嫉妬
「うふふ……クリスさんはどんなことがお望みですの? 私に出来る事でしたら何でもいたしますわよ。こんな事やあんな事やそんな事まで」
「そんな事までか……」
「ええ。そうだ! ちょっとそこまでお散歩しません? 二人っきりで親睦を深めましょう」
「ちょっとエマ! いい加減にしなさいよ! クリスさん困ってるじゃない」
「……ミルちゃんうちの性職者がごめんね。後で〆とくから……ミルちゃん?」
ミリアの言葉に返事をするでもなく、ただ赤い顔をしてジト目をクリスに向けるミル。と、おもむろにエリーナの膝から立ち上がり、あっと寂しそうな声を漏らすエリーナは無視して、ふらりふらりとクリスに近づいた。
ミリアはいきなり様子の変わったミルに戸惑った。さっきまで全く酔った雰囲気は無かったのに、今は明らかに酔っている。
「ん? どうした?」
ミルに気付いたクリスが声を掛けるも、それにも答えることもなく、目の前に立つと背中を向けてストンと定位置とばかりに胡坐をかくクリスの上に納まった。
「お、おい? ……あっ、やべぇコイツ酔ってやがる」
ミルの赤い顔と右手の薬指にあるはずの指輪が無いのを確認したクリスは、初日の宿屋を思い出し嫌な予感を感じて、ミルが下手な事をする前に解毒を使って正気に戻そうとする、が。
「痛ってぇ!」
内股の柔らかい所を思いっきり抓り上げられ、予想外の痛みに思わず魔法がキャンセルされた。
「お前、いったいなに、を……」
文句を言おうと、ミルを見たクリスの視線が、ミルのそれとぶつかり、言葉が尻すぼみに消えた。
ぷっくりと膨れた頬に、吊り上がった柳眉と目尻、潤んだ瞳。
嫉妬している。見るからに嫉妬している。力の限り嫉妬していると主張している。
が、その嫉妬が何処に向かっているのかが、分からなかった。
ミルとの、いや稔との付き合いは長いが、この単純で残念な相棒の考えが読めない事など、ここしばらく無かった事なのに。
「え、えっとミルちゃん? どうしたの?」
クリスの横で困惑気味にエマが声を掛けると、クリスから視線を外しエマをじーっと見つめるミル。
「あの、ミルちゃん?」
ジー。
「ど、どうしっちゃったのかしら?」
ジーー。
「あの、何か喋ってくれないと分からないのだけれど……」
ジーーーーーー。
「ぁぅ……ご、ごめんなさい」
元々任務の使命感に加え自身の欲望と、ミルへの罪悪感との板挟みになっていたエマの精神は、ミルの眼力に耐えることが出来ず、三十秒と持たずに敗北した。
エマはそそくさとクリスから身を離し、逃げるようにエリーナとミリアの横に移動する。が。
「あ、こっち来ないでよ。ミルちゃんに仲間だと思われたらどうするの」
「……帰れ糞ビッチ」
「貴方たち人の気も知らないで……私だってミルちゃんに嫌われたくないのに」
パーティメンバーに辛辣に迎えられたエマは涙目だが、多少なりとも下心があったのだから自業自得、かもしれない。
一方のミルはといえば、エマを追い払い満足げにフンスと息をつくと、やり切った顔でクリスに寄りかかり、そのまますうすうと寝息を立て始めた。
「お、おい……寝ちまった。マジで何がしたかったんだコイツ」
「「「「「 はい? 」」」」」
安心しきった顔で寝息を立てるミルを持て余し気味のクリスの発言に、その場にいた全員が思わず同じ声を上げる。どこからどう見ても答えは一つであった。
「分からないんですか? どう見てもエマさんに嫉妬してクリスさんに甘えてるんじゃないですか。可愛い独占欲だと思います。愛されていますね」
最年少のフランシスカに説明され、他のメンツにもうんうんと頷きながら微笑ましそうに生暖かい目で見られ、なんとも反論しにくい。
クリスは、ミルの事なら考えている事のルビすら読む幼馴染力で、大方俺がモテているのが気に食わず、かといって自分もハーレムしてるから声に出して邪魔するのも小さい男みたいで、声を出さずに邪魔しただけだろう。と分析する。
声を出そうが出すまいが邪魔していれば変わらないのだが、酔っ払いにはそんな理屈は通用しないだろう。
長年の勘でそれだけでは無いような気がしないでもないが、今はそんな事を考察するよりこの居たたまれない視線の嵐から脱出するのが先だと、クリスはミルを抱えて立ち上がった。
「すまんが相方がこんなんだからお先に失礼する。片づけは―――」
「私がしておきます」
「すまんフラン、頼んだ。じゃぁおやすみ」
ミルをお姫様抱っこで抱え上げ、その際にミルがキュっとクリスの服を掴み「私の、だからぁ」と寝言を言うものだから、暖かい視線がさらにほっこりし始めて、クリスはミルを連れて急いで居心地の悪いその場から逃げ去った。
■◇■◇■◇■
「と、いう訳でして、飲酒については、クリス様に変化は見られませんでしたがミル様は弱いようなので注意しなくてはいけません。女性関係については、クリス様もミル様がいる限り他の女性に見向きをすることは難しいと思われます。また、クリス様は女性への反応そのものが淡白であるように見受けられました」
「そうか。それならば彼らは必ず二人で行動するよう仕向けねばならぬな。そしてやむを得ぬ場合は、必ずこちらから二人それぞれに信用のおける人員を付けねばならん。要らぬ心配に気を揉む時間など無いのだから、徹底して不安材料は取り除かねば」
深夜、防音処理のされた中央テントでラウディとエマは、グレアとアリストに任務の報告を行っていた。
酒にしても女にしても、天人様二人が一緒に居れば問題なさそうなので、その点はこれからの行動指針として報告し、徹底を決めるグレア。
「エマ君もご苦労だったね」
「……これも任務ですので」
「そう落ち込まないでくれ、パーティメンバーには後でラウディから説明があったのだろう?」
「それはまぁ……二人は分かってくれましたが、明日ミル様とクリス様に合わせる顔がありません」
見るからに意気消沈しているエマに、アリストが声を掛けるが、どんよりした空気は一向に晴れない。
聖騎士団の諜報員であり、冒険者でもある彼女らは、どちらの命令系統にも従わなければならない。
勿論、本職である聖騎士団の任務が優先されるが、今回のように両方から同じ任務と依頼を受けた場合、その圧力は単純に二倍だ。私情的に受けたくなくとも受けない訳にいかなかっただろう。
「ま、まぁ儂らも出来るだけフォローしよう」
「差しあたって、私からもクリス君にエマ君の回復魔法を見てもらえないか頼んでみようか。君の実力が上がるのは冒険者ギルドとしても聖騎士団としても大歓迎だ」
「それは……確かにクリス様に教えていただけるのは願っても無い事ですが、ミル様に更に嫌われてしまいそうです」
「最初は警戒するかもしれないが、酒の席の口説き文句としてではなく、本気で自分の実力を上げるために真剣に鍛錬に勤しむ姿を見れば、見直すんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「そうだとも、それにそうやって真摯に二人に触れあっていけば、もしかしたらクリス君とミル君の両方に認められて、側室くらいには収まれるかもしれないよ」
「……そうですね。もはや側室などはどうでもいいですが、お二人の不信感を拭うには私が出来る精一杯の誠実さを持って対するしかありません。お口添えの程、お願いいたします」
粛々と頭を下げるエマに鷹揚に頷くアリスト。だが彼は見逃さなかった。その目が『側室』という単語でキラリと光ったのを。
いやぁ、計算高い乙女は色恋と利益をチラつかせればちょろいもんだね。っと黒い事を考える。
聖職者の彼女も女の本能には忠実なようだ。扱いやすくて結構な事だし、別にそれを否定する気はないが、どうも常に品行方正と清廉潔白を貫いたアリア姉さんと比べてしまう。
今までも女性に対してどうしても積極的になれないのは、自分が女性に求める理想が高すぎると自覚しているのだが、比較対象が姉であり母であり伝説の英雄でもあり、初恋の相手でもあるのだからどうしようもない。相当に思い出が美化され初恋を拗らせているのは自覚しているが、理想の女性像に譲歩も妥協もする気が無く、初恋を未だに引きずる自分はきっと余程の事がない限り一生独身なんだろう。と、達観気味に自嘲した。
そんな取り留めの無い事を考えて、セルフで多少落ち込んだアリストだが、報告の詳細ついでに聞かされたミルの様子に思わず微笑んだ。
「ふふふ、しかしそんな可愛い姿を見せられてはクリス君も浮気などできないね。私も見てみたかった」
ただ純粋に相手を思う姿が可愛らしく、アリストの沈んでいた心も持ち直し自然と笑みがこぼれた。
「そうですなぁ、あれほど愛されていれば、浮気など考えますまい。クリス様もエマにあれほど露骨に迫られても全く上の空といった所でしたしな」
「世界にとっては最良の結果でしょう。クリス様もミル様以外には興味のないご様子です。ええ、決して私に女の魅力が無い訳ではなく、ミル様への愛が肉欲を上回ったというだけで、私に魅力が皆無というわけではないのです。……恥ずかしさを押し殺して、あんなに胸を押し当てたのにピクリとも反応していなかったのは、そう、愛のなせる業なのです。決して私に魅力が無い訳では……」
「ああうん、大変だったね」
再びどんよりと、ズタボロになった女の矜持とアイデンティティを護ろうとするかのようにぶつぶつ言いだしたエマを見ない事にして、男達一同は向かい合う。いやな事件だったね。
「さて、二人ともご苦労だった。
だがしかし、ラウディ君は一つ重大な過失が発生したよね。グレア大司教」
「そうであるな、アリスト殿」
「過失……ですか?」
ミルの様子を聞きほっこりしていたジジイ二人は、唐突に真剣な顔になり、鋭い視線がラウディを貫いた。
自分に何か見落としがあったのだろうか? と、ラウディは二人のあまりの剣幕に背筋を伸ばし、背中に冷たい汗が伝う。
エマをクリス様にあてがいお二人の仲を調べたことは、この二人から降りてきた命令であるからして、過失とは言えまい。
それによって、ミル様の機嫌が悪くなることも想定済みのはず。不器用な自分としてはうまく誘導できたと思うのだが、果たして何が不味かったのか。
思い当たる節が無く、眉を寄せ困惑を隠せないラウディに、ハァとため息を吐くアリスト。
「分からないのかい? ……仕方ない、この気の利かない男に教えてあげようかグレア大司教」
「そうですな。まったくこんな事も思いつかぬとは……なっておらんぞラウディ」
「ハッ! 申し訳ありません! 謹んで拝聴いたします」
より一層背筋を伸ばすラウディに、グレアとアリストは声をそろえて言った。
「「ミルちゃん(様)の手料理、何で私(儂)の分も貰ってきてくれなかったの(じゃ)!?」」
「―――しらんがな!!!」
拗ねるジジイ二人に、素のラウディの声がテント内だけに虚しく響いた。
■◇■◇■◇■
同時刻、クリスとミルのテントで、隣で寝ていたミルがむくりと起きた気配を、クリスは感じた。
「どうした?」
「……おしっこ」
さよか、とモゾモゾと起きだしテントを出ていく相方を見送るクリス。
この野営地は騎士団が簡易トイレのような物を陣内に用意してくれているから、一人でも大丈夫だろう。穴を掘って椅子と目隠しの衝立を置いただけの簡単なものだが。
酔いはしないものの、やはり多少の影響はあるらしく、アルコールが入ると眠くなるミルと逆にクリスは目が冴える方なので、ぼんやりと天井を眺めてクリスは今日の事を思い返す。
何故か隣にミルが居ないのが寂しく感じ、今日一日で色々と増えたミルの新しい一面が思い起こされ、それをまた可愛いと感じて眉間に皺を寄せた。
ミルが可愛いとかねぇから、気をしっかり持て俺。と自分に言い聞かせる。
そんな事を悶々と考えていると、ほどなくミルが帰ってきた。
ふらふらと眠そうにテントに入ってくると、何となくバツの悪さを感じて寝たふりをするクリスの布団に潜り込んでくるミル。
「あ、おい。って冷てぇ!」
「……さむ」
昼間はだいぶ暖かくなってきた四月も中ごろだが、やはり夜は冷える。すっかり冷えて帰ってきたミルは暖を求めてクリスにぴとりとくっついた。
「ぬくぃ」
「……たっく」
元の世界なら即行蹴り出しているところだが、この見た目はどうも調子が狂う。
今はすっかり生意気なった妹も、このくらいの年のころは……流石に一緒に寝たりしなかったが、一桁年齢のころは、一緒に寝てやったりしていた。それを思い出して、あぁなるほど可愛く見えるのは妹のせいか、と結論付けてミルが閉め忘れた入り口を見る。
今夜は月が綺麗だ。
月明りに浮かぶ美しくも可愛らしい寝顔に掛かる銀糸の髪をそっと払ってやり、クリスは開けっ放しになっていた入り口を締め、ミルの分の毛布も二枚重ねにして布団に入った。
「……確かに温いな」




