泥中の金
ブックマーク・評価・誤字報告等、いつも本当にありがとうございます!!
お陰様で、推理ジャンル年間7位となりました。引き続きお楽しみいただけるように頑張ります!
今回のお話はある修道士の視点です。
「ロベルト修道士様、今日も大変ですね。他の方のお仕事まで片付けられて」
驚きつつ振り返ると、屈託のない笑顔。その小柄な男は当たり前のように、私の後ろに立っていた。
「ああ、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。私はルッツと申します。何度かお会いしておりますが、お話しするのは初めてでしたね」
「ルッツさん、ですか」
そういえばよく見かける顔のような気がしないでもない。周囲の他の人間も、彼がここにいることに一切疑問を持っていないようだ。しかし、一般信徒が教会のこんな奥の部屋までやってくるだろうか。そして、今私の片づけている書類が自分の仕事ではないと、彼はどうしてわかるのだろう。
「わざわざここまでお運びいただいて、何かご用でしょうか?」
「実は、二つほどお願いがあって参りました」
「私に?」
「ええ、ロベルト修道士様にお願いがあるのです」
明確に自分を名指ししてくることに少し困惑する。私はこの参事会教会において、司牧活動にそこまで積極的というわけではない。市民が何か助けを求めるというのなら、もっと日ごろから親しく話すような修道士か、もっと権威のある司祭などが相談先になりそうなものだが、何故私なのか。
改めて彼のことを眺めてみるが、眼差しは温かく、10年来の知人かのような距離感で見つめてくる。いつごろからこの教会に通っていたのか、記憶も曖昧だ。
「ルッツさん、私は主の僕です。主は弱きものを助けよとおっしゃいました。故に、何かお困りであるのなら、もちろん手を差し伸べるのが私の務めです……そのお願いというのは緊急のご用件ですか?」
「お優しいお言葉、痛み入ります。用件は緊急ですが、今すぐでなくても構いません。ここから先のお話は、二人きりでさせていただけますと助かりますので」
「……失礼ながら、助かる、というのは?」
「もちろん、修道士様にとってもですよ」
緊急の用件で、二人で話したいこと。親しくもない間柄から突然持ち込まれるこの手の話は、たいていが厄介ごとだ。しかし、悪い話を持ってくる者は、欲や恐怖、悪意といった感情で眼が濁り、表情にも居心地の悪さが出るか、逆に食い物にしてやろうという居直りが見て取れるもの。ルッツと名乗った男には、むしろ騎士のような誠実さが感じられる。『お願い』とやらを受けるかどうかは別として、話だけは聞いておいたほうが良いような気がした。
「それでは、終課の終わった頃にまたここへいらしてください。その時間になれば、大抵残っているのは私だけですので」
「ありがとうございます」
不思議な男は嬉しそうに礼をして帰っていった。商人のような姿をしていたが、おそらく実際の職業は別だろう。どこぞの騎士の従者か、下級騎士か何かが身をやつしているのか、あるいは……
終課を終え奥の部屋に戻ると、佇む人影がある。やはり先に待っていたか。
「それでお話とは何でしょう?」
「……早速ですね、修道士様。そういうところも見込ませていただきました」
「そういうところ?」
「合理的で仕事が早いところです」
「私の仕事が早いですって? いつも最後まで残っていますがね」
「それは量の問題です。ご自身のお仕事だけならば半分の時間で済まされているでしょう? この教会のお仕事も、属する同盟に関わる仕事もそつなくこなしていらっしゃいます。しかし、その手腕でこの教会を支えながらも、他の修道士様とは互いに距離を置き、同盟の正義を騙った悪徳に流されてはいない」
その一言で、私は彼に対して警戒心を強める。聖堂参事会同盟のことを知っていて、尚且つそれを快く思っていない人物。関係者に接触が知られれば、嫌われ者の私など、異端の濡れ衣を着せられて口を封じられかねない。やはりこれは厄介ごとのようだ。
身構える私をよそに、彼は続ける。
「実は、私はとある皇党派貴族の方の使いです。表沙汰になってはいませんが、今、ある人物が皇位を奪おうとしているのではないかと目されています。お心当たりはおありですね?」
「奪う、とは結構な言い方ですね」
私はあえて質問に答えず、様子を探る。ディートリヒ3世は選帝侯会議を通って皇帝を名乗ってはいるが、教皇聖下からの戴冠を受けてはいない。帝国内では皇帝として認識されていようと、神の代理人よりその地を治めることを認められていない以上、僭称と言われても言い訳のできない立場である。
「そうでしょうか? 陛下は敬虔なる信徒であり、諸侯の合意によって選ばれた、正当な皇位をお持ちの方です」
「それは貴族の方々の考えにすぎません。正当な皇位とは教皇聖下に認められてこそのもの。そして、どなたが皇位に就こうと、所詮民の生活には関係がないのです」
「本当にそう思われますか?」
ルッツ氏の眼が一瞬鋭く光る。私は溜息を吐いた。
「……あなたがおっしゃりたいお話の内容はわかります。もちろん、今の陛下の治世が続くのが最も混乱はないでしょう。しかし、皇帝が二人いて争いにより民の命が散るよりは、正式に戴冠された皇帝を新しくいただき、今の陛下には退いていただく方が良いのです。仮初の王のもとでは、対立王が生まれる可能性は常にあります。教皇聖下による戴冠がない限り、皇位争いの危険と隣り合わせです」
「なるほど。ちなみに次の皇帝が登場するのはいつでしょう?」
「さぁ? 数日でしょうかね」
「……ありがとうございます。一つ目のお願いは、今の情報をいただくことでした。ところで、」
ルッツ氏が再び目を細めた。
「ロベルト修道士様。先ほどのお話、今の陛下には退いていただくだけで終わるとお思いですか? 新しい皇帝となる方が、どのような方かはご存じでしょうか?」
「それは、どういう意味です?」
「そのままの意味です。もし、今秘密裏にローマに向かっている人物が皇位を継ぐのなら、帝国の安寧は得られないでしょう」
「なるほど……」
私は彼のことを、単に貴族の勢力争いに加担しているのだと判断していたが、そうではなかった。リッチュル辺境伯が皇位に就くべき人間でないことを知っていて、それを阻止するために動いていたのだ。騎士ではないかと思わせる雰囲気があったのは、死線を潜り抜けてきたであろう気迫だけでなく、その使命感によるものか。
「……だとしても、もう全ての準備は為された後です。老いぼれた末端の修道士にできることなど、何もありません。残念ながら、ここは既に汚泥に塗れています。私は自分の所属する教会が黴て行くのを眺めながら、気をそらすように読書に打ち込む事しかできないのですよ」
「そこで、二つ目のお願いです」
目の前に2枚の羊皮紙が差し出される。そこにはどちらも学者を招聘する旨が書かれていた。招聘する学者の名前として、1枚には『ガエターノ・ドゥルカマーラ』という名があり、もう1枚は空欄だ。そして何より……
「この紋章は、イェーガー方伯!?」
予想外の大物に思わず声を上げる。
「はい。正確にはそのご子息です。あなたのような方を探していました。周囲に歪められることなくその清白さを保ち、内なる神と真摯に対話し、それでいて神学以外の書物とも向き合われるお方……その知恵と言う名の金をひとりで抱えたまま泥に埋もれてしまうより、いっそ私の主と学問に打ち込んではみませんか?」
「在俗の修道士が助言役として諸侯に招聘されることはよくありますが……学者として赴くのですか? これは一体どういうことでしょう、ルッツさん」
「ああ、以後はラッテとお呼びください」
「溝鼠ですって!?」
「汚い溝鼠が真に忠誠を捧げたくなるほどのお方がいるということですよ。私のお仕えするヨハン=アルブレヒト様は、稀代の戦術家にして、帝国一の医学者なのです」
信じられない名を名乗った目の前の小男には、たしかに一点の曇りもない忠誠心が、一本の芯となって通っているようだった。
ついに修道士キャラ参戦です! サブタイトルは、本当は泥中の蓮と言いたいところなんですが、修道士に対して仏教用語使うのってどうよ!? と思い金にしてみました。
修道士は尊敬される存在なので、ラッテも綺麗な敬語を使っています。




