劇的!? ビフォーアフター
冒険者ギルドのグランドマスター。ベスターこと俺が入り口に注目していると、ババーン! っという感じで両開きの扉が開き、三人の人物が入ってきた。
「アリスト、どうだい似合うかい!? って、おんやぁ客人かな? これは失礼したね」
一人目は美しいと言う表現が陳腐に思えるほどの美貌を持った、二十歳前後の金髪の女性。
肩を出したシアンブルーのロングドレスを着たその人は、驚いたように目を見張ると入ってきた時の激しさが嘘のように優雅に一礼し、アリスト支部長の元へ歩み寄った。
次に入ってきたのは純白のカクテルドレスを纏った可憐な美少女。
楚々とした所作でちらりとこちらを一瞥すると、何も告げずに男の天人様の元へ移動しその後ろに姿を隠す。
俺は、人の目に触れることを避ける精霊か妖精でも幻視したかと思ったほどだ。
小声で、「どうクリス、似合う?」「まぁまぁだな」「ぶー、そこは似合うって言うべきじゃない?」という微笑ましい会話が聞こえてきたので、どうやら幻覚では無かったらしい。
最後に入ってきたのはカッターウェーのモーニングコートを着た……少年?
感情を感じさせない切れ長の目とビシッと決まったスーツが、触れたら切れそうなほどの怜悧な印象を与える……のだが、男にしては小柄な体躯に線の細さ、そして後ろで縛られた長く艶やかな黒髪が性別を感じさせない中性的な容姿となっていた。首に掛けた狐の毛皮も雰囲気を和らげるのに一役かっている。
彼? はこちらに一礼するとアルトの元へ。執事か何かだろうか?
何故かアルトの肩が大いに震え、少年? の柳眉がピクリと跳ねた。
こっちは触らない方が良さそうだなぁ、と判断してアリスト支部長に視線を向けると、その表情を見て、俺の動揺しまいという硬い誓いに早くも亀裂が入る。
「世界で一番美しく、可憐で、そして可愛いよ。神々しくすらある」
「そう? それは良かったし本心で言っているのは分かるんだけど、そこまで言うとわざとらしいよ」
「心の底から本心だとも」
「だから分かってるから言ってるのよ馬鹿。言わせないでよ恥ずかしいじゃない」
俺にとって、いやおそらくすべての冒険者にとって、いつも泰然として冷静で狡猾で油断ならない大先輩であるアリスト支部長が、とろけきった笑顔で金髪の女性を褒めたたえていたのだ。
誰だよお前!? と思わず喉まで出かかるくらいの雰囲気の変化に、俺はあり得ないと思っていた自分の考えこそ正解であったと悟った。
「あぁ、すまないベスター君。彼女があまりにも美しすぎてそちらに集中してしまった。彼女が僕の最愛の妻にして、ギルド職員を辞める原因である、アリアだ。アリア、彼がグランドマスターのベスター君だよ」
「あぁアリストから話は聞いている、とても優秀だともね。これからアリストと共に世話になることも多いと思うから、よろしく頼むよ」
そういって握手を求めるアリアの手を反射的に握り返してから、俺は自分が思っている以上に動揺しているのだと認めた。
普段の自分は握手を求める相手に、簡単に利き腕で応じたりしない。それは未だ現役を自負する俺の矜持であり、重要な役職についているという用心でもあった。
そんな自分が、いくら相手がうら若き美しい女性といっても無警戒に握手に応じてしまうとは、まるで絶対に逆らってはいけない者からの命令を聞いてしまったようではないか、と自身の行動に苦笑した。
「これはご丁寧にどうも、しがないグランドマスターのベスターって者です、以後お見知りおきを。
で、この美しいお嬢さんとアリスト支部長の引退がどうつながるんだ? 結婚したというのも初耳だが、結婚を機に身を引くようなタマじゃないだろアンタは」
しがないグランドマスターって何さ、と苦笑を浮かべるアリアさんを見て、俺はふと彼女の顔に見覚えがあるような気がした。
「んんん? 失礼、アリアさん俺ってば貴方とどこかで会ったことあるかな? どこかで見たことがある気がするんだが……その名前は縁起がいいって多いから、もしどこかで会ったことがあるなら申し訳ない」
昔は伝説の初代聖王様に対して恐れ多くて少なかったらしいが、最近はあやかりたいって人も結構いて多くなってるからなぁ。
そういう言う俺に対して、アリアさんはくすりと笑って、言う。
「おやおや、多い名前なんだ。それはまたどうして?」
「そりゃまぁ、魔王を討伐した伝説の英雄にして、聖王国建国した初代聖王であるアリア=アリネージュ様の名前だからね。聖王国じゃこれ以上無いってくらい縁起の良い名前だろうさ」
俺が聖王国どころか世界中で三歳の子供でも知っている事実を語ると、彼女は悪戯が成功したというようにニヤリと笑って、言った。
「丁寧なご紹介ありがとう。私です」
「……ん? どういうことだ?」
話がつながらずに困惑する俺に、アリアさんは自分を指さして言う。
「私、アリア=アリネージュ。伝説の英雄にして初代聖王、本人」
一単語ずつ、出来の悪い生徒に教え込むように区切って言ったアリアさんの言葉に、連鎖的にアリア教会本部にあるアリア像の顔を思い出し―――認識が追いついた俺の首がギギギ……と音が鳴りそうなぎこちなさで動き、アリスト支部長を見た。
「正真正銘、アリア=アリネージュその人だよ。僕が保証する」
「「…………………………………………………………はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」」
俺とアーシャの絶叫が、応接室に響き渡った。
■◇■◇■◇■
「―――なるほど、ご本人という事は理解しました。数々の非礼をお許しください、初代聖王陛下。いやアリア教会の主神でもあらせられるのなら、猊下の方がよろしいですか?」
一通り話を聞いたベスターが、何とか現実を受け入れて、背筋を正してアリアに言った。
この短時間で状況を飲み込み、先ほどまでのどこか気易い雰囲気とは違い冒険者ギルドという巨大組織のトップであるということを感じさせる貫禄と威厳を瞬時に纏うあたり、伊達にグランドマスターをやってはいないのだろう。
隣のアーシャはまだフリーズ中だ。こちらは社会人一年目なので多めに見てあげて欲しい。
「あぁいいよアリアで。というかこれから会う各国首脳には私の復活は口止めさせて、今回のアップデートが終わったらいち冒険者として世界を回ろうと思ってるからね。だから今回のアップデートでも前面に出るのはそっちの新しい天人二人で、私は表には出ないつもりなんだ」
「む、そうなのかアリアリさん」
アリアの言葉に、クリスが驚きの声を上げた。後ろでミルも目を見開いている。
「そうだよー。もちろんフォローは出来るだけするけどね。私が前に出ると、現聖王の立場や他国への影響が多すぎるから。特にアリア教とか新しい君たちと私とで宗派とか派閥とかできかねないしね。
だから、今後私には限りなく一般人のつもりで接してくれると助かるよ」
地球の宗教戦争の事を思い出し、クリスもなるほどと納得した。
すでにこの時、アダムヘルで自分たちを主とする宗派の萌芽の兆しがあることは知る由もない。
「それなら最初から会議自体に出ない方がいいんじゃないのか?」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、生憎と私の事をよく知っている相手が代表として来ていてね。彼には到底隠し切れないから、各国の首脳陣だけには私の復活は公開しようと思うんだ。そのうえで口止めする。それにトップに話が通じてると色々と便利だしね」
「……世直しの旅でもするのか?」
「あ、いいねそれ! 水戸黄門プレイって憧れるよね。この紋所がーって!」
話が盛り上がる天人二人にから視線を外し、ベスターはアリストへ問いかけた。
「アリスト支店長、つまりアンタはギルド職員を辞めて、冒険者として現役復帰するって思っていいのか? アリア様と共に」
「そういうことだね。ただ僕のギルドランクはそのままでいいだろうけど、アリアは偽名を使うだろうからギルドランクはリセットになってしまうかな。その辺うまく調整できないかなベスター君?」
「アンタは自分のギルドへの影響力を分かってんのか……辞めます、はいそうですか、で済む立場じゃないだろ」
「それは君たちが勝手に持ち上げてそう思っているだけだろう。僕の立場は正真正銘一都市の支部長でしかないとも、それに僕が百年に渡って育て上げたアダムヘル支部は僕が抜けても問題なく機能すると保証しよう。新しい支部長には副支部長を据えるといい、すでにアダムヘルを出るときに話はしてあるから」
確かに、実績に由来する精神的な影響力は凄まじいが、アリストが言うように本来の役職としては全国に百か所以上ある支部の長でしかない、替えはきくポストである。
……このジジイ、まさかそれを見越してずっとアダムヘル支部に居座ったのか? 次の天人様が降臨されるのは【全ての始まりの祭壇】であるのを予想して、アリア様の復活を信じ、復活したらすぐに離れて共に歩むために……その為だけに二百年近く。狂気的な妄執だ。流石の俺も引く。
あー……じゃぁもう何を言ってもこのワールドワイドジジイを説得するのは無理だな。と、アリストをよく知るベスターは早々に説得を諦めた。
「……伝説のSランク冒険者が二人同時に復活するのか。ギルドとしちゃ願ってもないんだが、アリア様のギルドランクなぁ」
切り替えたベスターは別の問題について頭を悩ます。
確かに元SランクをFランクからスタートさせるのは無駄が過ぎると思うが、他ならぬアリアが設けたギルド信念である『不正を許さず』の精神が邪魔をして渋い顔になるベスター。
Sランクへの飛び級昇格試験、作るかぁ? それとも名誉職的なSSランクでも……と悩まし気なベスターが考え込んだのを機に、やっとフリーズから回復したアーシャが初めて声を上げた。
「あ、あのアリスト様。ところで私はなぜココに居るのでしょうか……」
色々と情報と感情がオーバーフローして、青い顔で言うアーシャ。
アダムヘルを出るときにも同じことを言った気がするが、結局今の今までなぜ連れてこられたかの明確な説明はされていなかった。
彼女は考えていた予想が現実になる予感がした。即ち、自分がミルとクリスの専属担当に抜擢されるという予想が。
アーシャの考えを読むように、アリストが口を開く。
「君には、ミル君とクリス君の専属受付担当として行動を共にしてもらいたい。これから彼らがする事と立場を考えれば、彼らが町を歩くだけでパニックが起きかねないからね。出来るだけ王宮から出ずに済むように連絡係が欲しい。そしてついでに、僕たちが冒険者ギルドに用がある時の連絡役もお願いしたいかな。僕たちが直接顔を出すと、それはそれで騒ぎになりかねないからね」
笑顔で予想通りプラスアルファの事を言うアリストに、アーシャの目の前は真っ暗になった。
え、クリスさんとミルさんだけでキャパオーバーなのに、アリスト様とアリア様まで!? しかもアリア様はもちろんクリスさんとミルさんも天人様なんでしょ!?!? 無理無理無理絶対無理!! 断ろう今すぐ断ろうキャリアとか不忠とか不敬とか関係ない私の胃が胃酸で蒸発しちゃう!
「お断―――」
冒険者からしたら神様にも等しいアリストと、実際にほぼ神様の天人三人からの依頼を断るなど、普通に考えれば不敬すぎてその場で死罪ものだろうが、アダムヘルで仕えたアリストの温和さと、旅の道中で触れ合ったミルとクリスの優しさに賭けて、断ろうとするアーシャ。
アーシャにとっては今死ぬ思いをして今後平穏に生きるか、これからいっそ殺してくれと言うほど忙しく生きるかの瀬戸際である。
しかし、アーシャが決死の覚悟で断りの言葉を発するより早く、ミルがアーシャに駆け寄りその両手を取った。
「ホントですか!? やった! アーシャさんが受付してくれるなら私はすごく嬉しいです!」
「ふえ!? えっと、あの、ミルさん!?」
結構人見知りするミルとしては、見ず知らずの受付嬢に毎回依頼の受領をお願いするのはストレスでしかなく、冒険者ギルドへ行かなくてももろもろと手続きをしてくれる人材は願ったりかなったりだった。
それがある程度気心の知れたアーシャならこれ以上の事はない。何より美少女だし! とミルは飛びついたのだった。
しかし飛びつかれたアーシャは困惑の表情、それに気づいたミルの表情が見る見るうちに曇っていく。
「だめ……ですか?」
「ええっ! ミ、ミルさんその、えっと……」
衣装も相まって儚げな印象だったミルの表情が、花が咲くように笑顔になり、自分のせいで途端に曇り、しまいには涙が浮かんだのを見て……どうして断ることができようか。
「…………大丈夫です! やります!!」
「ホントですか!? やったー! アーシャさん大好きです!」
「わわっ!」
それでも発生した長い逡巡がアーシャの葛藤を物語るが、ミルがいい子であると疑っていないアーシャは、こんな子を泣かせるなんて出来ない! と、己の迷いを振り切った。アーシャの望まぬキャリアへの道が確定した瞬間である。
嬉し気に飛びついてきたミルが、自分のそこそこの大きさを持つ胸を堪能しているとは夢にも思わないアーシャだった。
アーシャとミルが、見た目だけは微笑ましいスキンシップをしている時、時折こちらを見ては笑いの発作を起こすアルトに、底冷えするような冷たい視線を向けるフランシスカが口を開いた。
「……どーせ似合ってないですよ」
「いやいや、とっても似合っているよ、似合いすぎてるくらい」
「それはそれで腹が立つわね」
アルトをギロリとひと睨みしたあと、ぷいっとそっぽを向くフランシスカ。
フランシスカの事を知らない人間ならば、眼鏡を外したその極寒のような怜悧な視線に恐れ慄くことだろうが、フランシスカと出会ってから一週間を過ごしたアルトには、それが照れているのだと分かる。
たかが一週間と言っても、寝起きからほぼすべて行動を共にし、死ぬほどの訓練を共に乗り越えた戦友で仲間であるのだ。アルトにとって、これほど長く濃く行動を共にした同じ年頃の女性は、フランシスカが初めてだった。
「それにしても、なぜ男装なんていう結論になったんだい? 最初はドレスを着せると意気込んでいた気がするんだけど……フランの最後の抵抗かな?」
「……違う。それこそ、最初の方は目が回るくらい色んなドレスを着せ替えられたんだけど、途中でアリア様がちょっと変な事言って……最終的にこの形に落ち着いた」
「変な事? 重要なところがごっそり端折られて、どうしてその格好に落ち着いたのかさっぱり分からないんだけど?」
アルトの頭に?マークが浮かぶ。その端正な顔を横目で見て、フランシスカはアリアに言われた言葉を思い出した。
『天人と王太子のパーティに、平民の少女って絶対何か勘繰られるよねー……いっそのこと、フランはアルトのお嫁さんになる気はある? あるなら全力で応援するけど。ってかもうこの際、既成事実作っちゃう?』
思い出して、フランシスカの頬に薄く朱がさす。
確かにこの異色だらけのパーティで唯一普通の村娘なフランシスカは、ある意味異色な他の面々より際立って異色と言える。
ならば、民衆が「どうして?」という疑問を抱くのは当然であり、王太子の意中の相手などといった、下種の勘繰りに発展するのは目に見えていた。
だがそれが、“平民の少女”でなく“平民の少年”であれば、市勢で出会った無二の親友といった美談的な噂話で落ち着くだろう、とアリアは考えたのだ。
別にアルトの事が嫌いではないが……むしろこの誠実な少年の事を、好きか嫌いかどちらかと聞かれれば、間違いなく好きではあるのだが、その思いが未だ恋や愛といった激しい情動にまで発展していないフランシスカは、王子様との恋物語などというお伽噺のような未来に憧れるよりも、その先に待ち受ける前途多難な現実の方を考えてしまって、全力でアリアの提案に首を横に振った。その結果が男装である。
「……それは乙女の秘密って事で」
「うわぁ、そういう言われ方したら聞くに聞けないじゃないか……まぁ確かにこれからの事を考えるとフランは男性という事にしておいた方が無難かもしれないね。軍は基本男所帯だし、よからぬ事を考える人間がいないとも限らない」
ミルたちがパワーレベリングをするにあたり、アルトとフランシスカも当然行動を共にする。
天人であり、圧倒的戦闘力を持つミルにナニカをしようとする者はいないと思うが、いくらレベルが高くとも平民の少女ならば不埒な事を考える者がいないとも限らない。
そういった懸念を減らすには、男装というのはとても理にかなっているようにアルトにも思えた。
「じゃぁさ、ドレスを着てみた感想はどうだった?」
フランシスカに何かされるという不快な想像に気分を害したアルトは、それを払拭するように冗談めかして聞いた。嫌な想像は所詮想像でしかないのだ。自分も気を付ければ大丈夫だろうと気持ちを切り替える。
「……よく分からない。アリア様やミルさんは可愛い可愛いって言ってくれたけど、どう考えてもお世辞だと思うし」
化粧をして鏡に映った姿は自分では無いようだったが、可愛いかと聞かれると首を捻らざるを得ない見てくれだった、と思うフランシスカ。
「そんなこと無いと思うけどなぁ、絶対可愛いと思うよ。今度僕にもドレス姿を見せてくれないかい? 恥ずかしいなら二人っきりの時にでも」
「……貴方のそういうところ、あたしはほんとにダメだと思う」
「ええ、何で!?」
素面で無自覚に口説いてくるアルトを、胡乱気に見つめるフランシスカ。
狼狽えるアルトにため息を吐き、この人の正妻になる人は大変だろうなぁと思う。
かすかに跳ねた鼓動には、気づかないフリをした。




