戦いの前に
「ここは……アダムヘルの南門?」
「そうだ、よく分かったな。かなり広い平原だし、ここなら多少暴れても大丈夫だろ」
「前にメモしたと聞いてましたしね、後でミツミちゃんに挨拶して来てもいいですか?」
「それはまた今度にしとけ、何も言わずに来たから早めに戻らないと王宮が騒ぎになるからな」
「あー……一瞬前まで数十人いた人間が、湯気の立つコーヒーを残して蒸発したら騒ぎにもなりますよね。メアリー・セレスト号みたい」
「王都のメモは離宮前にしてあるからいつでも帰れる、都市伝説になる前に帰らないとな」
眩暈に似た一瞬の浮遊感のあと、室内から突然青々とした春空の下に放り出された者達が、ミルとクリスの呑気な会話でようやく状況を理解し呆然自失から立ち直った。
戸惑う者、油断なく周囲を警戒する者、未だ呆然とする者、目を輝かせる者、呆れて首を振る者。反応は様々だが、誰もが初めての体験に動けない中、いち早く動き出しクリスの背中に飛び掛かる小柄な人影があった。
「お前すごいにゃ! ホントに転移したにゃ! ここアダムヘルだにゃ? 昔父上に連れて来てもらった事あるにゃ!」
「うお!? いきなり飛び掛かるなよあぶねぇな」
おんぶのようにクリスの背中に抱き付いたのは、この状況を作り出した張本人の一人、獣王ターニャだ。
「減るもんじゃにゃいしいいじゃにゃいか。っていうかお前物凄く強いにゃ。肌を重ねてみて初めて分かったにゃ。スンスン、何か隠蔽系のスキルでも使ってるにゃ?」
「無意味に意味深な言葉選びすんな! って匂いを嗅ぐな!!」
竜人な見た目なのに、猫のようにクリスの首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐターニャに、引きはがそうと背中に手を廻すクリス。だが、両手両足に尻尾まで使ってしがみ付いたターニャを引きはがせずに、ミル以外の少女に対しては珍しくあたふたしていた。下手に手を廻すと、ビキニアーマーより多少ましな程度の面積しかない装備の間から、その柔肌(ところにより竜鱗)を触ってしまうため手を出しあぐねている。
見た目、十三、四歳の少女な分、力任せに引きはがすのもはばかられるのでなかなか引きはがせない。
「ターニャは強いヤツが好きだにゃ。お前もターニャに勝ったらターニャを好きにしていいにゃ。うち結構美少女だにゃ。今はぺったんこだけどそのうち乳も大きくなると思うにゃ!」
「十年育ってから出直してこい」
「ヒドイにゃ! これでも連邦では成人してるにゃ! 結婚も出来る大人だにゃ!」
好き勝手なことを言うターニャに、クリスは顔を顰めた。クリスにとって妹よりだいぶ年下の、日本では手を出したらお巡りさんのお世話になるであろう年齢は完全にアウトオブ眼中だ。
いくら母国で成人しているといってもその見た目ですでにボール球。余裕をもって見逃せるワンバウンド。ロリコンの稔と違ってこんな少女に恋愛感情を持つほど倒錯していない。そう思ってクリスがミルを見れば、やはりいつも通り面白くなさそうにこちらを見ていた。
「おいミル、見てないでコイツ引き剥がすの手伝ってくれよ」
「……嬉しそうですねクリス」
「あぁ? どこをどう見たらそうなる。こんな子供に抱き付かれて嬉しいわけねぇだろ」
「だからターニャは大人だにゃ!」
不機嫌なミルを見て、クリスはまた俺が女にモテて嫉妬してんのかと呆れた。
こんなイケメンのアバターを作った自分の自業自得なのだが、異世界転移するなどとは夢にも思わなかったのだから仕方がない。だが、リアルの時と同じで見た目や能力目当てで寄ってくるような女を選別できるのは便利ではある。自分の事をよく知りもしないで寄ってくるような女は信用できない、リアルでもかなりイケメンなクリスは常々思っていた。
「……どーだか、そうやってハーレムメンバー増やすつもりなんでしょ」
「んなわけねぇだろ、ハーレム系主人公やる甲斐なんざ俺にはねぇよ。女なんて一人でも持て余すってのに」
元の世界でもイケメンで今まで幾人ともお付き合いをしてきたクリスだが、どうもフィーリングの合う彼女と出会うことが出来ず今まで長続きせずに終わってきている。何故か大体半年くらいで面倒になり、稔と遊んでいる方が楽しくて彼女を蔑ろにし、結局振られるを繰り返す自分に甲斐性などないのだろう。
何故か振られる時の台詞がいつも『他に好きな人がいるでしょう』というのは解せない。
「ターニャちゃん、その人にはもう奥さんがいるんだからそういう事しないの、嫁入り前の娘がはしたない。それに強い弱いで相手を決めるのは感心しないな、自分の気持ちと何より相手の気持ちを大事にしなきゃ」
見かねたアリアがターニャの両脇に手を差し込むとひょいっと持ち上げながら言った。
やっと解放されほっとしたクリスが、何で助けてくれねぇんだよと非難の視線をミルに向けたが、ミルはプイとそっぽを向く。
クリスはそんなミルの様子に多少の違和感を感じたが、結局いつもの嫉妬かと放っておくことにした。
「? 何が問題なのかにゃ、強い男が欲しくなるのは女の本能だにゃ。男だって強い女が好きなはずにゃ。その方が子供がいっぱい出来るにゃ」
「うーん、これは文化の違いかなぁ。獣人って確かにそんな価値観だったわ」
「相手がいたとしても男を取られるのは女に魅力が無いからだにゃ。魅力があれば一緒に囲って貰えるにゃ。沢山の女を囲えるのも男の甲斐性だにゃ」
「そういう考えと文化があるのは否定しないけどね。それを相手に押し付けるのは、やっぱり良くないと思うなぁ」
「それを決めるのは男だにゃ。別にターニャは強要しにゃいにゃ。男が一人がいいと言えばそれでいいし、ハーレムしたいと言えばそれでもいいにゃ。ただ一人を選ぶなら、女もターニャに勝つ事が条件だにゃ。弱い女に強い男を独占する権利はないにゃ」
「獣王がそんな事言ってたら、この世の中じゃ私とアリスト以外のカップルに拒否権なくなるじゃないか」
「そもそも弱い男にターニャは興味がにゃいにゃ。父上がターニャより強ければ父上でもよかったけど、ターニャが勝ったから嫁に行くことにしたにゃ」
「え、獣人って親子で結婚できるようになったの? 私の時代じゃそんな事なかったよ?」
「ターニャは拾われっ子だにゃ。父上とは血が繋がってないから問題ないにゃ」
「あ、うん、ええっと、何かごめん」
「気にしてないにゃ!」
自信満々にぺったんこな胸を張るターニャに、珍しくアリアも圧倒されている。切れ者の天敵は天然ということだろうか。
ターニャとアリアの会話を眺めながらクリスがそんなことを思っていると、横から袖を引かれた。
「ねぇねぇクリス。私もターニャと戦いたいんですけど」
「あん? 脳筋に共感を感じるのは分かるが今度にしとけ、時間ねぇんだから」
「むぅ……分かった。ちょっとフランのとこ行ってくる」
「おう、俺もちょいと決闘場作ってくるわ。平らな方がいいだろうし、念のため結界も張っとかないとな」
アルトとフランが居るところに向かったミルを見送り、クリスは一人集団から離れた。
もしも、この時クリスがミルに付いて行っていれば、後の惨事は多少マシになったかもしれない。
しかし、神ならざる身でそんな事が分かるはずもなく、クリスはミルから離れ程よい広さの場所に着くと愛用の杖をインベントリから取り出し、魔法名を唱えた。
「【有効範囲操作】、【超重圧壊】」
一人集団から離れたクリスに注目していた者達は驚愕に目を見開いた。
目の前のクリスの前に広がる大地が、まるで巨大なハンマーを打ち付けられたように直径百メートルに渡って水平に陥没したからだ。
低い雑草の茂っていた柔らかな草原は、超重力により押し固められ、突貫工事もいいところであるが一瞬で円形の決闘場が完成していた。
周囲の驚愕を感じ、軽く大魔法で一発かますという目的もついでにこなして満足げなクリスに、今度はグラマラスな女性が近づいた。
「ク、クリスタール様。今のは……」
クリスの魔法に衝撃を受けすぎて、フラフラと足元がおぼつかないまま近づいてくるのは、聖王国宮廷魔術師長のカテリーナだ。
彼女も、近衛師団長のブルクハルトと共に円卓会議に参加しており、クリスの闇ポタに巻き込まれていた。
「空間魔法の一つだな。そんなに広範囲じゃないが決闘するならこれくらいあれば十分だろう。それとももっと広げるか?」
「これほどの魔法をもっと広範囲で展開できるのですか? 空間魔法というのも初めて耳にします……」
「空間魔法の使える空間術士は魔術師と錬金術師の―――ってあぶねぇ!」
クリスが作った決闘場(という名の大穴)をよく見ようとしたのか、穴を覗き込んだカテリーナがバランスを崩した。ただでさえフラついていたのに前のめりになったのが良くなかったらしい。
落ちかけたカテリーナを慌てて支えるクリス。落ちても深さは1メートル程度なので、高レベルの彼女には問題ないだろうが、助けられるのに見捨てるのも寝覚めが悪い。
そう思って手を出したのだが、丁度カテリーナの胸に手を回す形になってしまい、細いのに豊満で柔らかなその感触を腕の中に感じた。
「っと、すまない」
「い、いえ。私が悪いのでお気になさらないで下さい。あの、もしよければクリスタール様のお使いになる魔法について、お話を伺いたいのですが……」
「あー、そうだな。時間があるときでよければ―――」
「是非!」
カテリーナは少女のように目を輝かせ、頬を染めてクリスを見上げる。一見妖艶にも見える成熟した女性であるカテリーナが、そういう表情をするとそのギャップがひどく魅力的だ。
クリスも久々に、己のストライクゾーンに入る女性と話をするのは悪い気がしない。
そう、俺のタイプはボンキュッボンなんだ、決してミルみたいなのに欲情するロリコンではないのだ。と己に言い聞かせるように心の中で唱え、カテリーナとの会話を楽しんだ。
「……むぅ」
「あの、どうしたんですかミルさん」
「……分かんない。分かんないけど何かもやもやする!」
そんなクリスをますます面白くなさそうに見つめるミル。
カテリーナと楽しそうに話すクリスを見ていると、何とも言えない不快感が募りどうにも落ち着かない。
いつもはクリスがモテると、炎のような嫉妬心がめらめらと燃えるのだが、今は底なし沼のようなドロドロとした嫌な気分になるだけだった。
そして何より、ターニャやカテリーナが好きになれない。
ターニャなどミルのドストライクの見た目だというのに一向に食指が動かず、むしろクリスと一緒にいるところを見ているとイライラしてくる。
「えっと、そんなに心配しないでも大丈夫だと思いますよ。クリスさんに限って」
「……んー! 全部クリスが悪い!」
アルトがフォローするも、急激な己の心境の変化に付いていけていないミルには聞こえず、結局全部クリスがモテるのが悪いと結論付けた。
そしてフランシスカの前へすごい勢いで到達すると、その両手を取って真剣な顔で見上げるミル。
「フラン、貴女に渡す物があります!」
「はい?」
「本当は私が戦いたいのですが、クリスがダメって言うので仕方ありません。そして、今の貴女の実力では獣王ターニャと対等に戦うのは難しいでしょう。ですから私が使っていた魔術師用装備を貸してあげます」
「……やはりそうですか、獣王とは最強の代名詞ですし、いくら強くなったと言っても私じゃ相手になりませんよね」
ミルの言葉に不安そうな顔になるフランシスカ。だが、実はそんなことはない。クリスからの情報が正しければ、アリアとアリストはレベル430くらい、対してフランシスカのレベルは444。そしてターニャはアリアやアリストよりもレベルが低い。
少なくともゲームの時は、レベル差が10もあると多少のプレイヤー性能では埋めがたい戦力差として表れていたので、今のフランシスカがターニャと戦ったとしても十分に打ち破れるだろう。
だが、ミルはそれでは満足できなかった。勝負をするのならば圧倒的な勝利を、完膚なきまでにターニャを諦めさせるほどの勝利を、二度とクリスにちょっかい出さないように!
そんな己の内なる声に気づいているのかいないのか―――いや、気づいていても、自分はクリスがモテる事に嫉妬していると思い込んでいるミルは気づかないかもしれないが―――ミルはインベントリから一本の杖を取り出した。
その杖は、何というか……フランシスカとアルトが思わず口を揃えて「「うわぁ……」」と言ってしまうような見た目をしていた。
「あの、ミルさんこれは……」
『『『ももももも……』』』
まず赤黒い。禍禍しい程赤黒い。
「【姦しの魔杖】という杖です。使い方は普通の杖と同じです」
『『『ももももも……』』』
固まった血のような色の杖は、何やら黒っぽい邪悪なオーラを発している。そして微かにドクンドクンと脈動している。
「あの、ちょっとこれは―――ひぇ」
『『『ももも……もっ』』』
杖と目が合った気がしたアルトが、一歩後退り情けない声を上げた。
「……本当に大丈夫なんですよね? 呪われたりしませんよね!?」
「大丈夫です、使っていた私が保証します。呪いとか錯乱とか狂化とかの状態異常や能力低下は絶対にありません。ちょっと見た目はエキセントリックですが、ごくごく普通の杖です」
「「コレがですか!?」」
『『『も?』』』
「「ひぃ!」」
やたらとハモった杖の声と視線に、フランシスカとアルトは思わず抱き合って怯えるのだった。




