円卓会議 その1
「うー……緊張してきた。お腹痛い」
円卓会議へ向かう最中。顔色の悪いミルの呟きをクリスが拾った。
「豆腐メンタルすぎんだろ。ちょっと偉い人が集まるだけの会議じゃねぇか」
「国家元首同士の会合を目の前にしてそう言えるクリスのメンタルが心底羨ましい。きっと心臓の毛もアダマンタイトのワイヤーで出来てるのね」
緊張にお腹を押さえる相棒に呆れたようにクリスが言うが、この時ばかりはミルの反応が普通だ。周辺国家で頭一つ抜きん出ているアルレッシオ聖王国の王太子であるアルトですら、緊張の為か少し動きがぎこちない。
しかしクリスはそのミルの言葉に鼻を鳴らすと、横を顎で指す。
「全身アダマンタイトになったアリアリさんには負けるけどな。大体何かしゃべる必要があったら全部俺にぶん投げるだろお前」
「当然じゃないですか私がそんな場で喋れるわけないでしょ何当たり前の事言ってるの」
「自信満々にクソザコメンタル宣言してんじゃねぇよ」
ミルの安定のヘタレっぷりに呆れるクリスがフランシスカを見て続ける。
「フランを見ろ。全く動じてないじゃないか、お前もあれくらい堂々としたらどうだ」
クリスの言葉にミルもフランシスカを見れば、確かに堂々と背筋を伸ばし涼し気に前を向いていた。
「凄い。昨日はあんなにガチガチだったのに、どうしたの?」
「……ミルさん、人とは慣れるもののようです。多少粗相をしても首が落ちるだけと考えれば、ほらこんなに大丈夫」
「それ大丈夫じゃないよ!?」
「私の首など二束三文なので」
「そんなこと無い! 命は平等だよ!? いのちだいじに!」
大丈夫じゃなかった。むしろ緊張しすぎて死中に活を見出したというか、すでに死ぬ覚悟を決めた者特有の潔さで、泰然としているだけらしい。
それを察して益々不安になるミル。
「やヴぁい、本格的にお腹痛くなってきた……」
「ミルちゃん、会議長くなるかもしれないし先に済ませてきたら?」
「……そうします。おトイレどこですか」
「侍女を付けるから連れてってもらいなさい」
「ここは行政区に近いため、お客様用の化粧室は少々遠くございます。ご案内しますのでこちらへどうぞ」
「お願いします……」
「こっちは先に行って待ってるよ。時間はまだ余裕があるからゆっくりでいいよ」
「あい……」
アリアに力無く返事をして、お腹を押さえてトボトボと侍女に着いていくミルを、クリス達は心配そうに見送ったのだった。
「……どうしよう。迷った」
15分後。ミルは宮殿の中を彷徨っていた。
なぜ侍女さんまで付いていて迷ったかと言えば、ミルが出入口が二つあり多人数が利用するタイプの大きなトイレの個室に入った後、女性の集団がトイレに入ってきて洗面台の前で化粧を直しながら雑談を始めてしまったからだ。
未だ男のつもりのミルにとって、女子トイレで女性に鉢合わせするなど気まずい事この上なく、出来るだけすれ違わないように個室で待機していたのだが、女性の化粧直しと世間話は終わる気配を見せない。
アリアにはゆっくりで良いと言われてはいたが、さりとてもし自分だけ遅れて後から部屋に入るようなことになれば、注目を浴びるのは容易に想像できる。
高校生時代に遅刻して入った朝のホームルームでの注目ですら拷問だったのに、自分一人だけで偉い人たちの注目の的なんてそれなんて地獄!? と、ミルは焦って居ても立ってもいられず、【隠形】のスキルを使ってそっと個室を出た。
出口は二つ。侍女さんが待っている入ってきた方の出入口と、それとは反対側に繋がる出入口。恐らくこのトイレの構造として、二つの廊下を繋ぐように設置されているのだろう。
勿論ミルとしては入ってきた方から出たかったが、その真横には4人の女性がたむろしている。
流石に真横のドアが開けば気づかれないはずはなく、見つかれば(精神的に)死ぬ。
反対側の出入り口は何処に通じているのか定かではないが、普通に考えれば左右の廊下はどこかで繋がっているはずで、大周りにはなるが迂回して侍女さんとの合流も難しくない、はず。
そう冷静に判断したミルは、スニーキング技術を無駄に駆使して反対側の出入口ににじり寄り、誰にも気づかれること無く脱出に成功した。
普通に堂々と出て行けば何も問題なかったのに、女子トイレで女性とバッタリという状況に日和りまくったミルが気付くことは無かった。気づいたとしても気後れして同じ行動をしたことだろう。そしてその結果。
「おかしい、さっきの道を右に行ったら回り込んで侍女さんの所に戻れるはずだったのに……通り過ぎたのかな? という事はこっちか」
ふらりふらりとわき道に逸れ、もはや帰り道すら分からなくなった立派な迷子が出来上がっていた。
こういった宮殿の場合、初期の建築計画からして攻められた時用にあえて迷いやすい構造にしたり、簡単に奥にたどり着かさない為にやたらと遠回りさせたりといった工夫が随所にみられる。
更にアルレッシオ聖王国の王宮は、300年という歴史の内に増改築が進み、より一層分かりにくくなっていた。初めて来たミルが迷うのは当然である。
「うぅぅ……どうしよう。本格的に時間が不味くなってきた。こんな事なら勇気を出して元のドアから出ればよかった」
後悔先に立たず。ミルが涙目になってオロオロと彷徨っていると、後ろから声が掛かった。
「あの、どうかなさいましたの?」
振り返ると、そこに少女二人と侍女と護衛と思しき騎士の姿。
その見た目は自分と変わらないくらいの年頃の少女二人に、ミルの目は釘付けとなった。
一卵性の双子というほど顔の作りは似ていないが、兄弟や親戚と言われれば納得するほど雰囲気の似た少女たち。
二人とも光を反射して緩く波打つ金髪に空のような透き通った蒼眼。長い睫毛に大きな瞳は驚きに見開かれ。桜色の唇からほうと感嘆の吐息が漏れる。
「「綺麗な娘」」
先頭に立つ少女とミルの呟きが重なり、お互いが互いにどういう第一印象を持ったのか知って自然と照れたような笑みが顔に浮かぶ。
少女の方は純粋に好意から、ミルの方は『おっナイスロリ眼福眼福』という純粋なロリ魂から。
「改めて伺いますがどうかなさいました? こちらは行政区の近くですがもしやどなたかの面会ですか?」
「あ、いえそうではなく……えっと、ちょっと迷ってしまって……」
先ほどまでのオロオロとした挙動と、ロリ魂を全く臭わせない可憐な微笑みに警戒心を解かれたナイスロリが心配そうにミルに問いかける。それに今のミルは円卓会議の為にメイド達が丹精込めて磨いたご令嬢姿だ。元の見た目も相まって深窓の令嬢そのものといって良い。
見たことのない少女と言えども、警戒心を抱くのは難しいだろう。得な見た目である。
「まぁ大変。どちらに行きたいか伺っても? 良ければ案内を―――」
「こちらにいらしたのですねミルノワール様!」
半泣きになるくらい不安そうなミルの姿を見かねたのか、少女が案内を提案しようとする言葉を遮って、慌てた侍女の声が廊下に響いた。
その言葉に「ミルノワール?」と口の中でつぶやいた少女が一瞬怪訝な顔をしてミルを見たが。すぐに元の微笑に戻りミルは気が付かなかった。
「あら、お迎えかしら」
「あ、さっきのメイドさん」
「アリシア様!? お、お言葉を遮ってしまい申し訳ありません!」
「良いのですよ、貴女のようなベテランの侍女が声を荒げる程、急ぎの用があったのでしょう?」
大声を出してしまった上に目上の相手の言葉を遮ってしまった無作法に恐縮する侍女だが、それを咎める事も無く流して少女―――アリシアは微笑んだ。
身分の高そうな人なのに見ず知らずの迷子相手にこんなに優しく接してくれる上に、目下の粗相も笑って許すとか天使かな。とミルは感心した。メイドの粗相は全部自分のせいなのに罪悪感は全くない。ついでに迷宮のような王宮の中で自分を見つけてくれたメイドへの感謝もそっちのけで美少女に釘付けである。むしろこんなナイスロリに出会えて得をしたとすら思っていた。はた迷惑なことこの上ない。
「はい。過分なご配慮有難く存じます。誠に僭越ながら仰る通り時間が押していますので、御前を下がらせて頂きたく」
「ええ、かまいません。ミルノワールさん、お急ぎの所申し訳ありませんでした」
「えっと……いえ、私が困っているから声を掛けてくれた訳ですし、こちらこそありがとうございました。あと、アリシア……様? 私の事はミルでいいです。友達はみんなそう呼ぶので」
「まぁ! 私とお友達になって下さるのね! では私の事はアリスとお呼びくださいまし、親しい者はそう呼びますわ。また時間がある時に会えることを楽しみにしています」
「こちらこそ是非」
ミルはドストライクのナイスロリからお友達宣言が貰えて内心狂喜乱舞するのを必死に隠し、ひとつ頭を下げてアリシアに別れを告げた。驚いたことにナイスロリより行きたくない会議を優先するだけの理性は残していたようだ。ブッチしたら後でクリスにしこたま怒られるのが目に見えているからかもしれないが。
アリシアは、後ろ髪を引かれまくりながら離れ行くミルの後ろ姿を見送り、十分離れたところで小さく息を吐くと緊張を解いた。
「なる程、あれが今世の……」
その呟きを拾ったのは、先ほどから無言を貫いていた隣のアリシアと似た雰囲気を持つ少女一人だけだった。
■◇■◇■◇■◇■
豪奢な装飾の施された大扉が重々しく開かれる。
開け放たれたその先にある部屋には、荘厳華麗としか表現しようのないほど細部にわたり大小様々な美を散りばめた内装と、中央に置かれた重厚な円卓。
しんと静まり返る室内。
しかし、流れ出る熱気がつい先ほどまでこの室内で、喧々囂々とした激論が交わされていたであろうことを伝えてくる。
その円卓に座る七人と、周囲に侍る十数人の視線が入り口に集中した。
この室内にいるのは各国の代表であり、政治の中核。まさしく世界を廻す者達。
一人だけでも、一般人ならばひと睨みで平伏するであろう重圧を発する視線を数十個浴びながら、遅れて入室した六人と一匹は堂々と歩みを進め、最奥にある上座に置かれた椅子へ向かった。
聖王アルバートの計らいで遅れてやってきた、今回の主役たちを見定めようとする視線が、吸い寄せられるように先頭を歩くアリア、ミル、クリスに集中し、老若男女分け隔てなくその美しさに口からほうと吐息が漏れた。
室内の煌びやかさが色あせる程の存在感を放つ、まるで天界から迷い込んだかのようなこの世ならざる美貌を持つ三人に一同が心奪われる中で、一人だけ驚愕に目を見開き腰を浮かせた者がいた。
静寂に包まれる室内にガタンッと無粋に響く椅子の倒れる音に、我に返った全員の視線が立ち上がった者に向かうが、彼はそれどころではない様子で呆然と呟く。
「ア、アリア……?」
「やぁ久しぶりガルシア、と言っても私の感覚だとそんなに会ってなかったような気はしないのだけれど。その様子だと私の事は知らされていなかったようだね」
立ち上がった男、エルフの国【エルヴンガルド】の代表である【学園長 ガルシア=ハイウッド】に視線を向け、次にアルバートを見るアリア。それにアルバートは肩を竦めた。
「先に話してはせっかく天人方に遅れて入室してもらった意味がない。そちらの話題で話が進まないことが目に見えていたからあえて伝えなかったのだ、他に話さなければならない事も多かったしな。それに実物を見ないと、初代聖王が復活したなどという荒唐無稽な話を、そう簡単に信じられるものではないだろう。初代を見れば学園長が証明して―――」
「アリアああああ!!!」
アルバートの言葉を遮り、呆然自失から回復した学園長ことガルシアが両手を広げて叫びながらアリアに駆け寄り……いつの間にか前に出ていたアリストに、すれ違いざまに首根っこを掴まれて止められた。
ハイエルフらしい知的で涼やかな美貌に似つかわしくない、「ぐえっ」という濁声を上げて強制停止させられるガルシア。威厳が台無しである。
「学園長、エルフの代表は公衆の面前で婦女子に抱き着くような狼藉を働くのですか? 同じエルフの血を引く者として恥ずかしいですから自重なさい」
「あ゛? ……アリスト、貴様がなぜここに」
「見た目は若いのに耄碌したものですね、誰の従魔が教会の書状を送ったかも聞いていないのですか? それに私がアダムヘルにいることも知っていたでしょうに、年を取りすぎて忘れっぽくなったんですかねぇ」
「誰が年寄りだ小僧! お前の方がよほどジジイジジイしとるではないか! 私が言いたいのは、なぜ冒険者ギルドのいち支部長でしかない貴様が円卓会議に来ているかという事だ、オブザーバーならギルドマスターが居るのだから貴様は必要無かろう!」
「あぁ、私はギルド職員を辞めましたので今は支部長ですらないですよ」
「はあ!?」
「今の私は、アリアの夫兼パーティメンバーのSランク冒険者として来ています」
「はあ!?」
愕然とする周囲を置き去りにして、青筋を立てた初老のハーフエルフと見た目三十代前半のハイエルフ二人が視線でバチバチと火花を散らした。
髪と同じ濃緑色の瞳を眼鏡の奥で眇め、アリストを睨みつけるガルシア。爽やかで知的な見た目なのに雰囲気は完全にインテリヤクザだ。
アリストも負けじと、普段の穏やかな視線を冷ややかなものに変え、ガルシアを見下ろした。こちらもスジ者大幹部クラスの迫力を感じる。
公衆の面前でキスをしてきたアリストに、アリアが小声で「おまいう」と呟くが、ガンの付け合いが忙しい二人には聞こえない。
「おいアリア。お前の弟トチ狂ってるぞ。何とか言ってやれ」
まさに一触即発という雰囲気のまま、二人に呆れ気味のアリアに言う。視線は憎々し気にアリストを見つめたままだ。
「いや何か言えって、全部事実なんだけど」
「…………はああああ!?!?」
顎が外れそうなほど美貌を歪ませて驚愕するガルシアを、アリストは勝ち誇ったように見下ろした。
爺同士の醜いマウントの取り合いは、アリストに軍配が上がったようである。




