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死の天使

オイレ視点です。処刑についての描写があります。苦手な方はご注意ください。

 帝都に着いた僕は、シュピネとケーターと早々に合流し、数日間諜報と観光を楽しんだのち、今日という日を迎えた。レーレハウゼンも活気のある街だが、やはり帝都には及ばない。芸人として旅していた時はもちろん、隠密になってからも、僕に指令が下るときは大体客を集める側だったので、完全なお客さん目線で街を歩くのは新鮮な気持ちだ。


 それにしても、処刑ほど人気のある娯楽もないよね。芸人の中でも相当人目を惹く僕の大道芸でも、さすがにここまで多くの人々を集めるのは無理だ。人が苦しみ、死ぬ。ただそれだけの出来事の、一体何が人々を惹きつけるんだろう? 僕も処刑は何度も見ているが、正直そこまで面白いとは思わない。幼い時から人の死を見慣れ過ぎたせいかもしれないけど……


 でもそんな処刑、しかも殺されるのが前の皇帝となれば、街はお祭り騒ぎだ。待ち時間で賭博に興ずる男たち、奇声に近い笑い声をあげながら群衆の間を縫って走り回る浮浪児、さりげなく良い場所を陣取って編み物をする婆さん……誰もが、ご立派なお方(・・・・・・)の最期を見届けるためにこの場所に集まっているわけだ。


 さて、そろそろ始まる。犠牲者を運ぶ列が近づいてきた。人除けに捕吏と騎士に囲まれて……なんだあれ、もうボロボロじゃないか! 縄で後ろ手に縛られたディートリヒ3世は、その両脇を騎士に支えられている。どうやらもはや歩ける状態にないらしい。それでも、使い物にならなくなった足で、形だけでも自ら歩みを進める彼の顔には、毅然とした表情のみが浮かんでいた。笑い声と共に飛んでくる石や卵を、両脇の騎士が懸命に払いのけている。


 白い砂で妙に綺麗に飾り付けられた処刑場と、傍らに立つ白装束のウリ。白を基調としているのにはきっと、神聖な雰囲気を演出するためと、飛び散る血をできるだけ目立たせるための2つの意味がある。もし予定通りウリが刃をつぶした斧を使ったなら、まさしく天罰のように見えるんだろうなぁ。


 ともあれ、一行がそこにたどり着くと、ディートリヒ3世は一人処刑台の中央に座らされ、罪状が読みあげられた。



「エーベルハルト皇帝陛下のご下命により、これよりディートリヒ・フォン・エーレンベルクの処刑を執り行う! この者は、一切その資格を持たぬにもかかわらず、皇帝を僭称し、10年以上に渡り帝国臣民を騙して玉座に座り続けた。帝国及び教皇猊下に対する重大な反逆である!」




 がやがやと(はや)し立てる観衆は、今読み上げられた罪状の中身を三分の一も理解はしていないだろう。最高に高貴な身分のお方が目の前で死ぬという事実に興奮しているだけだ。


 でも、編み物の手を止めて穏やかに微笑む婆さんや、走り回っては飛び上がり、大人の頭の隙間から何とかその様子を覗こうとする子供。僕はもう大道芸人ではなくなってしまったけど、これは芸をするときにいつも一番望んでいた光景そのものだ。少し嫉妬するなぁ。



「……よって、この者を斬首の刑に処す!」



 宣言された方法は斬首。それは名誉を穢されることのない……要するに、刑吏に触れられることのない処刑だ。まぁ、ウリに()が支給された時点でわかっていたことではあるけれど。前皇帝ということを抜きにしても、流石にそれ以外の方法で処刑を行うには身分が高すぎたんだな。とはいえ、呼ばれた名前は只の「ディートリヒ・フォン・エーレンベルク」、エーレンベルク公として死ぬことは叶わなかったってことか。


 ウリが一歩前に進み出ると、観衆のざわめきが止む。



 ……そして、予想外のことが起こった。ウリは嘲るように斧を見せつけるのでもなく、そのままさっさと振り下ろすのでもなく、斧から手を放して(うやうや)しく跪き、礼をしたのだ。



「聖なる(しゅ)、全能の御父、永遠の天主、(しゅ)がこの世の闇より永遠の光に招き給いしこのしもべのために願い奉る。願わくは、彼をして(しゅ)の楽園に住まわしめ給え」



 ぼそぼそとした小さな声だったが、僕には確かに聞こえた。それは死者のために捧げる祈り。地獄の業火に焼かれよとの呪いの言葉ではなく、惜しまれて亡くなる人に死後の平安を祈るものだった。


 純白に金糸の入った衣装を着た、男とも女ともつかない白髪の美しい人物が、白い布に飾られた台の上で、跪き祈る。ああ、これはどう見ても、罪人の前に立つ刑吏ではなく、これから天に召される高貴な人の前に迎えに訪れた天使だ。「どうせやるなら派手にかましてやりてぇ」って、そういうことか。なかなかやるねぇ。人間離れした美貌を際立たせるために、毎日頑張って『愛の妙薬』で肌を手入れしていた彼を想像して、僕はちょっと笑ってしまいそうになる。


 驚きに目を(みは)っていた前皇帝(・・・)だったが、やがてその意図を汲むと、誇りに満ちた微笑を浮かべた。



「御身を傷つけることを、お許しください」



 聞こえるか聞こえないかの小さな声に、前皇帝は微かな頷きをもって答え、首を落としやすいように自らうつむいてその時を待つ。縛られ、傷だらけで、みすぼらしい服を纏った状態であっても、かつて皇帝として君臨していた者の威厳に満ちた姿だ。


 ウリは立ち上がり、斧を手に取ると、彼の斜め後ろに立った。観衆が声を上げる間もなく、振り下ろされる白銀の斧。そのまま前皇帝の頭は身体から離れ、床に落ち、転がることなく前を見て静止した。少し遅れて、胴体から吹き出る大量の血が、じわりじわりと白い砂を赤黒く染めていく。


 再び跪き、深く敬意を表したウリはしかし、そのまま立ち去ることはなかった。呆気にとられ、静寂に包まれたままの観衆。落とした首から流れる血の水音。ウリは一歩だけ前に出て、観衆を見渡した。純白だった衣装は、裾の方から徐々に、瞳と同じ真紅へと色を変じていく。その足元を眺めるように俯いて、徐に口を開いた。



「俺は刑吏だ。生まれた時からこの身は呪われている。持っているのは人を痛めつけ、殺す力だけで、たとえその相手が明らかに濡れ衣であろうと、それを抗議する力は持たねぇ。言われるままにただ殺すんだ」



 何を言い始めるんだ? 逃げないと危ないのに。すぐに向かうから早く下がってよ。



「今日もそうだ。俺はこのお方のことよく知らねぇが、死ななきゃならねぇほどの道理はなかったろうと思うぜ。何しろ、本当は刃を潰した斧で、一度で死なさず苦しませる予定だった。そんなことを命じるお方と、誇り高く、潔く散っていったこのお方と、どっちが皇帝に相応(ふさわ)しかったと思うね?」



 さほど大きくもないはずの、少ししゃがれた彼の声が、静けさのせいで良く響いている。誰もがその場に縛り付けられたように動けぬまま、その眼を彼に向けている……それもそうか、罵声で(さえぎ)るには、この光景はあまりにも美しすぎるんだ。

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