やはり変わっている
「え!? ……申し訳ございません、少々聞き違えをしてしまったようです。何をお申し付けいただきましたでしょうか?」
「お前もここで食べろといったのだ。居館からここへ直接来たなら自分の分も持っているだろう?」
「恐れながら、ただのメイドである私が主と同じ食卓につくなど……」
「口答えするな、とっとと座れ。別に他に見ているものもいないのだから気にする必要はない」
そこまで言われて、私はしぶしぶ席につき、自分の分の食事を簡単に並べた。後で不敬だと怒られたりしないだろうか。職務中、主にものを食べるところを見せたりして本当に良いのだろうか。いつ食べ始めればいいのかもわからないし、そもそも緊張で食べ物が喉を通りそうにない。
どぎまぎしながらヨハン様の方をそっと見ると、一切気にした様子はなく普通に召し上がっていた。束ねた臓物の絵を手元に置いて、時折左手でパラパラとめくったりしながらも、右手は指3本で器用に食事を口に運んでいる。上品な所作なのかお行儀が悪いことなのか、私にはよくわからない風景だった。
「話の続きだが、本を見せることで調べようとしたことはもう一つある。それは、お前がどこまで役立つ人間かということだ」
「それは……恐れながら、私はお役に立てそうでしょうか」
「結論から言うとそう判断した」
「光栄です。ただ、その……」
無用な質問をしてよいのか悩み、言い淀む私を見て、ヨハン様は察してくれた。
「ああ、言い忘れていた。今日より先、この塔の中では自由な質問を許可する。それに俺が答えるかどうかは別だが、今聞きたかったのは、なぜそう判断するのか、だろう?」
「はい、ありがとうございます」
「アラビア語以外の3つは、貴族や商人がある程度この町で暮らしていれば目にする機会はある文字だ。無論、積極的に関わる機会はないから、普段から身の回りを観察し、覚えていればの話だがな」
ヨハン様はワインを一口飲むと、目を私に向けてつづけた。
「だから、見せた文字が読めなかったとしても、どのように答えるかでお前の能力を推し量ることができる。全くぴんと来ていない様子なら見込みなし。文字の特徴をつかんでいるなら観察力があり、実際に見た場所を答えるなら記憶力もあるということだ」
「答えられない私を見て質問を変えられたのは、そういうことだったのですね」
「そうだ。そしてお前はさらにその先で、どこでどんな時に見たから何語だと思う、と推測して見せた。お前が思いの他使える人間だと分かって俺は嬉しかったぞ。今までの言動からして、そこそこの教育を受けられる環境にいただけの阿呆ではないか、とも思っていたからな」
「ありがとう……ございます……?」
なんだか褒められているのかけなされているのかわからない感じだったが、とりあえず一定の評価は得られたようだったので少し安心する。
お話が途切れたところで、勇気を出してスープに手を付けてみた。ここは簡素な調理場の机だが、お仕えする方と席を並べて見守られながら食べるというのは、なんとも奇妙な感覚である。使用人が部屋に入ってくるのを主が嫌がるならまだわかるが、使用人のほうが近づいてくる主に居心地の悪さを感じるとはどういうことなのだろうか。
気持ちの整理がつかない私を置いてけぼりにしながら、ヨハン様は尚も話を続けられた。今夜は珍しく、ずいぶんと饒舌でいらっしゃる。決して口に入れながらは話されないのにもかかわらず、私よりはるかに話す量は多く、お食事を召し上がる速さも私より速い。
「さて、これはさっき写した猿の腹の中だ。見て、考えたことを聞かせてみろ」
そんなことを考えていると、目の前に紙の束が差し出された。
どう考えても食事中に見るものではない、奇妙な生き物の臓物。私は使用人用に作られた肉を使わない簡素な夕食に心から感謝した。調理場で獣を切り刻み、それを弄んだ手で食事をし、臓物を眺めながら肉を食らうような肝っ玉を私は持ち合わせていない。私の主は、やはり相当変わっている方のようだ。
> 右手は指3本で器用に食事を口に運んでいる。
この小説の舞台のモデルにしている12世紀ごろのヨーロッパでは、まだカトラリーが充実しておらず、主に手づかみで食事をしていました。庶民は使う指に気を配りませんが、貴族は親指、人差し指、中指の3本で食事をするというマナーがあったそうです。
つまりヘカテーは、ヨハンの「ながら食べ」を気にしつつも、食べ方自体は「上品な所作」であるということを知っていたということです……