眼に映る世界
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ヤープの一言がきっかけとなり、最初に配る冊子はドイツ語で書かれることとなった。各臓器の図を中心に、その働きをガレノスやヒポクラテスの著作から信憑性が高いと思われるものを抜き出して記す。刑吏の知識や祖父の本の知識については一旦見送ることとなった。
まずは元となる冊子を制作する。研究の過程でほとんど作り上げられている状態だったので、ラテン語に直されていたものをドイツ語に戻すだけだ。ヤープはまだ文字がおぼつかないので、ヨハン様、オイレさん、ケーターさん、私の4人で作業にあたる。
といっても、ラテン語ができるのはヨハン様だけなので、本文はヨハン様にお願いした。
ヨハン様の作業が飛びぬけて多くなってしまうのは心苦しかったが、ご本人曰く『俺の研究なのだから俺の作業が多いのが当たり前だ』とのこと。将来的には、私もギリシア語だけでなく、ラテン語も勉強したほうが良いのかもしれない。
元となる冊子ができたら、今度は写本の制作に移る。各自が手元に1冊作れてしまえば、そこから先は多少作業効率も上がるだろうが、最初は1冊の本をみんなで囲み、見合いながら作るので、これもまた非常に時間がかかった。手が痛くなるほどの作業量に、一度ペンを走らせるだけで複数枚の紙に書けるような道具があればいいのにと思ってしまう。当然ながらそんなものは存在しない。
「冊子はどのくらい作るおつもりなのですか?」
「まずはレーレハウゼンの中だけで配布するつもりだから、10冊ほどあれば十分だ。床屋も歯抜き師もそんなに数がいるわけではない。レーレハウゼンで様子を見て、興味を示す者の割合を確かめてから、他の町へと広めていこう」
「では、一人2冊ずつともう2冊ですね。余る2冊分は、1冊を前後半に分けて二人で作成いたしましょうか」
「そうだな。とりあえず2冊作ってから担当を決めよう」
しかし、そう予定通りにはいかなかった。ヨハン様が描かれた解剖図は恐ろしく精緻で、図を写す作業の大変さが想像を超えていたのだ。
全員が何度も挑戦したが、完成した絵画を見慣れている人や花などならともかく、臓器の絵など始めてなので、そもそも描き方がわからない。結局、見たとおりに再現することができたのはオイレさんだけだった。
そういえば、始めて解剖図を見せられた時も、臓物の気持ち悪さ以上に、その絵のお上手さに驚いた。日ごろから奇術などで手先の器用さを鍛えているオイレさんはわかるが、なぜヨハン様はこんなに絵がお上手なのだろう。やはり、貴族の家では小さい頃から芸術を習うのだろうか。
「ヨハン様は、どこでこのような技法を習われたのですか?」
「いや、習ったわけではない。というか、技法というほどのことか? 境界に線をひくという点では、普通の絵と特に変わるところはないと思うが……」
「どういうことでしょう?」
「いや、別に人の顔を描く時だって、輪郭に色がついているわけではないだろう? それと同じで、凹面と凸面、物体と空間といった境目に線をひけば良いだけだ。俺には逆に、なぜお前とケーターは人や植物を描けるのに臓器が描けないのかがわからない」
ヨハン様はご自分のお顔を指でなぞりながらそう答えられた。
「言われてみれば、私たちは何をもってそこに線があると思っていたのでしょう……」
やはり、ヨハン様と私たちでは根本的に目に映る世界の認識の仕方が異なっているようだ。私も小さいころ、気まぐれに地面に絵を描いたりしていたものだが、描き方を習ったことなど一度もない。
「今まで私の描いていた絵は、誰かのものまねだったのでしょうか?」
「妙なことをいうものだな。ものまねで描いていたのなら俺の絵だって描けるはずだぞ」
「いえ、そういうことではないのです。自分で描いているつもりになっていただけで、目の前に見えているものではなく、原型となる何かを描いていた、ような……あるいは、いつの間にかどこかで『人の顔とはこう描くもの』という思い込みを身に着けていただけのように思えるといいますか……申し訳ありません、うまく考えがまとまらず、言葉にできません」
「ふん、思い込みで描いていた、か。それならなんとなくわかるような気がする。つまり、お前やケーターの頭の中には『人の輪郭には線を引く』という無意識の思い込みはあったものの、『絵を描くときに線を引くべき場所はどこか』という概念はなかったということか」
そしてヨハン様は顔にかかる髪の毛を弄りまわしながら上を見上げると、ゆっくりと次の言葉を紡がれた。
「やはり、俺には常識がないのだな」
「……はい?」
「え?」
「は?」
脈絡なく出てきた言葉に、全員が手を止め、一斉に主を見つめた。




