手掛かり
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ラッテさんの連れてきたロベルト修道士様は、私の思い描いている修道士像とは少し異なる方だった。白いものが混じり始めた髪の毛と、眉間に深く刻まれた皴。眼光は鋭く知性を感じさせるが、全体的にどこか疲れたような陰鬱な雰囲気を纏っている。ご挨拶の時でさえも、表情は硬いままで、ヨハン様に対して笑みを向けることもなかった。
「ロベルト修道士、遠方よりご足労感謝する。ラッテから詳細は聞いているか?」
「はい。この度は学者としてお招きいただき、主に神学と薬学の面からご助言をさせていただくと伺っております。また、必要に応じて人前で医学者の演技をすると……」
「そうだ。修道士に演技をさせるのは申し訳ないが、これも無益な争いを避けるためだ。理解してもらえると助かる」
「構いませんとも。もとより人間とは演技をするものです。貴族だろうと教会関係者だろうと関係ございません」
「ははは、やはりラッテが連れてくるだけのことはある! とはいえ、先日の皇帝交代に係る仕事が山積みでな、俺は今学問にかける時間があまりないのだ。当面はそこにいる彼女にラテン語や薬学を教えてやってくれ。本名ではないが、ここでは仮にヘカテーと呼んでいる」
「よろしくお願いいたします、ロベルト修道士様」
「こちらこそ」
ご紹介を受けて私が礼をすると、憮然としたお顔のまま礼を返される。取っつきづらいお方だ。これから何度も顔を合わせることを思うと、少し憂鬱に思った。
「それから、2つ頼みたいことがある。実は先日、配下の一人が死んだ。俺も人の上に立つ身、それ自体は珍しいことでもないが……妻も子もある男を、俺の失策で死なせてしまったのだ。彼のために祈ってくれるか」
「もちろんでございます。もう一つというのは?」
「兄が十字軍に参加することとなった。道中の安全と、無事帰還することを祈ってくれ」
「ベルンハルト様が!? エルサレムまで向かわれるのですか!?」
寝耳に水だった。隠密の方々との会議に同席することも多くなってきていたが、やはり私の知らないところで進んでいる話も多いようだ。
「……ああ。かの有名な『黄金のベルンハルト』の力があれば士気が上がり戦況も変わろう、との話だったが、その実は父上に対する報復と牽制だ。軍の提供のみならず、跡取り息子が遠くエルサレムまで遠征し、もう一人の息子が幽閉中となれば、父上に何かあった時引き継ぐものがいなくなる……しかし、先の会議でリッチュル辺境伯を謀反で告発している以上、皇帝に対する恭順を態度で示すためには、受け入れざるを得なかった」
「かしこまりました。すべては御心のままに、信じる者を主はお救いになるでしょう」
ロベルト修道士様は十字を切って答えた。
「正しき者を、とは言わないのだな」
「ええ、聖地を取り返したいというのは人の欲です。イエス・キリストはエルサレムを奪還せよとも、異教徒を殺せとも、語られませんでした。聖書に記載されていないことまでは、私に判断できるところではございませんので」
「そうか……やはり今回も当たりを引いたな。ラッテ、良い働きだった」
「もったいなきお言葉にございます」
「では、今日は顔合わせのみで失礼する。ヘカテー、良ければ簡単に塔を案内してやってくれ。一旦は自室と調理場のみで良い」
「かしこまりました。ではこちらへ」
私は修道士様を連れて退室した。先に調理場をお見せした後、自室に向かう。
「本棚はないのですが、薬学関連の本はほとんど私の部屋にお借りしています。下へ参りましょう」
3階に着くと、私の部屋の扉を開け、修道士様を中に招く。
「こちらが私の部屋です。先ほど言った、ヨハン様からお借りしている本は、そこのチェストにおいております。ヨハン様に呼ばれた時以外は大体こちらにおりますので、ご入用でしたらいつでもお声掛けください。ただし、事情により六時課と終課のあたりは部屋から出ることができません」
私が本をお見せすると、修道士様は目を瞠られた。
「こんなにたくさんの本! アプレイウス・プラトニクスの『本草書』まで……それに、あなたはギリシア語がおできになるのですね? 失礼ながら、もしかしてギリシアのお生まれですか?」
「えっと……実は、血筋はギリシアが混ざっているのですが、私自身は生まれも育ちも帝国です。ギリシア語はヨハン様に教えていただきました」
「なるほど。ヨハン様の博学さはラッテさんより伺っていましたが、想像以上でした。ところで、一番上が調理場、4階がヨハン様のお部屋……この下の階は金庫か何かですか?」
「金庫というか、薬草などを保管しています」
この部屋に言及されなかったということは、ヨハン様は書庫を修道士様に見せるべきではないと判断されているということだ。その理由は解剖の痕跡にあると思い、私は薬草のみをお話しする。
「薬草……お城には薬草園もあると思いますが、収穫物をわざわざ塔に保管しているのですか?」
「お城での収穫物以外に、教会や薬屋から買ったもの、領地内に自生していたものなどがあるのです」
「自生していたもの? どういうことでしょう?」
「シコンという植物で、実は薬草としては伝わっておらず、今まで雑草と思われていたのですが……遍歴商人だった私の祖父が持っていた本に薬効が記されていたので、ヨハン様が独自に集められるようになりました」
念のため本の出どころについては伏せることにした。先ほどの戦争についてのご返答を聞く限り、異教徒に対して強い嫌悪感をお持ちではなさそうだが、修道士様が相手だ。キリロスさん曰くサラセンより更に東のものとのだったので、イスラームのものではなさそうだが、異教の本であることに代わりはないだろう。
「そうですか。私は先ほど、あなたに薬学を教えるように言われましたが……どこまでお教えすることがあるのか、不安になりますね」
「そんなことをおっしゃらないでください。私はまだ学び始めたばかりで、賢い女というわけではありません。シコンについて書かれていた本も、私の祖父が持っていたというだけで、私自身は中身をしっかり読んではおりませんでしたので……」
「そうですか。では、お互い切磋琢磨していきましょう」
修道士様は淡々と答えつつも、何かに納得されたご様子だった。
「ヘカテーさんは、この塔からは外へは出られないのですか?」
「はい。残念ながら、ヨハン様も私も、塔から出ることは許されておりません……」
「なら良かったです。ご出自に関することを不用意に話されるので、少し心配いたしましたよ」
「えっ?」
そして、修道士様は硬い表情を崩すことなく、衝撃的な一言をおっしゃったのだった。
「ヘカテーさん、あなたはティッセン宮中伯夫人のご息女でしょう? この短い間の会話で、手掛かりが多すぎます。他人と話すときは、もう少しお気を付けになられたほうがよろしいかと」




