とばっちりフルオープン
結局アリアはミルの状態を考慮し、湯舟には浸からずに浴室を出ることにした。
アリアお姉さんの保険体育はまた次の機会に、ということにして、フラフラのミルに浴衣を着せる。
驚いたことに、この離宮には浴衣が用意されていた。これは偏にアリアが以前愛用していたからであり、三百年を経た今でも用意されていることにアリアは密かに感動した。
ちなみにアリアは知らないが、アリアの石化後に温泉大国ディファルド連邦でじわじわと浴衣文化が広がり、300年を経てタラップ高地の一部地域で文化として根付いていたりする。
ミルに浴衣を着せている最中、フランシスカにイロイロと敏感にされたミルがあちらこちら擦れるたびにビクンビクンして甘い声を上げていたのだが、断固たる意志のもと『浴衣の下に下着は付けぬ!』という謎のポリシーを発揮し、アリアもそれが偏った知識であると知っていながらも、面白そうなので『その意気やよし!』と肯定した結果、フランシスカも巻き込んで三人とも素肌に浴衣ということに相成った。
そして、歓談室を兼ねたリビングへ移動した三人を、すでに上がっていたクリスとアルトにタマモ、そしてアリストが出迎える。
「思ったより早かったな」
女の風呂は長いということを姉妹で知っているクリスが言う。
男性陣のうち、アルト以外の二人はこちらも浴衣だった。
妙にきっちりと着こなしているアリストと、慣れないのか少し着崩しているクリス。
用意してあったから着てみたのだが、中身が日本人といっても若いクリスは旅行先の旅館くらいしか浴衣を着る機会がなく、着こなしがぎこちない。
それに引き換え妙に様になっているのがアリストだ、こちらは年の功だろうか。
どちらも魅力的ではあるが、普段きっちりと神官服を着ているクリスが、衣服を着崩しているという意外性によって、いっそう魅力が引き立っているように感じられた。
そんなクリスを、赤い顔をしてぽーっと見上げるミル。
未だのぼせている頭には、湯上りで湿った髪とほっこり温まったクリスの体が妙に色っぽく見えた。
「たっつん何かエロい」
浴衣の合わせから見える鎖骨と、胸筋の谷間から目が離せないミル。
酔ったように、ぽわんトロンとしているミルも激しく色っぽく、クリスは思わず見とれるが、ミルの様子が明らかにおかしいのでそれどころでは無くなり、近くに寄ると顔を覗き込んだ。
「……なんかお前変だな、何かあったのか?」
「んー……別に……」
目の前のクリスの心配そうな顔が、普段より余計にイケメンに見えるのに何故か腹も立たずに顔が熱くなるミル。
うっかりクリスに見とれてしまい、何か悔しくなって赤い顔のままそっぽを向いた。
「なぁアリアリさん、なんかコイツ変なんだけど理由しらないか? まさか風呂で酒飲んだりしてないだろうな」
「いや、私はまだ何もしてないし、お酒も飲ませてないよ」
そんなミルの様子に、普段は手に取るように分かる相棒の考えが、珍しく全くもって分からなかったクリスはアリアに聞いてみるが、微妙な返事に顔をしかめた。
「“まだ”? おいおいアリアリさん、あんまりコイツに変なこと教えるなよ」
不機嫌さを隠さないクリスに、アリアの口角がにやぁと上がる。
「おんやぁ? 心配なのかい? それとも独占欲かな? 私が教えるのは女として知っておいた方がいいことだよ。誓って変なことなど教えないさ」
「……ふん。じゃぁまぁ、いいけどよ」
からかう様に言うアリアに、これ以上話してもいじられるだけと判断したクリスは早々に戦略的撤退を決めた。頭が上がらない姉がいる男の、確かな戦況判断である。
気を取り直してミルに向きなおれば、そっぽを向いていた顔を戻してまた自分をぽーっと見ていた。
「お前ほんとにのぼせたんじゃねぇだろうな。ちょっと顔見せてみろ」
そう言うとクリスは眼鏡を外し、ミルの顔をよく見るために屈むと顎に手を添え上を向かせた。
【知識神シエルの眼鏡】で確認しても、状態異常は見つからなかったので大丈夫だとは思うが、状態異常とまではいえない体調の変化や、状態異常扱いされない未知の不調という線も捨てきれない。
頼りのシエル先生が役に立たないのならば自分の目で確かめると、クリスは少しの変化も見逃さまいと気合をいれ、息がかかるほどの距離でミルを見つめた。
至近距離でぶつかる視線。じっとミルの顔色を観察するクリス。
フランシスカに昂らされたせいか、浴衣のクリスの色気のせいか、それとも眼鏡を外したクリスの瞳が思いのほか真剣だったからか。
ミルはその瞳に吸い寄せられるように目が離せなくなり、脳を溶かすような甘い痺れと鼓動の高鳴りを覚え―――。
「……っ!? だ、大丈夫だから!」
数瞬後。
我に返ったミルは俗にいう“顎クイ”されている状況を理解してクリスの手を振り払うと、のぼせただけではない顔の火照りを見られまいと後ろを向いた。
「そうか? ……ん? お前髪の毛ほつれてるぞ」
今ミルは濡れた髪を後ろで緩くまとめ、前に流している。
その赤く上気した項の横にひと房、まとめきれていない髪の毛を見つけたクリスは、いつもミルの髪をセットしているときのように手を伸ばした。
「―――っうひあぁぁああぁぁぁ!?」
クリスの指先が首筋を撫でた瞬間、先ほどの痺れの比ではない震えるような感覚がミルの体を駆け巡った。と、同時に振りぬかれる右腕。
「へ? ぶべらっ!?!?!!!」
それは顎クイするために屈んでいたクリスの頬を正確に捉え、打撃音というより耳にキーンとくる破裂音を残して、クリスを吹き飛ばした。
時は少し戻り、ミルとアリアと共にリビングに入ったフランシスカは普段着のアルトに声をかけた。
「あれアルト、貴方は浴衣じゃないのね……アルト? おーぃ、アルトくーん? 殿下ぁ? 王子さまー?」
「……ハッ!」
「ミルさん見過ぎ。まぁあんなに色っぽいと見ちゃうのも分かるけどね」
「いや、僕はそんな……」
「思いっきり赤くなってる、もう振られたんだから諦めなさい。ミルさんにこだわってもいい事ないよ。君自身にとっても、この国の未来にとっても」
「うぐっ……キッツいなぁ。でも、なんか元気になったみたいだね、よかったよ」
ぐりぐりと失恋の心の傷を抉ってくるフランシスカに、アルトは胸を押さえながらも、馬車の中での元気の無さが嘘のように力を取り戻したのを見て言う。
自分の正体を知って遠慮がちだったのもすっかり元に戻り、むしろ前より遠慮がなくなったように感じて、笑みを浮かべた。
「いやだって、この世で史上最も有名な神様みたいな人とお風呂入ったり、その神様と同類の存在の全身をくまなく洗ったりしたら、王様とか王子様とか結構どうでもよくなるよ」
「え、何それ詳しく」
「神様みたいな人の体はやっぱりすごかったよ。肌も物凄いスベスベでぷにぷに」
「すべすべ……ぷにぷに……」
『鼻の下が伸びておるぞアルト』
「へぁ!? 伸びてない、伸びてないよ!」
アルトの腕に抱かれたタマモに言われ、慌てるアルト。
驚いて鼻の下を撫でているが、実際に伸びているわけもなし。
「で、何で私服なの?」
「あ、ああえっと、僕は王宮に自室があるから、そっちで寝るからね。この時期浴衣で夜に外を歩くと寒いし」
アルトは、タマモの頭を優しくなでながら答えた。
「タマモは温泉楽しめた? というか、男風呂の方でよかったの?」
『うむ、案ぜずともしっかりと楽しんだのじゃ。まさに至福の時間であった』
狐目をうっとりと細めるタマモ。
どうやらタマモはクリス達と共に男湯側に行っていたようだ。
一応性別が雌なのになぜ男湯なのかとか、細めた目の奥に恍惚とした怪しい光があるったりするのは、年若く純粋な二人は気づかない。
獣だからできる合法的デバガメを華麗に決めたタマモは、初老、青年、少年のイケメン達による肉体美祭りを全力で堪能していた。きっと人間だったなら、アルトの比ではないくらい鼻の下が伸びていたことだろう。
「そっか、よかったね。アルトは何時頃向こうにもど―――」
――― パアアアァァァァン!!!
フランシスカの言葉をかき消すように、耳をつんざく破裂音が響いた。
そこから先は刹那の出来事。
何事かと振り向くより早く、アルトとフランシスカのすぐ横を豪速で通り過ぎる物体。
通り過ぎざま咄嗟に掴むものでも探したのか、クリスの伸ばした手が掴んだのは、あろうことかフランシスカの浴衣の帯。
幸か不幸か、帯の巻き方を知らなかったフランシスカによって蝶々結びで結ばれていたソレは、端をクリスに引っ張られるとしゅるりと解け、しかしその程度でミルの手加減抜きのビンタが生んだ運動ベクトルを殺すことなど出来はせず、引っ張られるままにフランシスカの体をくるくるくると独楽のように回した。
普通に結んでいたら解けずに一緒に吹っ飛んでいただろうから、怪我をせずに済んだのは運が良かったのだろう。
ソファやテーブルを巻き込み、壁に激突して轟音を上げるクリス。大理石の壁に放射状にヒビが入った。
軽く十回転以上回され、結果、目を回してアルトの前で膝を立てた状態でぺたんと尻もちをつくフランシスカ。
帯を取られた浴衣は当然のように大いにはだけ、さらにミルの謎の拘りに巻き込まれたせいで、彼女は今下着をつけていない。
結果、アルトの目の前に彼女の全てが晒された。
「ひあぁぁ!?!?」
「ごごごごめん! 見てない! 見てないから!」
状況を理解し、たまらず悲鳴を上げるフランシスカ。
パンツを見られる程度は平気な彼女も、全てを余す事無く見られたのは流石に恥ずかしかったらしい。
状況が理解できず、呆然と、しかしばっちりしっかりとソレを目撃したアルトは、フランシスカの悲鳴で我に返るとすぐさま回れ右をしたのだった。
「……くっくっく、あーはははは! すごい! やっぱり君たち面白いね!!」
「アリアが楽しそうで何よりだけど、どうするのこの状況?」
「まぁ壊れた物は二人が働いて返してくれるでしょ。そんな事より、二組のカップルの生末が私は気になって仕方ないよ!」
「片や中身同性、片や村娘と王太子か。確かに面白い」
「でしょー」
「ところで、元奴隷の孤児と伝説の英雄の恋物語も面白いと思わないかい?」
「……もう。馬鹿」
混沌を極める室内で、アリアとアリストだけはとても楽しそうだった。




