大罪人と異邦人
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そして、申し訳ありません。体調不良のため、再びお休みさせてください。6/14の再開を目指します。
「戻ってきたのは良かった……しかし、オイレはもう歯抜き師として表に姿を現すことはできない。奴も隠密活動自体は続けるから、完全に代わりができる者を求めなくても良いんだが……手痛い穴だなこれは。白昼堂々、人前に立って諜報や情報発信ができるというのは稀有なことだった」
「そうですね。オイレさんの代わりができる人なんてそうそういないと思います……」
「組織は大きくなるほど運営が難しくなる。あまり隠密を増やしたくはないんだが、これを埋めるには一人の増員では足りなさそうだぞ」
ヨハン様はそういって頭を掻きむしる。かなり悩ましい問題のようだ。
「やはり隠密の方々は少人数なのですか? 私は、オイレさん、ケーターさん、シュピネさん、ラッテさんの4人しかお見かけしたことがないのですが、それで全員なのでしょうか」
「少数精鋭だが、隠密自体はもっといる。その4人は各役割の代表で、この塔まで報告に来ることが多いだけだ。とはいえ、オイレは少し特殊な枠で、部下を持っていない……つまり、部下を引き上げることで穴を埋めることができないのさ」
「なるほど……確かに、オイレさんの表の職業は、隠密とは対極にありますものね。これではせっかくのお薬も売れなくなってしまいましたね……」
「いや、薬の件はまだ手が打てる。冊子を配った者の中に、ラースという薬屋がいた。冊子を配る時点でラッテが見極めているから、そいつにやらせるつもりだ。既に『愛の妙薬』の存在は知れ渡っているからな」
「確かに、売るだけなら隠密になる必要はないですね。ウリさんのような、協力者という立ち位置になるのでしょうか」
「ウリとはまた少し違う。あいつは刑吏の仕事が生活の軸になっているだけで、隠密のみが触れるような情報も渡している。反面、ラースはあくまで薬を売るだけで、薬以外の情報を渡す予定はない」
考えてみれば、薬屋に薬を卸すだけなら、詳しい情報を与える必要はない。ただの商品取引だ。とはいえ、それはそれで気がかりなことがある。
「ラースさんだけが売る形にするのですか? こんな売れ筋の商品を直接取引で一人が独占したら、ギルドが黙っていそうにありませんけど……」
「安心しろ。もちろんその点も考えている」
ヨハン様はそういって、ニヤリとあくどい笑顔を浮かべると、文書を手に取った。オイレさんのお手紙が届き、結局届けずに終わったそれは、ドゥルカマーラがヨハン様の筆名であると表明するものだ。
シュピネさんによってオイレさんの尋問をウリさんが担当していることが分かったので、オイレさんの『計画』を尊重せざるを得なかったが……実際にオイレさんが帰ってくるまで、私たちは命が縮む思いで祈りながら待っていた。先ほどのヨハン様のオイレさんに対する激しい叱責は、少なくとも半分は本物のお怒りだったことだろう。
「今、罪人として手配されているのは、あくまで『歯抜きのオイレ』だ。ドゥルカマーラに罪状がつく前に、教会に先回りして手を打とう。今日中に、高名な医学者ガエターノ・ドゥルカマーラを城に招聘したことを都市参事会へ報告する」
「ええっ!?」
「オイレがどうやってこの名前を考え付いたかは知らんが、そもそもドゥルカマーラはラテン系の名前だ。異教徒の名前ではない。イタリアの司教の紹介で俺の教師として呼び寄せた事にすれば、異教徒呼ばわりすることは到底できなくなる。ついでに薬の件はラースに託すと一筆加えたら、ギルドも文句は言えまい」
「しかし……それでは結局、教会と事を構えることになってしまうのではないですか? それは、ご領主様やお家の不利益になってしまうのではないでしょうか……」
「俺自身がドゥルカマーラであるといって大罪人の釈放を求めるのと、何の罪状もない只の学者を城に招いたと単に報告するのとでは、表向きの意味が全く異なるぞ。イェーガーの不利益には全くならんさ」
ヨハン様は文書を破り捨て、新しい紙にペンを走らせ始めた。何と大胆な案だろう。表向きは確かに平穏だが、裏では完全に対立することになる。教会だけではなく、都市参事会とも、ギルドとも。ご領主様のご子息がとる行動として、これが正しいことなのか、私には判断がつかない。
「あの、誰かがドゥルカマーラに会わせろと言ってきたらどうなさるのですか?」
「そのための役者も用意しなくてはな。本当は旅芸人であるオイレの伝手で捜すのが一番早かったんだが……ラッテをしばらく帝都へ派遣して、イタリア方面から流れてきている者を捕まえる。ラッテの席も長く空席にするのは危険だが、ドゥルカマーラを実在させることは今後の多くの策略に関わってくる大きな問題だ。多少の無理は仕方がない」
「さようでございますか……」
見つめる私の心配が伝わったのだろうか。ヨハン様はふん、と鼻を鳴らして仰った。
「今回のことで、俺も覚悟を決めたのさ。オイレがここまでやったんだ、主たる俺が戦わずしてどうする、とな。革新をもたらすべきは医療だけではなかった。医療の向上など、俺のすべきことの起点に過ぎなかったのだ。俺は方伯の座を受け継ぐつもりは毛頭ないが、その分、兄上に代わってこの家の影を担い続けるつもりだ」
「影を担う……この領地と国の未来に光があるために、ヨハン様が影の役を買って出ると、そう仰るのですか」
それはケーターさんから聞いた、父の昔話にあった言葉だ。光は常に影がなくては存在しえない。私の母、ティッセン宮中伯夫人は、夫とその領地、帝国のために、わざわざ影の役を担っていたと。
「ああ。宮廷も、教会も、清らかそうな顔で正義を気取りながら腐りきっている、この帝国の貴族社会すべてを相手取り、この手でその腐敗を焼き払ってやる。その腐敗に巣食い肥え太った連中にとって、それは罪と映るだろうな。俺はいよいよ悪魔として名を馳せる」
以前にも増して壮大な夢、壮絶な覚悟……それでも、それを語るヨハン様の瞳には、闇ではなく光が宿っている。母もこうして父に自らの道を示したのだろうか。父も、母の瞳に同じ光を見たのだろうか。
「ヘカテー、お前はただの囚われの客人だ。今や俺に仕えているわけではないから、俺に従う必要はない……しかし、お前ならきっと、ついてきてくれるのだろう?」
「はい、もちろんでございます」
悩むまでもなく、私は喜んで肯定した。役に立てることは少なくても、この方を傍で支えることが、私にとっての『騎士道』だ。
> 帝都
帝国は領邦化していて明確な「首都」は存在しないので、「今現在宮廷が置かれているところ」程度に考えていただければと思います。




