親友
走り去ったミルを追うクリスは、ミニマップを頼りに居場所を探る。あまり範囲の広くないミニマップだが、こういう時は非常に便利である。
ミルのマーカーは、訓練場の外れにある倉庫の裏で止まっている。ほどなく現地に着いたクリスは、木陰に座り込むミルを発見した。
「おい、何してんだよ」
声を掛けられたミルの肩が跳ねるが、クリスと分かると肩の力を抜き、膝に隠れていた赤い顔を上げた。
「うー……たぁっつぅん」
「警部を呼ぶ大怪盗三世みたいに呼ぶんじゃねぇよ」
膝を抱えて座り込むミルの正面に回り、クリスも胡坐をかくと膝に頬杖を付く。
ミルから何か言うかとしばらく待ってみるが、涙目で俯くばかりで埒が明かないので、クリスから口火を切った。
「……んで、どうしたんだよ」
「うー……」
「唸ってないで日本語喋れ、乙女か」
「あぅー、パンツみられた……」
「……あぁそうだな。で?」
「……見られたぁ」
「おうそうだな、見られたな。で?」
「……はずぃ」
「そうか恥ずかったか。……で?」
「いや、で? って、パンツ見られて傷ついてる美少女に他に何かないん?」
涙目のまま不服そうに口を尖らすミルを、じっと見つめたクリスは、そこに羞恥心以外の何かを見出すと、溜息を吐いた。
「はーぁ……んだよ恥ずかしかっただけかよ。くだんねぇ」
「はぁ!? 下らないってなにさ!? たっつんは僕のパンツが他人に見られてもいいわけ!?」
「お前の不注意だろ。しらんがな」
「酷っ! それでも幼馴染なの!? 親友なの!? 旦那様なの!? ここはぎゅっとハグして慰めて好感度がっつり上げるイベントじゃないの!?」
ミルは立ち上がると髪を振り乱さんばかりに捲し立てる。そんなミルをクリスは無言で暫らく真剣に見つめ続けると、次第に落ち着いてきたミルはソワソワしだした。
「あ、あのたっつん? そんなにガン見されると困るんだけど」
「……」
「あのあの、たっつんさん? ツッコミまだかなー? なんつって」
「……」
「クリスさんクリスさん。そんなにジッと見つめられると照れてしまいますワ。キャッ!」
「……抱きしめてやろうか?」
「お断りします!」
両手でバツの字を作って拒否するミルに、クリスは無言で立ち上がると右手を振り上げた。
「っ! ……へ?」
チョップが来る! と頭を庇って目を瞑るミル。だが予想していた衝撃は来ず、逆に優しく頭を撫でられ、思わず困惑した声を上げた。
「……ったく見てらんねぇぞ」
見上げれば、心配そうにこちらを見下ろすクリスの顔が至近距離にあった。
息がかかりそうな距離で見つめられ、ミルの視線は左右に忙しく彷徨い、やがて観念したかのように、弱々しくクリスを見つめ返す。
「……あはは、バレた?」
「そりゃぁ、な」
クリスはミルの瞳に、微かに見え隠れする動揺に気付いていた。
羞恥心と空元気で巧妙に偽装されたソレを、しかしクリスは暴き出す。
「俺の知ってる幼馴染は、人を殺して平然としていられるような奴じゃねぇんだよ」
「わっかんないよー? 転移した影響で精神に重大な問題が発生したとか」
「ハッ! そんな事になってりゃ俺が気付く。お前はお前だろ。ここが現実だと知って、大暴走の話でも真っ先に助ける事を選択した。ランク上げのクエスト選択でも討伐系を選ばなかったのは効率の事もあるが躊躇もあったんだろ。ゲームと思っていた時には躊躇なく殺っていたが、現実と分って殺したモンスターにも罪悪感が生まれた。……お前は色々とどーしようもない奴だが、優しいからな」
尚も見苦しく言い逃れようとするミルに、クリスは畳みかける。目を逸らさないまま、ミルの瞳に映る己に語り掛けるように。
「それは―――」
「何より、お前が気付いたように、俺が気付かないわけないだろ。親友」
昨日、クリスの様子がおかしいことに、ミルは一目で気付いた。ならば、自分が気付かない訳にはいかないだろう。ミルに最も親しき友は、自分なのだから。
「これでも、昨日の事は感謝してるんだぜ」
「……そっか。ん、バレちゃったなら仕方ないなぁ」
ミルは何時にもなく力の無い苦笑を浮かべると、虚勢を張ることを諦め本音を吐露し始めた。
「……いやホント、あんなに簡単に、人を殺しちゃうとは、思わなかった」
「生き返らせたけどな」
「うん、ありがと。もしギースさんが生き返らなかったら、僕はその場で泣き叫んでたかもしれない。……でも、問題はそこじゃないんだ。分かるだろ」
「……そうだな」
「僕は軽い気持ちでデコピンしたんだ。ホントに少し力を込めただけだった。殺すつもりなんて勿論無かった。ちょっと驚かそうとしただけで……殺してしまった。
指に感触すら無いのに、目の前でギースさんの頭を吹き飛ばした……つまり、僕はちょっと力加減を間違っただけで、人を殺してしまうんだ。今回はクリスが居たから生き返らせることが出来た。
でも次は? クリスが居ないときに誰かを殺めてしまったら? それはミツミちゃんかもしれないし、エリーナさんやエマさん、ミリアさんかもしれない。僕が不用意に触れるだけで、人が死ぬ。
僕はどうすればいいの? 僕はこの世界に居ていいの? 僕が居ることをこの世界の人は許してくれるの?」
ダムが決壊するように、せき止め、押し込めていた不安や焦燥を吐露するミル。
そんなミルに、クリスは声を掛ける事はせず、インベントリから本を取り出すと、ポンとミルの頭に乗せた。
「あいたっ……これは【アリアリの書】?」
「お前の心配は分かった。もっと早くコイツを渡しておくべきだったな」
「どういうこと?」
「お前と同じことをアリアリさんも心配していた。だが、結論から言えば大丈夫だ。
この世界の物理法則は結構アバウトみたいだぞ。むしろ人間の感情とか気持ちの要素を重要視しているのか、本人が望まない力の発現はしないらしい。
今回ミルがやっちまったのは、恐らく自分の力とこの世界の人間の力にどの程度の差があるのかまだ明確に認識できていなかったからだ」
「どういうこと?」
クリスは目を開けると縋るように見上げてくるミルを見下ろし、不安げに揺れる瞳をしっかりと見つめる。
「この世界は感情が現象を超える。
考えてもみろよ。例えばレベル200の冒険者が子供を産んだとする。もちろん子供のレベルは1だ。
そのステータス差はミルとギースの比じゃない。もし親の力がそのまま子供に伝わるなら、細心の注意を払って育てても子供が無事に育つのは難しい。が、実際は普通に育つし、叱る時にゲンコツを落としても大丈夫だそうだ。
つまり、相手を害そうという気がなかったり、戦闘や仕事で意図的に力を込めなければ、セーフティが働いてそれに適した力だけ発揮されるって事だろう」
「……じゃぁさっきのは? 僕、ギースさんを殺す気なんて無かったんだけど」
「そこが認識の差って奴だ。
お前は俺が初日にやったデコピンを真似してやっただろ。『このくらいなら大丈夫』って確信してな。だからこそ、本来入らない筈のステータスの影響が出た……いや逆だな。『このくらいなら大丈夫』って思っていた力加減だったからこそ、セーフティが働かずにステータスの影響が出過ぎてヤっちまったんじゃねぇかな。
それに初日にミツミちゃんに襲い掛かった時の事を考えれば、『戦闘』って意識でやってたのも問題かもしれん。これが『模擬戦』や『試験』って認識ならちゃんとセーフティが働いていた可能性もある」
整然と説明するクリスだが、ミルの表情は晴れない。
「……つまり、結局のところ僕の不注意で殺しちゃったって事?」
今にも泣きそうな顔をするミルに、しかしクリスは容赦がなかった。
「不注意と言えば不注意だな。つか、不注意だろうが故意だろうが殺しちまったんだから、それは噛み砕いて受け入れろ。すぐには無理でもこれがトラウマになって人を殺せなくなるようじゃ、この先やっていけねぇぞ。たぶん。」
「っ! 殺した事が無いからそんなこと言えるんだ! ……って普通はなるんだろうけど、たっつんはやる時は躊躇なく殺りそうだぁ」
「人を人非人みたいに言うんじゃねぇよ。……でもまぁ俺も、どうしても殺す必要がある時は躊躇しないように今から心構えはしておく。だからお前もとっとと腹ぁ括れ」
突き放すように言うクリスに、しかしミルは何故か表情を和らげた。
彼女には分かったのだ。自分がなぜギースを殺した事にこれ程動揺し、そしてクリスにその動揺を気付かれないようにしていたのか。
現代日本の倫理観というのも確かにある。だが、ミルは今が異世界転移という異常事態であり、生き残り日本に帰るための殺傷ならば、勿論罪悪感は覚えるが割り切れると思っていた。伊達に脳筋を自負していない。
だが、実際はどうだ。
自分の意図しない不測の事態でギースを殺してしまい、動揺し、逃避し、その事実を欺瞞で隠した。
なぜそんな事になったのか、ミルはやっと理解した。
――― たっつんの目の前で、たっつんの知り合いを殺しちゃったからだ。
つまり、自分はこの幼馴染に、人殺しと軽蔑される事こそを恐れたのだ、と。
そしてクリスは、自分ですら気付かなかった深層心理を敏感に察し、自分も必要があれば同じ事をするから気にするな。と言っているのだと気が付いた。
「傷心の美少女に容赦ないなぁ。もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない?」
「お前がそんなタマかよ……まぁ何だ、流石に直後はショックだろうから胸ぐらいは貸してやる。だからさっさと立ち直れ」
立ち上がると腕を組んで偉そうに、だが少し恥ずかしそうに言うクリスに、ミルは観念するように俯くと、小さな声でポツリと呟く。
「じゃぁお言葉に甘えて……ちょっとの間目を瞑ってて」
「おう」
組んでいた腕を解き、背筋を伸ばして目を瞑ったクリスのお腹に、ポスリと何かが当たり。手に絹糸のような髪の毛がサラサラと触れた。
「えへへ……締まんないなぁ。胸を借りるつもりがお腹だし」
「そんな低身長のキャラを作るお前が悪い」
「酷いなぁ……もうちょっと優しくしてよ……」
軽口を叩くミルだが次第にその声は小さくなり、代わりに小刻みに体が震え始めた。
クリスは黙って目を瞑る。
抱擁はしない。
優しい言葉も掛けない。
ただ胸を貸すだけ。
それが俺たちの距離感だとでも言うように。
二人の手は体に沿ったまま、持ち上がることは無かった。
数分、時が止まったかのような時間が流れた。
ようやく震えの収まったミル両手が動き、キュっとクリスの服を掴む。
それは、見捨てないでと祈る様であり、逃げないでと縋りつく様であり、離れたくないと訴えるようであった。
思わず目を開け、見下ろすクリスの瞳が、潤むミルの瞳とぶつかる。
息を飲むクリスに、か細いミルの声が微かに届く。
「……っ……うぐっ……たっつん……」
苦しそうに顔を歪ませるミルに、クリスは目が離せない。
「……どうした?」
「うぇっく……ぼく……ぼく……がんばって、噛み砕いて消化できるように、考えたんだ。あの感触を、光景を忘れないように。何度も何度も思い出した」
「……あぁ。折り合いはついたか?」
視線を逸らし俯くミルに、クリスは嫌な予感を感じた。まさか……
「うっ……それは、大丈夫……何とか自分の中で決着はついた」
その言葉に、クリスはほっとする。自分の幼馴染は、やはり思っていた通り優しくて強い奴だったと誇らしくなる。
が、その次の言葉に、クリスは凍り付く事となった。
「うぇっ……ぼく、考えてみれば、グロ耐性、高くなかった。リアル目玉ポーン、思い出し過ぎて、気持ち悪い、吐きそう……」
「……えっちょま」
「ウッ!」
「ぬおあああああ!? 止めろ離れろ! あっコイツ服掴んで離さねぇ!?」
「エレエレエレエレ……」
「ちょ何で俺の服に!? 地面に吐けよ! うっわっゲロくっせええええええええ!!!」
倉庫裏に、ミルの全てを受け止めたクリスの悲鳴が響き渡る。
こうして立ちそうだったフラグは、全て酸っぱい匂いに折られるのだった。




