ギルドマスター アリスト
私の名はアリスト、姓はわけあって名乗っていない。
私はここアダムヘル冒険者ギルドのギルドマスターをしている、もう初老に差し掛かったしがないハーフエルフだ。
何でもない平日の午後、私がギルドに持ち込まれる依頼の最終確認作業をしていると、執務室のドアがノックされた。
「入りなさい」
「失礼いたします」
入室してきたのは、受付嬢のアーシャ君だった。まだ冒険者ギルドに入って一年程度の新人だが、非常に真面目な働きぶりで、同僚と冒険者共に評判がいい子だ。
午前中に不正の調査依頼の相談を受けたが、何か進展があったのだろうか。
「ギルドマスターにお手紙が届いております」
おや、別件のようだ。
「分かった。そこに置いておいてくれたまえ」
先に書類仕事を終わらせて、昼食がてら見ることにしよう。
「いえ、あの……どうやら緊急の用向きのようでして」
そういう私に、彼女は戸惑ったように言葉を濁しながら答えた。
ふむ、緊急のわりに切羽詰った感じを受けないね。どういう事だろうか。
「分かった。すぐに目を通すから、少し待っていてくれるかな」
手紙のほうを先に終わらせることにし、私はアーシャ君から手紙を受けてると、差出人と封印の印璽を確認し驚いた。
グレア大司教から最重要案件!?
私は封蝋を外すと、内容を読み進める。
挨拶から始まる手紙には、彼らしい力強い文字と共に、このような事が書かれていた。
――― 曰く、現在治療院の回復係として派遣されている冒険者、クリスタール=ロア氏のGptの算出に当たって、治療院が多忙につき、ランクアップをする為に冒険者ギルドへ行く事が出来ないかもしれない。教会側でカウントを続行しているので、ランクアップ後の治療患者数もGptに反映して欲しい。
ふむ、これは別に問題ないな。働いた分の対価は正当に評価しなければならない。
――― 曰く、この冒険者は、奥方のミルノワール=ロア氏と並んで、非常に稀有な才能の持ち主である。冒険者ギルドが公平を重んじる事は承知しているが、できる限りの便宜を図って貰いたい。
ふーむ。これは難しい頼みだな。いくらグレア大司教の頼みと言っても、いち冒険者を特別扱いすることは出来ない。
王侯貴族であろうとも、冒険者ギルドは公平に接する。それが初代聖王アリア=アリネージュの意思であるからだ。
それを一番よく分かっていて、理解を示してくれていたはずの彼が、このような事を言ってくるとは、何か理由があるのだろうか?
――― 曰く、緊急で伝えたい案件がある。世界的に見ても非常に重要な案件である。
明日にでも主要四カ国と冒険者ギルド等主要機関に早馬を飛ばす準備をしているが、その前にアリア様をよく知る貴殿と直接会って話をしたい。
この手紙以外でも、上記の案件を記した封書を別ルートで届けさせている。
夕方までに返事がない場合は、直接こちらからそちらに出向かせて貰う。
私は終日アリア教会にいるので、手紙を確認しだい連絡が欲しい。
当方としては【聖令】の発令を検討している。
――― ガタンッ
【聖令】の文字に、思わず私は立ち上がっていた。
怪訝そうにこちらを見てくるアーシャ君に、はっと我に返り、気持ちを落ち着けるために咳払いひとつすると椅子に座り直す。
「アーシャ君、引き止めてしまって悪かったね」
彼女に同封してあった依頼表を渡すと、彼女もそこに記載されているGptに驚いたようだ。
疑念を呈する彼女。
なるほど、どこかで見た名前だと思ったが、午前中の不正調査依頼は奥方の方だったのか。
普通ではあり得ない数字。あり得ない能力。私はそこにピンと来るものがあった。
つまりは、そういう事なのだろう。
直接、件の両名に会って話をしてみたかったのだが、生憎と現在ギルドに居るのは奥方のみのようだ。この手紙も奥方が直接持ってきてくれたらしい。
せめて奥方とだけでも先に顔を通しておくか? とも思ったが、止めておこう。
話はしてみたいが、話す内容的に人払いしないわけにはいかず。さりとていくら仕事の話といっても、ご夫人を呼びつけて密室に二人きりというのは些か外聞が悪い。
まずはグレア大司教との面会を優先し、後日両名そろって話をするとしよう。
私は続いて不正調査の結果を聞き、ランクアップの指示を出す。
しかし、このアーシャ君は本当に堅実な仕事をしてくれる。
まだ冒険者ギルドに入って一年程度だというのに、自分で考え不正を正そうとし、失敗しても次善策を打って確認を怠らない。
こういう優秀な新人にありがちな独断専行も無く、報連相もしっかりしたうえで、最善を尽くす姿勢は、模範的で非常に好ましい。
だからこそ、私はこの常識的で優秀な受付嬢が、常識的であるがゆえに心配になる。
一般常識の埒外にあるアレは、常識とか良識とかを平気で大霊峰の向こう側に蹴り飛ばす存在だ。
おそらく、今この世界に生きとし生ける全ての生物のなかで、それを私は一番よく知っている。
――― きっと、彼等もそうなのだろう? アリア姉さん。
彼女を下がらせると、私は副ギルドマスターを呼び、アリア教会に向かう旨を伝え、ついでに彼等の担当は、もっとこう……適当で大雑把なギルド員にさせるように指示を出す。
まともな人間では彼等の相手は務まらない。胃に穴が開いてしまう。
副ギルドマスターは怪訝な顔をして聞き返してきたが、念押しで指示を出し、私は急いで支度を整えると、教会へ向かう為に一階の受付へ降りた。
ついでに奥方の顔だけでも確認しておこう。ギルドカードの更新をまだ一階で待っているはずだ。どの様な姿かは聞いていないが、目立つ容姿という事だからすぐ分かるだろう。
■◇■◇■◇■
一階に降りると、立ち上がって挨拶しようとするギルド員たちを手で制し、ロビーに向かう。
さすがに昼間だけあって人が少ない。まぁ働き盛りの冒険者は今は仕事真っ最中の時間だ。居るのはひと仕事終わって、わりの良い仕事が張り出されないか待っている休養中の冒険者と、街中をメインの活動場所にしている低ランクの冒険者くらいか。
基本的に私は、上位ランクの指名依頼や大規模依頼の合同説明でしか冒険者の前に顔を出さないため、今ここに居る下位の冒険者達は私をただのいちギルド員と思っているようだ。
自分でも、半分エルフの血が混じっている割に平凡な見た目だと思っているので、カリスマが無いのはしかたない、と苦笑しする。
それでも、食堂に居たBランクの冒険者数人は気づいた様で軽く会釈してきたので、私も手を上げて挨拶を返しておいた。
さて、ざっと見渡しても件の奥方が見当たらない。妙齢の女性は全て見たことのある顔だ。
目立つ見た目と言っていたが……ギルドを出てしまったのだろうか。
まぁそれならそれで仕方ない。明日にでも面会の約束を取り付けるように、戻ってきたら職員に伝えよう。
諦めて出入り口に向かう私の目に、Eランクの依頼掲示板の前の純白の少女が映った。
その少女は背伸びをして一生懸命に、高いところにある依頼表を取ろうとしているが、あと1センチ、いや5ミリ届いていない。
お、さらに頑張って指先が触れた。が、掴んで剥がすにはまだ足りない。
周りの冒険者も手伝ってやればいいものを、ハラハラと遠目に見守るばかりで、一向に手伝おうとしない。
まったく、こんな幼気な少女が困っていると言うのに、手もかさないとは最近の冒険者は冷たくなったものだ。私の若いころは、もっと人情味に溢れていたものを。
私は少女に近づくと、背中越しに目当ての依頼表を剥がしてやる。
「あっ」
「お目当ての依頼表はこれかね?」
先に取られたとでも思ったのか、驚いて振り返った少女の赤い瞳と、私の目が合う。
ふむ。非常に美しい少女だ。幼く見えるが、Eランクの依頼を受けると言うことは、すでに成人しているのだろう。
剥がした依頼表を渡してあげると、彼女は戸惑いながらも受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。可憐なお嬢さんが困っておられたので、当然の事をしたまでですよ」
受け取った依頼表を胸に抱いて恥ずかしそうに、はにかみお礼を言う少女に、私も思わず笑顔になりながら答えた。半分は周りの冒険者に対して言ったのだがね。
「可憐だなんて……」
頬を染め俯いてしまう少女。
おや、余計に恥ずかしがらせてしまったようだ。
「ふむ。いやはや私としたことが、成人した立派な淑女に可憐とは失礼でした。
美しいお嬢さん、困ったことがあれば、ギルド員へ相談するといいでしょう。最近の冒険者はどうも気が利かないようですし」
言いながら周りを見渡す私に、目をそらす周囲の冒険者。まったく不甲斐ない。
「おぉぅ、ナイスジェントル」
「ん? 何かな?」
視線を外している間に少女が、小声で何か呟いたが、生憎うまく聞き取れなかった。
「い、いえ、何でも無いです。取って頂き有難うございます。助かりました」
「いえいえ、お気になさらず。これからお仕事ですか?」
「はい。その予定です」
「そうですか、頑張ってください。では私も仕事があるので、これで」
頭を下げる少女を残し、私は出入り口へ向う。
可憐で礼儀正しい少女だ。あの容姿は荒くれ者ぞろいの冒険者として生きていくには、ある意味マイナスなのだが、そこはまぁ冒険者を選んだ彼女の自己責任だ。腕を磨いて冒険者として生きていくも良し、人生の伴侶を見つけて寿退職するも良し、道半ばで散るも良し。
結局件の奥方が見つからなかったのは残念だが、私は名も知らぬ少女を心の中で応援すると、アリア教会へ向かうのだった。
夕方、冒険者ギルドに戻って来た私に、受付嬢の全会一致でアーシャ君が彼等の担当になったと報告があった。
……ここの冒険者ギルドの受付嬢は優秀な者が多いと思っていたが、早々に彼等の危険度を見抜くとは、恐るべき先輩受付嬢達の危機回避能力。
がんばれ、負けるなアーシャ君。私は君の事も応援しているよ!
 




