現状の整理と戦力
自己紹介も終わり、跪いていた者たちも起立を許された。
その中で唯一、部屋の隅で跪いたまま置物と化し動かなくなったフランシスカを、ミルとアルトが宥めているのを横目に、クリスが口を開いく。
「さて、一通り自己紹介も終わった事だし、そろそろ本題に―――」
『父上、妾を忘れて貰っては困るのじゃ』
ミルの首からしゅるりと脱し、空中をトントンと走ってクリスの肩に乗ったタマモが、クリスの言葉を遮って抗議した。
完全に襟巻と思っていた教会関係者と聖王国関係者は驚き、アリアも軽く目を見張る。
「へぇ、炎弧とは珍しいね」
「あぁ忘れてた。ペットの―――」
『娘のタマモじゃ。以後良しなに』
「……娘? え、何もう子供作ったの? 早くない? こっちに転移して何日目なの?」
「ナチュラルに信じんな! こっちに来てまだ十日も経ってねぇよ!」
「という事は、ゲーム時代に孕ませたの? あんな小さな子を!? 私が居るときは未実装だった結婚システムに、そんな鬼畜な仕様があったなんて!」
ドン引きするアリアに、周囲の「え? この人そういう人なの?」という疑念の目がクリスに集中した。
「そんな仕様は存在しない! というかどう見ても狐だろうが!」
「この世界では天人は何やってもおかしくないって認識だからね。クリス君がミルちゃん孕ませて十日で狐が生まれたとしても、“天人だから”で済ませられるんだよ」
慌てて否定するクリスに、更に追い打ちをかけるアリア。
ちなみに、彼女がその認識を作った張本人である。
後ろでフランシスカの説得をしていたミルが、孕まっ―――と呟いて顔を赤くしておたおたした。
目の前でそんな可愛い様子のミルを見たフランシスカのメンタルが大変癒される。
そしてその隣で、何を想像したのか同じく顔を赤くしたアルトに氷のような軽蔑の視線を向けた。
アルトの顔面がリトマス紙のように赤から青へ色素が反転。すっかり考えを見透かされるようになったフランシスカに必至の言い訳を始める。
一連の流れでフランシスカのメンタルがかなり回復したので、アルトの自爆も無駄ではなかったのだろう。
一方のクリスは、ローティーンを孕ませた疑惑を払拭するのに必死でそんなやり取りに気付くことは無かった。
「すませんな、種族が違うどころか厳密に言えばコイツは生物ですらねぇだろうがっ! というか、俺らはそういうのじゃねぇんだよ!」
「兄弟設定なんてして遊んでたんだから、リアルでも知り合いなんじゃないかい? 別にそういう関係だっていいと思うけどね」
「こいつとは確かに幼馴染だが……クソ、こんな事になるなら兄弟設定なんてするんじゃなかった。つかそもそもスキルに釣られてネタ婚なんてするんじゃなかった!」
「ひどいクリス。私の事は遊びだったのね!?」
「お前はまたそうやって場を引っ掻き回すな!? 俺が屑男っぽく周りから見られて楽しいのか!?」
「割と楽しい」
「お前はそういうヤツだよチキショー!」
ぽかんとする周りを置き去りに、身内ネタで盛り上がる天人三人。
こういうバカなノリは記憶の彼方に掠んだゲーム時代を思い出し、なかなかに心地いいのだが、そろそろ他の人間の事も考えねばならない。と、アリアは話を進めることにした。
「まぁ後輩の天人をからかうのはこの辺にして、取り合えず今は本題の方を話そうか、十日以内でチュートリアルを終わらせたって事は、早くこちらの世界の住人に認められて、対策しないといけないことがあるんだろう? ズバリ、アップデートの事だよね?」
一通りからかって満足したのか、急に真面目な顔でそう言うアリア。
クリスは猥談のような雑談の中で、アリアに誘導されしっかりと情報を抜かれた上に、彼女が少ない情報から正確に現状を把握したのを理解した。
「んあ!? あー……クソッ。やりづれぇな」
「化かし合いの年季が違うのさ年季が、ほれ、さっさとゲロっちまいな」
したり顔のアリアに口の中だけで、年の功か、と愚痴るクリス。
次のアップデートの情報を基に、少しでも自分たちに優位になるように事を進める予定だったのだが、話の主導権を全く渡してくれない先輩に、ぐうの音も出ない。
クリスは諦めて包み隠さず素直に話すことにした。この借りはどこかで返してやる、と心の中で思いながら、だが。
「……次のアップデートの名は【神々の箱庭】、その内容は―――」
クリスは自分の持つ情報を開示した。
次のアップデート、数回の地震の後に大霊峰【イヴェルヴァリア】上空に出現する【神域】の存在。
そしてそれに付随して発生する。世界を滅ぼしかねないモンスターの大暴走の事を。
■◇■◇■◇■
クリスが話し終えると、室内は静寂に包まれた。
誰もが思考を巡らし、考え込んでいる。
だが、クリスが予想したような混乱が起こることは無く、アルトとフランシスカが目を見開いて驚いていることを除けば、皆冷静に事態を飲み込んでいるように見える。
「なるほど、大暴走ね。それは大変だ」
全く大変そうでなくそう言うと、アリアも考え込んだ。きっと今その脳内で様々な事を考えているのだろう。
この短いやり取りの中でも、それが分かるほどこの目の前の女はキレるのだと、クリスも理解させられたのだ。
アリアが考えている間、誰もその思考を邪魔する事も無く、重たい沈黙がこの場を支配した。
「あんたら冷静だな。……いや、冷静すぎないか?」
思わず呟いたクリスは、自分の発言でその違和感に気付いた。
今まさに、彼らはいつ始まるかも分からない未曽有の大災害の情報を得たのだ。
それなのに取り乱すことも無く、周囲の者と話をするでもなく、アリアを見つめている。
大暴走の事を真面目に受け取らず、聞き流しているのでもない。そんな不真面目な雰囲気を発するものは一人としておらず、緊張した面持ちながらも、冷静さを保っているのだ。
そう、まるで最初から知っていたかのように。
クリスは今朝の事を思い出し、これは本格的に最初の方から監視されていたんだな、とグレアに視線を向けた。
アリストがポンコツ化している今、唯一気軽に話ができる存在で、自分を監視しているであろう黒幕の可能性が高いと思ったからだ。
「ふむ、やなり気付かれていましたか。申し訳ありません。恐れながら、監視の者を付けさせて頂いていました」
視線を向けられたグレアは、その視線を別の意味に捉えた。
彼はクリスのこれまでの言動から、最初から尾行に気付いていている上で見逃してくれていると思っており、それ故に“素直に話すなら今だぞ”という合図と受け取ったのだ。
初対面の切れ者な第一印象を引きずり、同じ天人のアリアが実際に切れ者である事がこの短時間でも分かったので過大評価に拍車がかかった。
本人が今朝がた言われて初めて思い至り、しかも今の今まで忘れていたとは知るよしもない。
「ですが、流石ですな。尾行の存在にすぐに気付き、往来であえてアップデートの事を話す事で、こちらに接触する事無く情報を下さるとは。いや、その後すぐに儂の所に訪れたことを鑑みれば、それすらも撒き餌で誰がどこに繋がっているかを確認していたのでしょうか。
そして、その情報に対してこちらがどう動くかを見極め、こちらの動きを誘導する事でアリア様への墓参りに掛ける時間を短縮し、そしらぬ振りで我々と行動を共にするとは。全く、貴方はどこまで先を読んでいるのですかな?」
心底感服した、という風にクリスを見るグレア。もちろん全て勘違いである。
大体にしてクリスがその気なら、それこそミルにおんぶしてもらって走ればもっと早く王都に着いている。
グレアとアリストという、聖王家と冒険者ギルドとアリア教会というこの国の三大権力に強いコネクションを持つ存在を早々に味方に付けられたというのも、単純にアダムヘルに居た二人の方が目立つミルとクリスに目を付けたというだけで、もしミル達が目立たないように行動していれば接点なく通り過ぎていたであろう。
だが人を見る目に定評のあるグレアの態度に、周囲はそうと思わない。
未だに世界規模で強大な影響力を持つ実力者の二人が揃っているからこそ、グレアの発言に信憑性が増し、『たまたま』が『意図して』と認識された。
周囲で、「なるほど」「流石ですな」「正に神算鬼謀」と囁かれる声に、クリスも『いやタマタマだったんスよぉ』と言う訳にもいかず、「そんなところだ」と眼鏡をクイッと押し上げて光らせると、悠然と腕を組んだ。冷や汗で湿った足の裏が気持ち悪い。
そして、周囲の視線は再びアリアに戻った。
その視線には、そんな神算鬼謀の新しい天人様をも手玉に取る、我らが初代様の何と凄まじき事か。という尊敬と畏怖がありありと浮かぶ。
グレアの勘違いから、踏み台にされて関係ないアリアの信頼がなぜか上がるという謎の展開に、クリスの心中は複雑だった。




