初恋と嫉妬
冒険者ギルドの入り口が開く音に、近くにたむろしていた冒険者達は一旦そちらに目を向けると、見知った顔を見つけてほとんどが興味をなくした。
「よぉギース。今日はもう行商人の真似事はおしまいか?」
その中で一人の冒険者が、入口に現れた顔馴染みにそんな軽口を叩く。
「真似事じゃなくってちゃんと許可とってるれっきとした商売だっての。お前こそ、こんな時間にギルドにいるなんて珍しいな。そろそろ冒険者は廃業して教官でもやるのか?」
いつも似たようなやり取りがあるのか、ギースは慣れた様子で逆に軽口を返している。
「バカ言え。まだまだ現役だっての! そーいや今度【ローランド大洞窟】に潜るんで斥侯探してるんだが、お前も噛まねぇか?」
「あー。仕事の話はあとでな、今日はちとお客を連れてるんでね」
「客ぅ?」
そういうギースの後ろから現れた二人に、自然とギルド内全員の視線が向かい。
喧噪に包まれていたギルド内が、一瞬で静寂に包まれた。
「……なんでぇ。皆してハトが豆鉄砲食らったような顔して」
周囲の動揺と驚愕に、逆に動揺するギース。
いきなり注目されて眉間に皺が寄るクリス。
そしてサッとクリスの後ろに隠れるミル。
「いやお前、貴族様か王族様かしらねぇが、そんな高貴な方々を案内する場所じゃねぇだろうよココは」
たっぷりと十数秒、気まずい沈黙がその場を支配したが、最初にクリスに話しかけた男が恐る恐るギースに言った。
「貴族? 王族? いや、こいつらそういう高貴なもんじゃねぇぞ多分」
「は? いやどう見ても全身から雲の上の匂いがダダ漏れだぞ。分かんねぇのかお前」
そう言いつつ、浅い付き合いながら、そういやコイツ普段から空気が読めない時があるな。と、妙な納得をする男。
斥候としての腕はいいし、その他の話術にしても技量にしても頼りになるの男なのだが、よく言えば人懐っこい、悪く言えば馴れ馴れしいところがあるのだ。
明るく人好きする得な性格のせいで目立たないが、一部の頑固な冒険者にはその軽さのせいで受け入れられていない。本人は全く気付いていないようだが。
「どんな匂いだよ……だよなお二人さん」
明らかに格上の存在感を垂れ流すクリスとミルに対して、いつものようにかる~く話しかけるギースに、『不敬罪』という単語が頭によぎる。
この国の貴族は武を尊ぶため冒険者に対して他国に比べよほど風当たりが弱いが、それでも相手はお貴族様である。そんな不敬な態度が許されるはずがない。
おま、空気読めなくて自爆するのは自分だけにしろよ。俺らを巻き込むな! とばかりに一斉に他人の振りをして視線を逸らす周囲をよそに、話を振られたクリスはありのままの事実を答えた。
「あぁ、俺たちは限りなく普通の一般人で高貴な者とは一切関りは無い」
――― うそつけ!
堂々と答えるクリスと、その後ろに隠れるミルを見て、ギルド内全員が心の中で叫ぶ。
が、万一御忍びの王族とか貴族であれば、下種の勘ぐりなどすれば、下手をすると物理的に首が飛ぶので誰一人突っ込めない。
「そ、そうか。むさくるしい所で申し訳ありませんが、寛いで行ってください」
「いやお前のギルドじゃねぇだろうがよ。あとお前の敬語ってキモイな」
「やっかましいわ! で、では俺はちょっと野暮用があるのでこれで……」
そそくさと退散する男を不審そうに見ながら、取り合えず用事を済ませてしまうことにするギース。
「あーすまんなお二人さん。変なのに絡まれちまって。あれでも一応Bランクパーティのリーダーで頼りになるヤツなんだが、なんか調子が悪いみたいだわ」
「気にしていない。というか、俺たち二人だけでここに入ったらもっと絡まれていた可能性もあるからな、むしろギースがいてくれて良かったよ」
「……周りを見る限り、たぶん二人でも絡まれなかったと思うぜ」
いまだに引いて見ている周りの冒険者やギルド員をギースは苦笑して見回した。
「まぁ取り合えず、取引証明の手続きしてくるから、お前さん方は自分の用事を済ませておいてくれ」
「分かった。冒険者の新規登録窓口はどこだろうか?」
「新規登録はあっちの受付のねーちゃんだぜ」
ギースに言われた新規登録の受付嬢は、ビクリと体を震わせ、『マジでこっちにくるの!?』という表情で冷や汗を流し始める。
逆に周りの受付嬢は、自分のところに来ないことが分かると、目に見えてホッとした。
誰も得体のしれない高貴っぽいお方の対応などしたくないのだ。
「つか、お二人さんは冒険者になるのかい?」
「あぁそのつもりだ。新規登録だからまずは駆出しランクからだな。そうなるとギースは先輩になるのか。ギース先輩とかギースさんとかで呼んだほうがいいか?」
「……止めてくれ。お前らの先輩とか、なんかロクなことにならない気しかしねぇわ。今まで通りでギースでいいぜ。なんか分かんねぇことがあれば同じ冒険者として答えてやるからよ。ぜってー先輩なんて呼ぶんじゃねぇぞ」
「酷い言われようだな。そう言われると意地でもギース先輩と呼びたくなるんだが」
「勘弁してくれ」
クツクツと笑うクリスにげんなりするギース。
そんな二人のやり取りをみて、やっと少しだがギルド内の空気が軽くなる。
「んじゃ準備できたら呼ぶからよ、登録終わってもギルド内に居てくれよ」
「分かった。俺達も行こうかミル」
「はい」
新規受付窓口に向かう二人。このとき初めて、クリスの後ろに隠れるミルに気付く者も多かった。
それだけクリスの存在感が大きかったという事だが、逆に気が付くと、その儚さ、可憐さ、美しさに男女問わずにミルに目が釘付けになる。
自分に集まる視線に居心地悪そうなミルは、思わず前を歩くクリスの袖を掴んだ。
怪訝そうに振り返るクリスに、にっこりと微笑むミル。
「お前もっとちゃんと壁しろよ」というミルの抗議の視線を受け、「放り出すのと二人羽織りどっちがいい?」と微笑み返すクリス。
ピクリと頬を引き攣らせたミルは、裾を掴んでいた手をそっとずらし、クリスの手のひらを全力でつねり上げた。
自分の防御力を貫くミルの馬鹿力に、クリスも笑顔のまま青筋を浮かべると、ミルの手を握りこむことで抑える。
歩きながら行われる、無駄に高いステータスを無駄遣した激しく不毛で残念なやり取りであった。
そんな残念極まりない二人だが、はたから見れば手を繋いで歩く仲睦まじい男女であった。
周りの視線が警戒心を含んだ物から生暖かい物に変わった事に、二人だけは気づかなかった。
「ここで冒険者登録ができると聞いたのだが、間違いないだろうか?」
「ひゃっ、ひゃい!そうれしゅ!!」
幸いなことに(受付嬢的には、不幸なことに心の準備をする暇もなく)順番待ちの列もなくスムーズに新規登録窓口まで移動し、受付嬢に声を掛けるが、二十歳前後に見える受付嬢は、クリスの美貌と謎のカリスマ性、高貴かもしれない身分に当てられてガチガチに緊張していた。
こういったケースでフォローを入れるべき先輩受付嬢も、先ほどのミルとクリスのやり取りにほっこりしすぎてフォローに入る余裕がなかったのが、この受付嬢の不運である。
「……そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。落ち着いて」
「あわわわすみませんすみません」
苦笑しつつも、穏やかな口調で眼鏡越しに優しく見つめられ、見る見る顔を真っ赤に染めてさらに狼狽する受付嬢。
埒があかないと判断したクリスは、こっそりと無詠唱で【安息】の補助魔法を使い、どうにか受付嬢を正気に戻す。
ちなみに【安息】は、ゲーム内ではHPとMPの自然回復力を向上させる効果なのだが、字面的にそういう効果もありそうと場当たり的に試してみたらビンゴだっただけで、もちろんクリスはそんな付加効果があるなど知らなかった。
別名人体実験ともいう。
「……申し訳ありません。見苦しいところをお見せしました」
「構わないよ。冒険者の新規登録をしたいのだけど、いいかい?」
いまだに頬をうっすらと染めながらも、何とか体制を整えた受付嬢にやっと話が前に進むと安堵するクリス。
ミルはというと、平静を装いながらも熱に浮かされるようにうっとりとクリスを見つめる受付嬢を見て、「これだからイケメンは」とか「天然タラシめ」とか、クリスにしか聞こえないようにブツブツ言っていた。完全にモテない男の僻みと嫉妬である。
「私は冒険者ギルド員のアーシャと申します。新規登録ですね。ではこちらの用紙に必要事項の記入をお願いいたします。秘匿したい場合は空欄で構いませんが、ギルドでの冒険者の能力把握の為に出来るだけ埋めて頂けると幸いです。名前と性別、職業ツリーは必須項目ですので、こちらは確実に埋めて下さいませ」
ちゃっかりと自己紹介し、用紙をクリスに渡すアーシャ。
普段は文字が書けるかどうかの確認もするのだが、この二人には必要ないだろうと判断し、そのまま渡す。
クリスのほうも全く気にした風もなく受け取り、名前・性別・誕生日・出身地・Lv・職業ツリー・スキル等を差し障りの無い範囲で適当に埋める。
「分かった。……これでいいかい?」
「確認いたします。……問題ありません。クリスタール=ロア様とミルノワール=ロア様ですね。ご兄弟ですか?」
クリスをうっとりと見つめるアーシャ。
隣のミルが幼い見た目なので、夫婦という事はないだろうと思う。
二人の関係を聞き出し、クリスが独身ならばあわよくば……というアーシャの多分に私情を挟んだ質問。
この何気ないこの一言が、クリスにとっては致命的であった。
「あぁそうd「 夫婦です 」」
――― ビキッ
その瞬間、明らかに空気が凍った。
「……お「 夫婦です 」」
大事な事なのでクリスに被せて二度言いました。
そして誇らしげに左手の薬指の結婚指輪を見せるミル。
この時のミルの心理としては、別に夫婦であることを自慢したいのではなく、リアルでもゲームでもむやみやたらにモテる幼馴染に一泡吹かせてやりたかっただけで、それ以外の一切合切何も考えていなかった。
完全に逆恨みの嫉妬から来る行動で、心底残念である。
ちなみにAAOでも、左手の薬指に光るこの結婚指輪が既婚者の証だった。
……ざわ
……ざわ
途端にざわめく周囲。
周りからはヒソヒソとこんな会話が聞こえてくる。
「夫婦……だと……」
「あの年で人妻だと……」
「マジかよ……つか幼すぎねぇか」
「だよなぁ、いくら美人になりそうって言っても……」
「つまり、あの野郎あんなスカした顔して幼女趣味かよ」
「あぁ幼女趣味だ。間違いねえ」
「貴族で年下の嫁さん貰う事も多いと聞くが、あのくらい幼いのは普通なのかね?」
「馬鹿言え、見たとこ12~3歳じゃないか、いくら貴族でも成人までは婚約しても結婚は普通しねーよ」
「つまりは?」
「幼女趣味だ」
「幼女趣味か」
「幼女趣味だな」
見た目は15歳前後で設定したつもりのミルだったが、あくまで日本人から見ての15歳前後であり、子供の発育が欧米と変わらないこの世界では、よくて13歳以下の見た目といったとこだ。
実際に、クリスが二十歳前後と判断した受付嬢のアーシャが実年齢16歳であるところが、その証左と言えるだろう。
そしてそれが余計に事態に拍車をかける。
吹き荒れる誹謗中傷。女性冒険者のゴミを見るような視線。死んだ魚のような目に変わった受付嬢。頬を高揚させしてやったりとドヤ顔決めるミル。ドヤ顔すら可愛いのが余計に腹が立つ。
クリスの擁護をしておくと、AAOでは【結婚スキル】というものがあり、デスペナの減少やHPとMPの夫婦間での譲渡、絶対防壁の展開など有用なスキルが多いため、効率の為に、結婚はミルから言い出した事である。
それを棚上げしてのこの所業、まさにゲスの極み。
「……お前なぁ」
「何かしら」
「……いやいいよ……」
花が咲いたように、にっこりと微笑むミルに、幼馴染の残念っぷりを心底実感し、ため息をつくクリス。
そしてそんな心の底から嬉しそうなミルの様子に、毒気を抜かれる周囲と受付嬢。
内面を知らないと言うのはある意味幸いである。
「……仲がよろしいのですね」
『グッバイ私の初恋』とそっと涙を拭う受付嬢に、非常にいたたまれない心境になりながらクリスは頷くしかできない。
そして本人たちが合意の上でならまぁいいか……と、ミルの輝く笑顔に落としどころを見つける周囲だった。