余話:針と糸
ヘカテーではなく、とある別の人物の視点です。想像しながらお楽しみください。少々残酷、というか痛い描写があるのでご注意ください。
「やっとついたか……すまねぇ、血の跡は大丈夫か?」
「ああ、足跡を辿れるほどじゃない」
真夜中、息も絶え絶えに俺たちは北の塔へとたどり着く。ぬかった。俺は深手を負いすぎた。主へのご報告が、俺の最後の仕事になりそうだ。
俺よりも少し後からこの仕事を始めた片割れの肩を借りながら、石造りの階段を上がっていく。部屋に着くと、主は蝋燭の明かりで小難しそうな本を読みながら、眠りもせず俺たちの報告を待っていた。
「それにしてもお前がそこまでやられるとはな。やはり一人で行かせずに正解だった」
「申し訳ございません。このような失態、情けない限りです。どのような処分でもお受けいたします」
「構わん、想定内だ。そこまでのことができていれば作戦に影響はない。少し方針を変えて、次は今日あった事についての情報を攪乱しよう」
眉一つ動かさずに報告を聞き、主は即座に判断を下す。所詮暴力しか能がない俺には、この方が何を考えているかはわからないが、作戦に影響はないという言葉に安堵した。汚れ仕事であってもそれなりの誇りをもって働いてきた。それが失敗で幕を閉じるのでは悔しすぎる。
「ところで、何ヵ所やられた?」
ふいに、主の声が一段明るくなる。思わず見上げると、端正な顔に優しそうな……というよりも不気味なほど嬉しそうな笑顔を貼り付けて俺を見ている。それを見て、背筋を冷や汗が伝うのを感じた。少し嫌な予感がする。
『塔の悪魔』、『血狂いのヨハン』。なにしろこの方は、そんな渾名がつくほどに血を好まれるのだ。
「……深手が3つと、小傷も何ヵ所か。恥ずかしながら、今回のお仕事が最後になるかと思います」
「なるほど、予想が当たったようだ」
主は部屋の奥からいくつかの物品を持ってくると、跪く俺の横で膝を折った。大量の布切れ、ワイン、蝋燭、ダガー、針、糸……無関係そうなものを次々に床に並べられていく。
「ヨハン様、一体何を……!?」
「ふん、仕置きだ。さっき『どんな処分でも受ける』と言っていただろうが」
そういうと、俺の上衣を脱がせ、傷が開かないように固く巻いていた布を取り外す。あっという間に止められていた血が溢れ出し、肌を朱く染めた。主はそれを気に留めた様子もなく、血止めにつけていた砂を払い、ワインを浸した布で拭く。
「……っ!」
思わず呻きが漏れた。
はたから見れば、まるで風呂の世話でもするような優しげな仕草に映るかもしれないが、ワインが傷に沁みる痛みと布で擦られる痛みが何度も繰り返し襲ってくる。それは長く単調なだけに気が遠くなるものだった。
粗方砂がなくなると、小さな木材が目の前に差し出される。
「これでも噛んでいろ。ここから先は、さすがのお前でもちと厳しいぞ」
大人しくその木材を噛むと、主は傷口に直接ワインをかけ、その細い指を差し入れて、残っている砂を掻き出しはじめた。
「んがあああああっ!」
開いた傷をぐちゃぐちゃとこねくり回され、俺は我慢できずに声を上げた。
さらに主は針に糸を通し、あろうことか俺の傷口を縫い始めた。横で見ている片割れも青ざめた顔をしている。拷問ぐらいは見慣れているはずだが、仲間内での訳がわからない行動というのは恐怖だ。
主は3つの深手のうち一番小さな傷を縫い終えると、糸を変えて次の傷に移った。ひと針ごとにきつく引っ張り上げ、ワインに浸した布で拭くので、いちいち激痛に襲われる。しかもさっきの糸より更に痛い気がする。涙が滲んできた。
最後に一番大きな傷が縫われる。幾分慣れてきたのか、若干痛みが和らいできた。それでも激痛には違いないが……
すべて縫い終えると、主は満足げな顔をして再びワインに浸した布で縫い終えた傷を拭き、上から乾いた布を巻いた。噛みしめていた木材が取り外されると、だらしなくよだれが垂れる。
「どうだったか?」
「深く反省しております! このような失敗は許されないこと、仲間にも……」
「違う。縫った時の痛みはどうだった? 傷ごとに痛み方の違いはあったか?」
すぐさま言おうとしたお詫びの言葉は遮られた。この方はいつも少し言葉が足りない。
「2番目の傷を縫われていた時が最も痛みが強く、最後の傷は慣れのせいかそこまでではありませんでした」
「そうか、やはり絹糸がよさそうだな。1週間後、また傷を見せに来い。今度は様子を見るだけだから安心しろ」
「かしこまりました」
「さて、まだ小傷が沢山あるな」
「え」
これで終わったと思い安心しかけたところで、主はダガーを蝋燭の火で炙ると、次々に小傷へ当てていった。
「あがっ!」
「お、まだ木材は必要だったか。悪かった」
とても悪いとは思っていそうにない顔で淡々と小傷を焼き、すべて焼き終えるとわざわざ上衣を着せてくださった。
そこでふと、出血がすべて止まっていることに気づく。塔に戻ってきたときにはいずれ死ぬか、生き残っても仕事はできなくなるだろうと思っていたほどの出血が。
「あの、もしかして治療をしてくださったのでしょうか?」
「は? 他に何がある?」
俺の質問に、主は小首を傾げ、不思議そうな顔で答えた。さっきは仕置きといったはずなのに。
「では終いだ。二人とも下がってよいぞ。しばらく休め」
だが、この方のこういった捻くれた優しさが、俺たちのようなはみ出し者にも忠誠を誓わせるのだろう。俺たちは深く感謝して部屋を出た。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます! 次回より新章です。
もし面白いと思っていただけたなら、下にある★マークでご評価いただけますと幸いです。
読んでくださる皆様の存在に支えられて続けられています。これからも更新頑張りますので、よろしくお願いいたします!