薬屋と隠密と
ほどなくして、大量の薬草が届いた。芒硝石は、ヨハン様が以前取り寄せられていたものを利用することとなり、正体が不明で入手できないソボクとモクツウ以外の材料は揃ったこととなる。
しかし、私には目の前の光景が気になりすぎて、きちんと作業に集中できないでいた。
「今回作る薬は、東方の知人より教えてもらったもので、最終的にはお湯で煮出して服用します。まず必要なのは、量を測ったり配合したりしやすいように、薬草を細かく刻むことです。ラースさん、あなたが一番手慣れているでしょうから、皆の前で手本を示してください」
「かしこまりました、ドゥルカマーラ先生!」
……そう。届いたのは薬草だけではない。薬屋のラースさん本人ごと、この塔にやってきたのである。
話は朝に遡る。私の部屋の扉が、久しぶりにロベルト修道士様以外の人によって叩かれた。
「ヘカテーちゃん、おはよぉ。悪いけど今日は忙しくなるよぉ、手短に説明するから色々頭に入れておいて」
「オイレさん? 何かあったのですか?」
「ラースが来るんだ、薬屋の。それで、ドゥルカマーラ先生も初めてのお披露目ってわけ」
「ドゥルカマーラ先生……ということは、ロベルト修道士様とラースさんの顔合わせということですか?」
「単なる顔合わせじゃないよぉ。この間、君がベルンハルト様に渡したいといった薬を、みんなで作るんだ。ラースさんの観察眼と口の堅さ、ロベルト修道士様の演技力の両方を試しつつ、修道士様が一体何を隠しているのか、ちょっとでも探れたらっていう、ヨハン様のお考えでねぇ」
オイレさんはニコニコと楽しそうに話しているが、綱渡りのような試みに思える。修道士様が偽物だと勘づかれてしまう可能性もあるし、オイレさんがあのオイレさんだとバレてしまったらまた大変なことになりそうだ。
「随分と急ですね……それに、オイレさんは手配中ですよね? ラースさんと顔を合わせるのは危険なのでは……?」
「うん! だから今日は僕のこと、オイゲンさんって呼んでね!」
「オイゲンさん、ですか。オイレさんをもじったような名前ですね」
「違うよぉ、こっちが本名なんだよぉ」
「え」
唐突に明かされるオイレさんの本名。なんとなく、謎の多い隠密の中でも一番不思議なオイレさんは、決して本名を明かさないものだと思っていた。とはいえ、オイレさんの場合、口では本名だと言っていても、それが本当なのかはいまいち信頼できない。
「……わかりました、今日はオイゲンさんとお呼びしますね。身分もなにか別の設定があるのですよね?」
「さすがはヘカテーちゃん、鋭いね。もちろんそうだよ、今日の僕はドゥルカマーラ先生の助手。下級貴族の三男坊で、先生に預けられて医師を志している。いい?」
「承知いたしました。ちなみに私は……?」
「君は、人手の補充のために貸し出してもらったメイドさん。今日はヘカテーちゃんじゃなくてヴィオラさんって呼ぶね。それから、ヨハン様は参加されないよ。僕たちはベルンハルト様の遠征に必要な薬を作るために場所をお借りしているだけ。君は嘘が苦手だけど、ロベルト修道士様をドゥルカマーラ先生、僕のことをオイゲンさんと呼ぶ以外の嘘は必要ないから安心してねぇ」
そんな打ち合わせののち、ロベルト修道士様が合流し、みんなでラースさんを迎えた結果が、今の調理場での光景だ。
「根は垂直に刃を下ろすよりも、少し斜めにした方が切りやすいです。大きさは……このぐらいでよろしいでしょうか、先生?」
「十分でしょう」
「ありがとうございます! ……とのことなので、この大きさで刻んでいきましょう。根を刻むのは力がいるので、オイゲンさんと私でやりましょう。ヴィオラさんは同じくらいの大きさで、オレンジの皮とルバーブをお願いします。樹皮と石は刃物よりもすり鉢を使ったほうが良いと思うので、あとで手分けして行いましょう」
形としてはドゥルカマーラ先生の指示のもとにみんなで作業しているが、実質、この部屋の主役はラースさんだった。ラースさんは手際が良い。ご自分の作業も早く、オイレさんと私への指示も適切だ。そして、ドゥルカマーラ先生への尊敬の念は非常に強く、興奮を抑えきれないといった様子だ。
「ああ、それにしても、ついに憧れの先生のお役に立てるなんて! 街に戻ったら皆に自慢したいです。私たちドゥルカマーラ学派は、先生のご著書のみで必死に勉強していたのですよ」
「それは良かった。学問は貴族だけのものではありません。あなたのような方が他にもいらっしゃると思うと、私はとても嬉しいですよ、ラースさん」
「もったいなきお言葉です、ドゥルカマーラ先生! あ、ちなみに作業が終わったら、ご著書についていくつか質問をさせていただいても……?」
「ラースさん、残念ながら、先生はこの後のご予定が詰まっています」
すかさずオイレさんが却下した。それをわかっていたのか、口を開こうとしないロベルト修道士様。
「先生は現在、ご領主様のご子息の教師としてお働きなのです。以前にも増してお忙しく、この薬づくりの作業もできるだけ早く終わらせなければなりません」
「そうですか……そうですよね、失礼いたしました」
がっくりと肩を落とすラースさんに、修道士様はそっと声を掛ける。
「この薬ができれば、ご領主様に対する大きな貢献となります。あなたと質疑応答の時間を取らせていただけるよう、私からご子息へお願いしておきましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
ラースさんは目を輝かせ、根を刻む速さがさらに上がった。今のところ、ロベルト修道士様のことを疑っている様子はない。そんなラースさんと修道士様のやり取りを、オイレさんは静かに見守っている。しかし、その眼差しから、私はどんな感情も読み取ることはできなかった。




