教会の敵
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「あいつはいつもヘラヘラしているが、隠密としては一流の部類だ。俺はまだ希望があると思っている」
ヤープが落ち着きを取り戻すと、ヨハン様は話を続けられた。最後の一言は、ご自分にも言い聞かせていらっしゃるのだろう。
「ラッテ、俺はまだ手配書を見ていない。申立人が誰だったのか、調べはついているか?」
「それが、捕縛までがあまりにも早かったため、私も手配書は入手出来ておりません。ただ一つ言えることは、個人ではなく集団による申し立てであったようです。中心的に動いていたのは2名の医師で、それに他の医師や司祭、修道士が賛同した形のようでした」
「なるほど……ということは、教会先導で動いていたわけではないのだな?」
「はい。もしも薬の件などで教会に睨まれているのであれば、突然捕縛するのではなく、まずは教会側から自粛の要請があるはずです。もちろん、多少疎まれるところはあったようですが、それはオイレに限らず歯抜き師全般に言えること。私の耳にはこれといって大きな動きは入ってきておりませんでした」
「そうか。教会先導で動いていたのであれば、薬で儲けすぎた可能性が高かった。薬は修道士の領域だからな。しかし今回は、その二人の医師の言い分に教会関係者が乗った形だ。まずは医師にとってオイレの何が邪魔だったのかを考える必要がある」
その口調は、いつも通りの極めて冷静なものに戻っている。
「民衆の扇動はおまけのようなものだろう、つまり原因はあの冊子だ。冊子を医師に配ったのなら、反発も想定できたのだが、床屋と歯抜き師に配って、医師に何か損失があったか?」
唸るヨハン様に、声をかけたのはラッテさんだった。
「ドゥルカマーラの名を出したのが良くなかったかもしれません」
「ほう、何故だ?」
「ドゥルカマーラは高名な医師ということにしてあります。医師が書いた著作、それは普通に考えて医学書だと判断されるでしょう。床屋が知恵をつけ、自分たちの指示通りに動かなくなることを嫌ったのだと思います。」
「たしかにその線はあるな……冊子にオイレの名を出させないことでその身を守るつもりだったが、裏目に出たか……しかし、床屋が知恵をつけるのを嫌うだけで、ここまでやるものか? 教会関係者を味方につけて悪魔の書物とまで騒ぎ立てる、それはつまり奴らの中でオイレに対し明確な殺意があったということだ」
「恐れながら、医師の多くは怠惰で高慢な者たちです。こういった者たちは、自分たちに屈辱を与えたものへ徹底した制裁を加えようとするものです。ドゥルカマーラは『愛の妙薬』の考案者としてすでに有名になっています。最新の薬を作り出した医学書が、自分たちの手ではなく、床屋の手に渡る……床屋の扱いが面倒になること以上に、高名な医師が自分たちよりも下の存在を選んだこと、そして彼らが自分たちよりも高い水準の知恵にありつくことが許せなかったのではないでしょうか」
「なるほど。下種にもほどがあるな」
ラッテさんの見解を聞いて、ヨハン様は嫌悪感をあらわにされた。
「医師らの動機は確かにそれで辻褄が合う。となると、今度は教会関係者が何故それに加担したのかだな。流石にそう簡単に言いくるめられるものではない。この話、教会側にも何かしらのうまみがあったはずだ。しかも、その目的は処刑ではない。もしそうなら、処刑日程はすでに発表されているはずだ。処刑を求めたのが医師の側でも、オイレから何かを聞き出そうとしているのは教会の方だ」
「そうですね……しかし、そこまでのうまみとは一体……」
今度はラッテさんも思い当たることがないようだ。ヨハン様はぶつぶつと独り言をこぼし始めた。
「冊子についてオイレから聞き出せることは何がある? どこで手に入れたか、この書物は本物か、ドゥルカマーラの直弟子というのは本当か……」
再びテーブルをコンコンと鳴らす音が部屋に響く。私たちはただ黙って、ヨハン様がその頭の中を整理するのを待った。
「聖堂参事会の同盟……聖地奪還戦争……リッチュル辺境伯の動き……そうか、そういうことか!」
「何かお分かりになったのですか?」
「いや、現時点では推測にすぎん。だが教会はおそらく、ドゥルカマーラという存在を邪教の象徴とするつもりだ。ドゥルカマーラを異国から来た異教徒と断じ、旅芸人によって持ち込まれた邪教の脅威を民衆に知らしめることで、教会の権威を強めようとしているのだろう」
「教会の権威だなんて、領民は皆信徒ですのに!」
驚いて思わずそういうと、ヨハン様は悔しそうに顔を歪めた。
「いや、権威といっても、連中は民衆のことは考えておらん。政治的な権威のことだ。わが帝国は宮廷と教会、皇帝と教皇という対立構造の上にあるが、邪教から国を守るという大義名分があれば、その均衡を一気に教会側に傾けることができる」
「政治的な権力が欲しいということですか? 神に仕える聖職者たちが、なぜ政治に?」
「あのな、ヘカテー。神に仕えるとは言うが、教会を管理する司教たちは皆貴族の子弟だ。俺は正直、清廉潔白な教会などこの国の1割にも満たないと思っているぞ」
「そんな……」
「金と権力のことばかり考えている手合いにとっては、今回の騒動は降って沸いた幸運だろう。あとはドゥルカマーラをどこまでうまく使うかだが、これは実在するかどうかによって動き方が変わってくる。実在するならば邪教をもたらしたものとして国中に手配をかける。口から出まかせの存在なら、その悪行を大量にでっち上げて、異教徒に対する怒りの火種とする……故に、オイレから聞き出そうとしているのは、ドゥルカマーラが実在するかどうかと、実在するならどこで出会ったどんな奴かだ」
「でしたら、実在しないということをオイレさんが白状すれば、尋問は終わるのですね!?」
ようやく救いの道が見えたと思ってした質問はしかし、一瞬で叩きつぶされた。
「ああ。尋問は終わり、すぐさま処刑に移るだろう。実在していればまだよかったが、これから邪教の象徴として祭り上げようとしている存在の非実在を知る者など、邪魔以外の何物でもないからな」




