした時のことが思い出される。「遍歴商人は刺激を求め、目的のために危険に身を投じる事を厭わない者たちです。我々と同じく、あるいは我々以上に」……キリロスさんは笑いながらそう語った。そんな、通常なら安定した地位など求めるはずのない者が、何故未だにティッセン宮中伯に仕え続けているのか。『可もなく不可もなく』、『お人好し』、そんな言葉で形容される方の、何がそんなにも祖父を惹きつけているのだろうか。
「さぁな、そこまではわからん。そもそも、忠誠を誓う理由などというのは心の内にあるごく個人的なことだ。そうそう言いふらすものでもない」
「確かに、おっしゃる通りですね」
「だが、宮中伯と手を組むにあたり、そこを探るのは良い案だな。お前の祖父が惹かれる理由を通して、普段宮廷では聞こえてこない宮中伯の裏の顔を知ることができれば、交渉において大きな切り札となる……今後の情報収集では、お前の祖父を主な標的とするか」
「えっ!?」
急な展開に困惑していると、ヨハン様は宥めるように続けられる。
「標的といっても、情報戦の話だ。別に危害を加えはしない」
「それは承知しておりますが……」
「俺も前から気になっていたのさ。今までの情報からすれば、ティッセン宮中伯は際立って優秀な人物とは思えない。必ず勝てるだろう勝負を見逃して利益を逃すような事も多いのだ。しかし、それにしては下手を打ったこともない。わざと愚鈍なふりをしている可能性も大いにある」
明るい雰囲気から一転、オリーブの瞳に鋭い光が宿る。隠密を束ねる、方伯のご子息としてのお顔。
「もし、目先の大きな利益を諦めて、周囲に一切気づかれぬうちに、何かさらに大きなものを手にしていたとしたら……宮中伯は先代以上のとんでもない人物だ。お前の祖父という存在は、その本性を知る大きな手掛かりとなるかもしれない」




