簒奪者の思惑
書庫に隠れていたヤープを呼んでお部屋に戻ると、ヨハン様は窓に向かって松明を掲げていらした。その炎に何かをかざすごとに、炎は紫、緑、赤と色を変じる。
「その炎の色は一体……!?」
「ま、魔術までおできになるんですか!?」
驚く私たちを笑って眺めて、ヨハン様はたいまつを壁に戻された。
「ああ、異端の知識も、理屈を紐解けば意外に役立つこともある。もちろんこれは神秘的なものではなく、条件がそろえば必ず発生する、ただの現象だ。儀式の手順を踏まずに何度か試してみたが、ある特定の種の石や金属を使うと、炎に色が付けられるというだけのことさ」
「さようでございますか……その色付きの炎は、一体何にお使いになっているのですか?」
「隠密との連絡手段だ。鳥の声を模した笛の音が聞こえたら、塔の明かりを見るように言いつけてある。紫の炎は鉛を燃やして作り、シュピネを呼ぶ。緑は銅でケーターを、赤は天青石という石で、オイレを呼ぶための色だ」
「なるほど、それで皆さんがいつでも駆け付けられるようになっていたのですね。というか、ヤープは知らなかったの?」
「うん、用事があるときはいつも誰かが迎えに来てくれてた……」
前から隠密の方々の集まる速さが気になってはいた。特にオイレさんなどは、いつも特定の場所にいるわけではないので、早馬を出すにしても宛先がわからない。この方法なら、塔の見える位置にさえいれば向こうからやってきてくれる。
「これで呼び出すのは代表の4人だけだからな。ちなみに、笛を吹く長さと回数で塔に来る時間を指定している。今の呼び出しは明日の朝を指定した。ヤープは家に帰ってよいぞ。明日の朝また来い。父上が動くまで、俺たちは待ち時間だ」
「ありがとうございます、かしこまりました」
ヤープは礼をして退室した。ローマから何日もかけて伝言をしにきて、さぞ疲れていることだろう。久しぶりの実家で、少しは休めるとよいが……明日の朝また来るとなると、あまりゆっくりする時間はなさそうだ。
そして翌朝。ヨハン様からヤープ以外の3人へ、状況の説明がなされる。もちろん全員辺境伯周りの情報は把握しているので、ヨハン様から語られるのはリッチュル辺境伯の戴冠の可能性に関することのみ。しかし、ヨハン様をしてご領主様へのご報告をためらうほどに荒唐無稽と思われたそれが、辺境伯のローマ行きでいよいよ現実味を帯びているとなると、皆さんの表情も険しくなっていった。
「現時点で、まだ父上からの連絡はない。だが、俺に返事をするよりも先に宮廷に手を回していらっしゃるだろう。父上はそういうお方だ」
そこで、ヤープがおずおずと手を挙げた。
「あの、発言をよろしいでしょうか」
「許す」
「ありがとうございます。実は昨夜家に戻った時、父、ウリより伝言を預かりました」
「ウリからだと……? 言ってみろ」
「先日、ある大司教の使いを名乗る者が都市参事会を訪れ、父と面会したそうです」
「ほう? それで?」
「その人は父を見てとても満足した顔をして、いずれまた連絡するから、その時は帝都に来るように、と言ったとのことです。父は、もしもそれを行おうとしている人物にお心当たりがあるのならば、くれぐれもご注意ください、と言っていました」
ヤープが言い終わらないうちに、ヨハン様の顔がさぁっと青ざめていった。
「ヤープ、お前は辺境伯のことをウリに話したか?」
「いえ、話してよいかわからなかったので……」
「では、ウリはその話をしたとき、大司教と俺の名を出したか?」
「言われてみれば、大司教の名前も、ヨハン様のお名前も言いませんでした。これだけ言えばわかるはずだから必ず伝えろ、と言われて……父に他の人との交友関係はほとんどないので、私は勝手にヨハン様への伝言だと思ってしまいましたが……」
「よかった。これからも家にいるときには、決して口にするな。お前の実家は監視されている前提で行動しろ」
「かしこまりました! そのことは、父には……?」
「大丈夫だ、俺に名を伏せてその情報を伝えてきたということは、奴は理解している」
「は、はい……」
私にはその話の意味するところが分からない。ヤープはもちろん、シュピネさんとケーターさんも不安げに小首を傾げている。ただ、オイレさんは何かに気づいたようだ。おろおろとしている私を見て、徐に口を開く。
「わざわざ北方のイェーガー方伯領まで来て、ウリという人気の刑吏を帝都に呼び寄せる……それだけ大々的な、ほとんどお祭りのような処刑が行われる予定があるということだよ。そして、そんな国中に知らしめるような形で処刑する必要のある人物は、誰もが知るような大罪人か、よほどの大貴族か……」
「もしくは皇帝、ということだ」
オイレさんが言いよどんだ言葉を、ヨハン様が継がれた。
「つまり、2人の王を擁立して派閥同士の争いが起こるどころの話ではない。辺境伯は現皇帝陛下を処刑し、皇帝と言う名の独裁官となるつもりだ。それも、誰にも邪魔立てされないような正当性をもってな」




