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腐臭の中に

 皇帝陛下を処刑する……余りにも不敬で、口に出すのも憚られるようなこと。しかし私は、そこに倫理性以上に、合理性において疑問を感じた。



「本当にそんなことを考えているのでしょうか? 辺境伯は教会派、つまり地方分権を推進しようとする立場の方だったはずです。自らが皇帝となっては本末転倒ではないのですか?」


「いや、教会派の大御所である自らが皇帝となることで、皇党派と教会派の対立構造は一気に教会派優位に傾く……というか、対立構造そのものが崩壊するな。求心力として擁立するはずの皇帝が教会派となれば、皇党派は存在意義そのものがなくなる。帝国は事実上連邦国家となるだろう。その上で、辺境伯は領邦の力では足りないような一大事の時にだけ、好き勝手に他の領邦の力を利用できるというわけさ」


「そういう思惑でございましたか。それにしても、自分が好き勝手するためにに罪もない人を殺すだなんて……」


「宮廷においては、自らの行動の結果人が死ぬことに抵抗を持つ者の方が少ない。俺だってそこの3人にそれなりの人数を殺させてきた。今の陛下だってそうだろう。簡単に『罪もない』と言い切ることはできんぞ」


「それはそうかもしれませんが……」



 綿密に練られたその行動の目的が明らかになり、点と点が線でつながっていくにつれ、リッチュル辺境伯という人物像の輪郭が、醜悪さと共に(つまび)らかになっていく。



「俺はどちらかというと教皇庁の思惑の方が気になるな。辺境伯は一体どんな利益をもたらせるというんだ? 歴史上、独裁官を置くのは戦乱時の指揮命令系統の簡略化が主な理由だ。現在、教会が関わる戦争と言えば異教徒との戦争だが、それだけなら今の皇帝と結託する形でも十分なはずだが」



 ヨハン様は指先でコンコンとテーブルを叩きながら、眉根を寄せて一層表情を険しくされる。この癖が出るときは、苛立ちを抑えながら必死でその聡明な頭脳を働かせていらっしゃる時だ。それもそうだろう。リッチュル辺境伯については長らく調査をしていたはずなのに、意表を突かれる形での突然のローマ行き。綿密に計画が練られていたとしても、ここ最近で何かがあったはず。しかし何かしらの情報を掴んだらしいラッテさんは単独潜入中で、2度目の連絡はまだない。


 その思考を邪魔しないように静かにしていると、急にテーブルの音が鳴りやんだ。



「シュピネ、帝都に潜入中のラッテの部下は把握しているか?」


「はい」


「以前の任務で恋人(・・)になった役人は?」


「4人ほど。うち2人は、少なくとも先月の情報ではまだ現役です」


「では、ラッテからの通信がないか奴の部下に確認するとともに、教会派貴族の周辺を少し洗え。概要が(つか)めたらすぐに連絡を出せ。それから、お前を派遣するのは帝都までだ。独断でローマへは行くな」


「かしこまりました」


「今回、ラッテの部下が一人殺されている。ケーター、念のため一緒に行け。シュピネの戦闘力では不安だ」


「構いませんが、部下ではなく私自身が赴いてよろしいのですか? こちらが手薄になりますが」


「良い。帝都には独特の賊の縄張りがあるから、下手を打つとそちらに狙われる。単なる護衛としてお前の部下をつけるよりも、いっそお前が騎士に扮したほうが埋もれやすい。もし身元を問われたら、ホーネッカー宮中伯と契約予定の下級騎士(ミニステリアーレ)だと言え。装備と紹介状はあとで用意する」


「仰せのままに」


「ヤープは自宅で待機、ウリに接触しようとする者がいれば即刻報告しろ」


「承知いたしました!」


「皆、明日の夜また塔に集まれ。その時点で父上の方で動きがなければ今の作戦で行動開始、あれば適宜命令を変更する。良いな?」


「はっ」



 次々と流れるように下される命令。これで領地に残るのはオイレさんだけになってしまった。オイレさんは優秀なのでヨハン様の守りを心配するわけではないが、隠密の代表のほとんどがレーレハウゼンを離れるという事態に緊張が走る。


 そういえば、1年半前の引きはがし工作の時も、オイレさん以外の3人が派遣されていた。ヨハン様は最初から、リッチュル辺境伯のことをそれだけ危険視していたというだろうか。


 私は辺境伯のことを全く知らない。しかし、断片的な情報から窺い知れる邪悪さと狡猾さは、単なる頭脳戦だけでは勝てない強大な敵であることを示している。彼に比べれば、クラウス様のなんと素直で小さいことか。そして、もし教皇猊下がその頭に冠を乗せるようなことがあれば、信徒が清浄と信じ祈りを捧げる教会もまた、腐臭漂う汚濁の中にあるのだ。

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