守られぬ人
「何っ!? それはどこで得た情報だ!?」
「わたしには、詳しいことはわからないのですが、こちらがラッテから預かった報告書です」
ヨハン様はヤープから受け取った報告書を一瞥すると、悔し気に眉を顰められた。
「人探しにしては時間がかかると思っていたが、そういうことだったか」
「何と書かれているのですか?」
「ラッテは帝都でドゥルカマーラ役を探していたが、聖堂参事会同盟についての噂を聞きつけていっそのことローマに向かうことにした。その件についての伝言は部下に持たせ送っていたらしいが、届いていないということは殺されたのだろうな」
「そんな……!」
私が慌てて黙祷をすると、ヨハン様とヤープもそれに倣う。
「惜しい犠牲だが、ラッテの部下のうち『少年』という最も大きな特徴のあるヤープが無事ここに辿り着いたということは、そいつはこちらの隠密の特徴を相手方に漏らしていないということだ。責務を全うしたことに敬意を払おう」
「では、なぜその方は捕まってしまったのでしょう……」
「さぁな。帝都に長くいすぎて元々から監視されていたか、どこかの関門でひっかかったか……いずれにしても、ラッテなら手紙が奪われる可能性を考慮して手紙を書くはずだ。最初の伝令役を襲ったのが辺境伯の隠密だったとしても、漏れている俺たちの情報は『作戦を変更してローマに赴く』ということのみだ」
「ラッテさんはなぜ危険を犯してまで、命じられていない仕事に手を出されたのです?」
「別に俺が命じなくては動けないわけではない。情報戦では時間がものをいうからな、それなりの裁量は与えているのさ。昨年初めの、辺境伯とティッセン宮中伯を引きはがす工作の際に、ラッテには全体のまとめ役を任せていた。奴は潜入が専門で、市井の噂に対しても鼻が利く。参事会教会に寄った時にでも、きな臭さを感じたんだろう。ローマを目指すなら、ドゥルカマーラ役探しも同時にできる」
「ラッテさんを帝都に派遣していてちょうどよかったですね」
「そうだな。俺がもっと早く皇位簒奪の可能性に気づいていれば、隠密を一人失うこともなかったんだが……」
「そんなことはないと思います! そんな突拍子もないこと、十二分な情報がそろわないことには確信を得られません」
少し空気が重くなってしまったので、私はヤープにも問いかけてみた。
「ヤープもローマまで行ったの?」
「うん。帝都にはラッテさんの部下がいつも何人かいるんだけど、ローマにはいないから、おれが伝令役を任されたんだ。ラッテさんはもうちょっと潜るって言ってた」
「ああ、妥当な判断だ。辺境伯を足止めするにしろ、そうでないにしろ、現地での情報収集は直前まで続けてほしい」
ヨハン様のお言葉は冷静沈着そのものだが、その表情には怒りと後悔が浮かんでいる。辺境伯は今どのあたりにいるのだろう。足止めをするにも正当な理由が必要だし、諸々の手続きを経たとしても、帝国の北方にあるイェーガー方伯領から南方のイタリアを目指すには相当な時間がかかる。辺境伯の方が先に教皇庁へたどり着いてしまう可能性が高そうだ。
「とりあえず、優先順位の高い案件を拵えて宮廷へ早馬を飛ばし、会議の名目で辺境伯に至急の呼び出しを掛ける。ローマに向かったのなら領地に使いをやっても不在のはず。そこで証拠を発見できれば万々歳なのだが……まぁそのくらいの言い訳を用意せずに動く手合いではないな、辺境伯は」
そうおっしゃるなり、ヨハン様は凄まじい速さで報告書を書き始められた。ペンの走るカリカリという音だけが暗い部屋に響く。まるで何倍にも引き延ばされたかのような、重苦しい時間だった。
しばらくしてその手が止まると、ヨハン様は以前私を呼ぶときに使っていらしたベルを大きく3回鳴らされた。
「そのベルは、今も何かの通信に使われているのですか?」
「いや。だが、こんな夜更けにこの塔でベルが鳴れば、なにか用事があるということくらいは伝わるだろう? ヤープ、お前は2階の書庫に隠れろ。ヘカテーはあの隅に置いてある空樽の中に」
「かしこまりました。しかしなぜ私は樽なのですか?」
「ビョルンならよいが、この時間の俺からの信号となれば、おそらくクラウス本人が来る。あいつは異変を感じて勝手に部屋に入るくらいはやりかねん。ヤープは見つかっても顔を知られるだけだが、お前は違うからな。好き勝手開けられない、俺の目の届く範囲の方がかえって安全だ」
久しぶりに聞いた名前に、私は南の塔での恐怖を思い出し……ヨハン様のお立場の大変さを実感した。この方は、この塔から一歩も出ることなく、帝国の行く末を左右する決定に携わられている。恐ろしいほどの重責を担い、その手の中に守るべき配下の命を預かり、最適解を求めて必死に足掻きながら……周囲はヨハン様の頭脳を一方的に使うばかりで、手を差し伸べる者はどこにもいないのだ。
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