貿易商
大変お待たせいたしました、更新再開です!
オイレさんの捕縛騒動がようやく落ち着き、ラッテさんがドゥルカマーラ役を捜しに行ってしばらくたった頃、忘れていた人物と会える機会がやってきた。
「ヘカテー、キリロスがやってきたぞ。今日は居館で父上たちと商談をするそうだが、明日はここにも寄っていくらしい」
「キリロスさんですか! ギリシア商人の方ですね。私もお会いしたいです」
「もちろんだ。お前の祖父の本についても、何か知っていることがあるかもしれんしな」
キリロスさんは、年に1~2回、交易品を届けにフェルトロイムト城を訪れているのだという。ギリシアは帝国の南東に位置する国だ。故に、東方貿易の拠点は帝国の南方であり、北端に位置するイェーガー方伯領では、交易品は宮廷からの土産物として入ってくるのが主である。
しかし、他国との交易品を所持すること自体も、それに付随して他国の情勢について話を聞くことも、高位の貴族にとって政治的に大きな意味のあることなので、それらを直接領地まで届けてくれる貿易商は、イェーガーのお家にとって非常に貴重かつ重要な存在なのだそうだ。
当然キリロスさんの側もそれを自覚しており、最も良い品を届ける目とあらゆる情報に通じる耳で自分の価値を証明し続けることで、お抱え商人の座を保っている。したがって、国外の知識について頼るのであれば、キリロスさんほど頼りになる人はいないのだ。
しかし、私には祖父の本の知識について訊けること以上に興味をひかれてることがあった。それは「初めてギリシア人と顔を合わせる」ということである。
私に流れているというギリシアの血……今まで自分と父の顔立ちや、ギリシア語の勉強の中で想像するしかなかったその国の人。もちろん、帝国を訪れるギリシア商人はたくさんいるだろうから、キリロスさんが直接祖父や父のことを知っているとは思っていない。それでも、自分と同じ血を持つ人と会えるということ自体に対して、私の中にずっと欠けていた、自己を規定するために必要な何かを埋めてくれるのではないかという期待があった。
私の記憶は、物心ついたときからレーレハウゼンで始まっている。ギリシア語を勉強し始めたころ、それに引き出されるようにして、もっと幼いころの記憶の断片らしき夢を頻繁に見ることはあったが、自分の祖国を問われればこの帝国の名を答えるのが最も自然だと感じる。その土地の空気と文化の中に身を置いたことがない以上、私のルーツがどこの国にあろうと、自分はレーレハウゼンの住民であるとの認識しか持てないのだ。
それでも、ひと目でわかる風貌のせいで、周囲は私を外国人と認識する。例えば、皮剥ぎ人のヤープが会ってすぐ私になついたのは、私がこの国の社会の枠組みから外れていると考えるからだ。また、ベルンハルト様は私を見て異国の貴族の娘かと訊いてきたし、クラウス様とズザンナ様は、ギリシア語をみてそれが私の母国語なのかと訊いた。私の母、ティッセン宮中伯夫人は当然ながら純血の帝国民であるから、流れている血の量で言えば帝国の方が多いのにもかかわらず。
……それ故に気になるのだ。帝国の人から私がギリシア人に見えるのなら、ギリシア人から見た私はどう映るのか。同胞として認識してくれるのか、帝国民とみられるのか。はたまた、父方に流れる未知の血について、言い当てたりするのだろうか。
高揚感と不安が綯い交ぜになった気持ちを抱えながら迎えた翌日、キリロスさんが塔にやってきた。
「大変ご無沙汰しております、ヨハン様。前回お会いしてから1年ほどでしょうか、今日という日をずっと楽しみにしておりましたよ。お見かけするたびにご立派になられる」
商人らしい明るさを持って挨拶をしてきた壮年の男性は、流暢なドイツ語を喋り、私と同じ黒い髪と黒い瞳を持っていた。だが、細く鋭い鼻梁や濃い眉と髭、よく日に焼けた肌など、どちらかというと雄々しい印象であり、父が持っていたような優美さはない。
「久しいな、キリロス。世辞は良い。まずは紹介しよう。この娘はある貴族の婚外子で、実の名は不詳だがここではヘカテーと呼んでいる。事情があって秘密裏にうちで預かっているのだが……この意味が分からんお前ではあるまいな?」
「これはこれは、お会いできて光栄です、ヘカテー様。このキリロス、イェーガーのお家のお抱えであることが何よりもの誉れです。無論、あなた様とお会いしたことは、命に懸けて一切口外いたしません。どうかご安心ください」
「様でなくて大丈夫ですよ、キリロスさん。私は身分のある身ではございませんので……」
「かしこまりました、ヘカテーさん。お気遣いいただきありがとうございます」
そして私は、少し落胆した。私は彼と目を合わせ、言葉を交わしても、特に何も感じなかったのだ。会えばどこか通じ合うような感覚を得られるのではないかと期待しすぎたか、やはり四分の一だけ流れる血という共通点では、只の他人に過ぎないのか。
「キリロスさん。実は、私に流れる帝国の血は半分のみです。お会いしてばかりなのに変な質問をして恐縮なのですが、私はあなたから見て、どこの国の人間に見えますか?」
「はっはっは、それは難題ですな。流石はヨハン様のお傍にいらっしゃるお方、そんな形で私の知識を試そうとなさるとは」
「いえ、別にそういう訳では……純然たる興味です」
思わず勝手に質問してしまったが、ヨハン様も興味深そうに私たちのやり取りを見ていらっしゃった。
「そうですね……艶やかな黒髪に、黒玉髄のような瞳、しかし肌の色は明るく、頬の薔薇色がよくわかる……」
流石は歴戦の商人、容姿の特徴を並べながら当たり前のように褒めてくるので、少し居心地が悪い。
「そしてご年齢はわからないが、おそらくすこし小柄だ……ふむ。カスティーリャのご出身でいらっしゃいますかな? どうでしょう?」
しかし、自信ありげに発せられた見当違いな答えに、私は彼の目から見ても同胞とは映らなかったことを思い知ったのだった。
長いお休みの間も、毎日読みに来てくださる方がいて、ブックマークや評価を付けてくださる方がいて……なんと有難いことかと感激しております。
体調がまだ安定しないため、また時々お休みをいただくこともあるかもしれませんが、この小説には引き続き全力で取り組む所存です。今後とも塔メイをよろしくお願いいたします!!
> カスティーリャのご出身でいらっしゃいますかな?
カスティーリャとはカスティーリャ=レオン王国、現在のスペイン~ポルトガルのあたりです。もちろん、キリロスの挙げている外見的特徴は、彼の持っている「この地方にこういう人が多いらしい」という知識に過ぎず、実際には多様な外見を持った人々がいます。
ちなみに、キリロスの言う「我が国」はギリシアとして存在しているわけではなく、時代的には東ローマ帝国を指します。




