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中途半端な遺言

シュピネ視点です

 まだ日の高いレーレハウゼンの街を抜けて、あたしは急いで足を進める。最短のルートを考えながら、歩いていると思われるぎりぎりの速度で。



「よぉ、早い時間から珍しいな! 今日は休みかい?」


「そうよ、もしかして今夜きてくれるつもりだった? ごめんなさい」


「いや、俺もそんな頻繁には行けねぇよ。というか、そっちは賤民区域だろ? 何しに行くんだ?」



 どこを歩いていても、あたしの容姿はどうしても目立つ。常連客に声を掛けられれば、演技がなおざりにならないように気を付けながら、できるだけ早く切り上げるように言葉を紡いだ。



「娼館のおやじさんとこに直談判に行くのよ。あたし、かなり稼いでるはずだもの。ピンハネしてないでもっと給料よこせってね!」


「そうか、お前も大変なんだな……でも賤民区域は危ないぜ? 送っていこうか?」


「ありがとう! でも大丈夫よ。刑吏たちだって馬鹿じゃないわ、あたしに手を出したらあんたに喧嘩売るのと同じってことことくらい、わかるでしょ?」


「はっはっは、それもそうか。傍にいなくても守ってやれるたぁ、男冥利に尽きるな。ま、もうちょっと金貯めたらそのうち迎えに行くから待っててくれや」


「きっとよ? あんな狭いベッドの上でしかあんたと会えないなんて悲しいわ」



 こんなに急いでいる時でさえ、歯の浮くようなセリフをペロッと言えるあたしは、根っからの悪女なんだろう。今の男があたしにいくらつぎ込もうが、最終的に自滅して首を吊ろうが、きっとあたしは少し残念に思うだけで、次の週には新しい男をひっかけられる。でも、それはお互い様。男たちは、あたしのことを女という名の美しい()だと思っている。脳も心臓も備わった人間として見る男は、驚くほど少ないものだから。


 ……だからこそ、あたしにだって、なんとしてでも守りたい男というのはいるの。


 べつにそれは愛しているからじゃない。靡かないのが悔しくて、でもそれがなぜか嬉しくて、隣にいれば安心する。ただそれだけの、あの憎たらしい赤毛のために、表では娼婦、裏では隠密という名の人形であるあたしが今、自分の意志のもとに必死で任務を遂行しようとしている。



「ごめんくださぁい……」



 賤民区域の更にはずれ、みすぼらしく悪臭の漂う刑吏の家。扉を叩くと、中からやつれた女性が出てきた。顔立ち自体は美しいけれど、肌がボロボロで、実年齢よりかなり上に見えているだろうことがわかる。きっと粗悪な化粧品にやられたのだろう。刑吏の妻は、たいていがそうした元娼婦だから。



「やだ、本当に来たよ。あの人ったら本当にそういう仕事もしてたんだねぇ」


「あの、ウリは?」


「仕事だよ。見つからないうちにお入り」



 家の中に招かれると、彼女は一巻きの紙を渡してきた。



「あたしは字が読めないもんでね。どぎつい美人かパッとしない商人が家を訪ねてきたら、これを渡せとしか言われてないんだ。」


「開いてもいい?」


「知らないよ。勝手にしな」



 恐る恐る開いた紙には、覚悟と優しさが身勝手に書き連ねられていた。



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拝啓


 卑しきこの身がヨハン様に手紙をしたためる失礼をお許しください。当初は誰か他の者に宛てようと思っていたのですが、今後の状況を想像するに、結局ヨハン様もお読みになるだろうと思っての判断でございます。


 この手紙がヨハン様のもとに届いている頃には、おそらく私は市庁舎の地下牢にでも拘留されていることでしょう。突然のことで驚かれたことと存じますが、このことは私が前から練っていた計画の範囲内です。


 そこでお願いがございます。今はまだ機が熟しておりません。ドゥルカマーラの正体としてご自身が名乗り出るようなことは、何卒なされませんよう。


 勝手に計画し、勝手に動き、それを黙秘していたことをここに謝罪いたします。お優しい我が主のことです。私が処刑される可能性を察知されたら、そのご研究を世に出すことを諦めてしまわれるのではないかと思い、お話しすることができませんでした。


 私はレーレハウゼンに来てから数年に渡り、民衆の前で己の姿を欺き続けてまいりました。もともとそれは単なる演出の一環だったのですが、街に知れ渡る『歯抜きのオイレ』の姿を、今こそ役立てることができそうです。


 ウリは信頼厚く、優秀な刑吏です。私の尋問を彼が担当するならば、私は必ずやヨハン様のもとへ帰還いたします。勝手に動いたことに対するお咎めは受けますので、煮るなり焼くなりお好きになさってください。まぁ、既にされた後かもしれませんが……


 この手紙を遺言とするつもりはございません。ですが、もし帰還が叶わなかった場合は、この梟には大した腕がなかったものだと笑ってやってください。私は、ヨハン様のお傍にお仕えできたこと、そしてそのご研究に携われたことが何よりの幸せでございました。どうか一つの命より千の命をお選びください。今はまだ撒いたばかりの種ですが、その種は芽吹き、必ずやこの国を支える柱として結実するだろうことを、私は信じております。



 あなたの忠実なる梟より



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 破り捨てたくなる衝動を抑えて、あたしは手紙を袖口にしまった。あの馬鹿が戻ってきたら、知りうる限りの罵詈雑言で罵倒してやる。

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