真紅の輝き
結局、ヨハン様とウリさんの奇妙な質問会は、夜中まで及んだ。オイレさんと私はずっと同席していたものの、お二人の会話にはほとんど口を挟めなかった。ヨハン様がずっと質問し続けていたというのもあるが、それほど専門的で、高度な内容だったのだ。
ウリさんはどちらかというと筋肉や骨格、一部の血管の方が知識は深いようだった。殺しても良いとき以外は内臓を傷つけないようにしているとのお話だったので、加減を把握するためにはそちらの方が研究の対象となるのかもしれない。また、身体の機能のみならず治療の知識も相応にあり、特に火傷や骨折の治療方法は、床屋を上回るものと思われた。
「それにしても、刑吏の知識というのは凄まじいものだな。合理的で無駄がない。これだけの知識が口伝のみで伝わってきたことを考えると、本ばかり読んで他人の解釈に頼っていたのが阿呆らしく思えるくらいだ」
「いえいえ、私たちは理屈を考える頭を持っていません。別に好きでやってるわけじゃなし、合理的っていうのも、単に手早く終わらせたいってだけでして……もちろん先代から聞いた知識は代を重ねるごとに蓄積していきますが、街の職人みたいなもんで、嫌でも経験で覚えこむんですよ」
「だからこそだ。どんな素晴らしい理論があろうと、実地で証明されなければそれは虚しい。お前たちは持っている知識の全てに裏付けがある。これは学問において稀有なことだぞ」
「あまり褒めんでください、慣れてねぇですから……」
「いや、正当な評価だ。褒美を取らせよう。何がいい?」
ヨハン様が微笑んで問うと、ウリさんは肩をびくりと震わせた。その様子を見て、何を考えているか察したヨハン様は手を振って否定する。
「ああ、口を封じるつもりではないし、試そうとしたわけでもない。これだけの知識の対価だ、何も聞かずにただ金を渡すのは無礼な気がしてな。もちろん俺にできることは限られるが」
オリーブの瞳はただまっすぐ穏やかに、戸惑いに揺れる真紅の瞳を見つめていた。ウリさんがもたらした刑吏の知識は、ガレノスも、ジブリールさんですらも手に入れられなかった知識。ヨハン様にはよほど嬉しかったのだろう。
「もし、刑吏をやめたいというなら、お前を正式に隠密とし、仮の身分を用意してやることぐらいはできるぞ。一番人気の刑吏を失うのはこの領地にとって痛手ではあるが、お前はその仕事が嫌なのだろう? どうやら息子に継がせる気もなさそうだ」
「そ、そんな……ことは……」
言葉に詰まっている。どうやら図星らしい。刑吏の子供は基本的に刑吏にしかなれないはずなので、どこかへ逃がすか、身分を偽る算段でもしていたのだろうか。
「やはりか。ヤープは将来刑吏になるにしては、年の割に教わっていることが少なかった。隠密見習いとして引き受けるときも、やけにすんなりといったしな」
「話には聞いていましたが、本当に何でもお見通しってわけですかい……」
呆然としているウリさんを見つめながら、ヨハン様は淡々とお話を続けられた。
「隠密も汚れ仕事に変わりはないが、表舞台に立たない分忌み嫌われることはない。そして、殺しにしろ拷問にしろ、仕事の正当性は俺が保証してやる」
ウリさんはしばらくの逡巡ののち、跪いて深々と礼をした。
「本当にありがとうございます。正式な配下ではなくても、私の忠誠は既にあなた様のものです。ただ、ご褒美については辞退させてください。人の澱みそのものとしか思っていなかった私の知識が、そのお手元に渡ることで命を救うことがあるかもしれない……そのことだけで、私には十分ですんで」
「わかった。とはいえ、一度口にしたことを取り下げる気にはなれん。後日で良いから、何か考えておけ」
「ありがとうございます」
「それから、また予定を開けられる日はここへ教えに来い」
「もちろん、お呼びいただければいつでも伺います。といっても今日、知ってる限りのことはすべてお話しちまいましたが……」
「いや、人は他人の知識の当たり前を知らない。お前は全てを俺に教えたと思っていても、自分にとって当たり前すぎることが、何かしら抜け漏れているものだ。俺も訊きたいことをまとめておく」
「承知です。何もかも絞り出すつもりでお話ししましょう」
そうして、空が白み始めた頃になると、さすがにウリさんも帰宅せざるを得なくなった。ヨハン様は先にお部屋へと去っていき、ウリさんはオイレさんによって、再び袋に詰め込まれる。乱暴な扱いに対して抗議の声を上げるウリさんだったが……階段を上がっていく背中を見つめる瞳の奥には、塔に来た時にはなかった、恍惚とした輝きがあった。
「お嬢さん、感謝しますよ。親子ともども、あのお方に会わせていただいて」
「いえ、私は何も。ヨハン様も大変お喜びでしたので、是非またいらしてくださいね」
「もちろんです。あのお方はきっと将来、なにかとんでもないことをなさるんでしょう。お家ではなくあの方個人に忠誠を誓うものが多いってのも納得だ」
ヨハン様のカリスマは、何故か弱者や疎外された者にほど強く働く。私もその光にあてられ、人生が変わったひとりだ。
しかしそれは双方にとって、ひどく危ういことでもある。多幸感に酔いしれたようなウリさんの瞳の真紅の輝きに、私は共感を覚えるだけでなく……その裏に潜む、底知れぬ闇の存在を見、どこか恐ろしく感じもしたのである。
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