現状確認と緊急事態
理解不能な現象から何とか立ち直った二人は、取り合えず目先の問題を整理することにする。
「で、このゼブラウルフどうしましょうか?」
「……このままインベントリに収納できれば楽なんだけどな」
そういうと恐る恐るゼブラウルフの胴体に触れるクリス。
消耗品や装備をインベントリに入れる感覚で、【収納】と念じると、一瞬でゼブラウルフの死体が消滅する。
「おぉ入れれるんだ。インベントリは生きててよかった」
「死体をもって移動も嫌ですし、ダメなら諦めるしかなかったですね」
今更ゼブラウルフの素材などたいして欲しくもないが、現状無一文の二人には、売ればそれでも多少の金になるであろうゼブラウルフの死体は回収しておきたかった。
サーバーが違う場合、ギルドの倉庫も使えない可能性が高く、その場合は無一文のまま4日を過ごさなければならないからだ。
「血はそのままなんだな」
「流れた血や、別々になった部位は個別扱いのようですね」
一つ一つ現状のルールを確認しながら、頭の方はミルが回収する。
流れ出た血は触りたくなかったため放置である。素材としても特に使い道はない。
「では、改めて出発しましょうか」
「了解。現状確認が捗った分、無駄な時間とは思わないが、なんというか疲れたな。早くアダムヘルで休みたいよ」
「同じくです。ログアウトできないなら急ぐ必要はありませんが、4日待つにしてもせめて宿屋で待ちたいですね」
「そうだな」
なんとかロールプレイする程度の余裕を取り戻し、現実逃避気味に急ぐことにした二人は再びアダムヘルへ歩き始める。
だが、10分もしないうちにまたもトラブルがおきる。
「今度はゴブリンですか……普通このフィールドには出ないはずですが」
「サーバーが違うならこういう違いもあるんじゃないかな」
Lv3~6のゴブリンの群れが二人の前に立ちはだかったのだ。
「グゲゲギャグギャ!」
「ゲギャゲ!」
「ギャギャグリョギャ」
「何言ってるかわかんねぇよ」
30匹程度の群れを前に、特に気負うこともなく突っ込みを入れるクリス。
まぁこの千倍いても圧殺できる火力が隣にいるからだが。
広範囲攻撃に乏しい回復職のクリス一人で3万匹のゴブリンを相手にするには、時間がかかるのでやりたくない。VITが非常に高いクリスにゴブリン程度のダメージが通ることはないが、それと一匹ずつ殴り殺す手間は別問題だ。
「範囲攻撃でいっきにやっちゃいましょうか」
「頼む。……あぁでも消滅させるのは無しで、宿代の足しにしよう」
「分かりました。……ところで、ギルドでは死体丸ごとで買ってくれるのでしょうか?」
「さぁ?」
頼りないクリスの答えに苦笑しながらも、こういう手探りも最初だけの楽しみと割り切ることにしたミルは、ちょっとわくわくしながら眼前の敵へ一歩踏み出す。
「さて」
一言呟いたミルの姿は、次の瞬間には十数m移動し、ゴブリンの群れの中心にあった。
瞬間移動系スキル……ではなく、単純な一歩の踏み込みでゴブリン30匹の認識を置き去りにするミル。
こちらを包囲しようと、いびつな三日月型に広がっていたゴブリンの不運は、中心部に一直線で行ける隙間があったことだろう。
――― 大剣スキル【大回転切り】
先ほどと同じく、スキル発動の瞬間だけ愛剣を装備したミルは、ただの一匹のゴブリンにすら気づかせることなく、群れの中心で広範囲大剣スキルを発動させ、すぐにクリスの隣に戻る。
「グギャ?」
「クリス、血がつくかもしれませんから少し下がったほうがいいですよ」
「あぁ一応防御しておこうか」
そう言うと、自分とミルを中心に狭い範囲で上級神聖魔法を発動させた。
―――防御魔法【不可侵領域】
「無駄に高度な魔法ですね」
「そうでもない。下級の【防御膜】や中級の【防御壁】じゃ服につく汚れまでは防げないからな。それなら一定領域を邪悪なものの不可侵領域にするこの魔法のほうが有効だ。毒霧や病魔なんかも防御するから、飛び散る血程度ならちゃんと防いでくれるだろうし」
「なるほど、流石ですね」
「たぶんだけど」
「予想ですか、私の感心を返して」
「いや、血のエフェクトとか初めてだしなぁ」
「グギャギャ!」
そう呑気に会話する二人に、言葉は分からなくてもバカにされたとでも思ったのか、先頭の数匹が突撃を開始し、数歩進んだところでコロンと首が落ち、噴水のように血を撒き散らしながらなお数歩進み、防御魔法に激突して血をこびり付けた。
「グギャ!?グギャギョ!?!?」
その光景を身近で目撃した二列目のゴブリンが思わず一歩後ずさり、またコロンと……。
「グギョ!?!?」
何が起こっているか理解できず、本能的に逃げようとした残りのゴブリンも同じ運命を辿り、結局一匹たりとも取りこぼしなく、最初の一撃で殲滅したのだった。
「ほら大丈夫だった」
「そうですね。それじゃ回収しましょうか」
「……大丈夫か?」
「ん? 何がです?」
何を心配しているのか分からないという顔でクリスを見るミルに、特に無理をしている様子も見られず、肩をすくめてなんでもないと返し、クリスも死体の回収に向かう。
幼馴染のよしみで、ミルが、というか稔が成人向けの残酷描写のあるゲームをしたことがないのを知っていた為、人型モンスターを殺したことによる精神的ショックを受けていないか心配したが、杞憂だったようだ。
ちなみにクリスはそういったFPSもやるので、こういった表現は慣れている。
「あっ!」
「どうした!?」
突然声を上げるミルに、何かまずい事でも起きたのかと心配するクリス。
「心臓でも貫いて仕留めれば良かったです。回収がめんどくさい」
「あー……いやそれはそれで面倒だしいいんじゃないか?」
「次の課題ですわね」
あっけらかんと答えるミルに、苦笑するしかないクリスだった。
そんなこんなで、20分ほどかけてゴブリンの死体30体分(×2)を回収し終わった二人は、再び移動を開始した。
「しかしこの鯖は初心者に優しくないな。こんな序盤であの規模のゴブリンの群れとか、初心者がアダムヘルにたどり着けないんじゃないか?」
「パーティイベントではないかしら? 昔はそういったイベントは一次職についてからでしたけど、運営的にはもっと早くコミュニケーションしてもらって、長く続けてもらったほうがいいでしょうし」
良い人間関係を早めに構築できれば、攻略もはかどり、プレイしていても楽しいものだ。そういったコミュニケーションこそMMOの醍醐味であり、続ける要因の上位だろう。
逆に中盤以降、ある程度ゲームに慣れてくると、個人でやりたいことやプレイスタイルが確立するため、それまでの仲間と上手くいかなくなり、パーティやギルドの解散、最悪の場合は引退などにもなってくるのだが。
「最近は効率重視ばかりでペアしかやっていませんが、たまにはギルドで狩りもいいかもしれませんね」
「自他共に認める効率厨のミルさんの言葉とは思えませんな」
「ここを歩いていると初心を思い出します。手探りでみんなでわいわい攻略するのも楽しかったですよ」
「あの頃はよかった。っていうほど年を取ったつもりはないんだが」
「私から見たらクリスはおじさんですわ」
「おじさんいうな。中身は同い年だろうに」
しばらく取り留めの無いことを駄弁りながら歩いていると、だんだんと話題もなくなってきたので、さっき気になったことを聞いてみるクリス。
「ところでミル」
「なに?」
「さっきのゴブリン、さくっと殺ってたけど大丈夫だったか?」
「大丈夫って、私のLvでゴブリン程度にどうにかなるわけないじゃない」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
一拍、言うべきか考えたクリスだが、このサーバーでは別の人型のモンスターやNPCと戦闘になることもあり得なくはないため、今のうちにはっきりさせてしまおうと、口を開く。
「人型の敵を殺すっていうのは、結構ハードル高いんじゃないか?」
「え……クリス。あなたもしかして、ゲームと現実の区別がつかない人?」
心配そうにそう聞くクリスに対して、ミルは困惑したように視線を向け、少し考えてから一歩後ずさりながら恐る恐る言った。
「ちげーよそういう意味じゃねぇよ!」
思わず叫ぶクリス。中身を知っているから冗談で言っているのは分かるが、儚げな美少女に『やだ何この人キモイ』的な視線を向けられるのは、結構ダメージがデカかったらしい。
「冗談よ。クリスが何を心配しているかは分かったけど、私はゲームと現実は区別できるタイプだから何も問題ないわ」
「……その言い方だと、俺が区別できない人みたいに聞こえるんだが」
善意から心配していたというのに、軽く返されて釈然としないクリス。
「まぁそういうのを気にする人もいるのは知っているけれど、私に関してはそういう良心はこのゲームを始めた時に、ラビッポを殴り殺した時点で転生の祭壇に置いてきたわ」
「いやそれも人としてどうなん?」
あんまりと言えばあんまりな言い分に、思わず突っ込みを入れるが、取り合えず思ったよりもグロ耐性が高いようで安心するクリス。
「まぁなんだ、人型を殺すことに拒絶反応がないようでよかったよ」
「グロいの自体ははっきり言って遠慮したいですが、ドロップ率アップに取った狩人や解体師にそういったパッシブ効果でもあるのかしらね。不思議とスプラッタなのも平気だわ」
「あーそういえば取ってたなそんなの。ドロップ率以外で意識したことないけど、そういう効果もあるのかね」
当初から成人向けバージョンの構想があった場合、その可能性もなくはないなと思うクリスだった。
「そこの二人組、止まりな!」
そんな恫喝と共に、草むらから5人の盗賊風の男たちが行く手を塞ぐように出現する。
丁度街道の左右が林に囲まれ、周囲から見えにくくなる位置での襲撃である。まぁ、周りに人など居ないのだが。
「野生の盗賊が飛び出してきた!戦いますか? 《はい》 or いいえ」
「《いいえ》」
「んじゃ今度は俺がやるわ」
気の抜けるやり取りの後、まったく止まる様子も見せずに自分たちに近づいてくるクリスとミルに盗賊達は厳つい顔を怒りに染め、もう一度怒鳴る。
「止まれっつてんだろうが! 聞こえねぇのか!」
強制イベントかよ。と渋々止まる二人に、自分に恐れをなして言う事を聞いたと勘違いした盗賊達は、これ見よがしに長剣や短剣、斧などを見せつけながら言う。
「命が惜しかったら金目の物を置いて行きな!」
「御頭、後ろの女まだガキですが、超絶美人ですぜ」
「お、そうだな、後ろの女も置いていけ」
「しかも良い服着てやがる。どっかの貴族の御令嬢と神官が二人で聖地巡礼かぁ? 不用心にもほどがあるぜ」
「騎士団に追われてこっちに逃げて来てみりゃ。こんなおいしい状況があるたぁな」
「身代金取るにしても売るにしても、ちゃんと味見してからにしましょうぜ、ガキだがこんな上玉めったにヤれねぇ」
下卑た笑いを顔に張り付けながら、口ぐちに好き勝手言う盗賊風の男たちに、厭きれるクリス。
「ずいぶん口が達者なNPCだな。いろいろとお子様には理解できない表現するし、何気にLv30もあるし、これ何かのイベントかね。どう思うミル?」
「どうでもいいです。とっとと片付けて先に進みましょう」
ターゲットアイコンでLvを確認し、なにか違和感を感じるクリス。
思えば今までも、いくらリアリティを売りにするAAOの、仮に更にリアリティが増したテストサーバーだとしても、余りにNPCの反応がリアルすぎる。
いくら最近の最新AIが人間と変わらない反応を返すといっても、NPC同士が状況に応じてこのレベルで滑らかに会話するというのはおかしいのではないか。
そんな風に思い、ミルに問いかけるが、ミルの方はかなりイライラした様子で目の前の盗賊を睨みつけている。
「どうした?」
「……なんでもない」
両手でスカートをキュっとつかみ、すこし涙目になりながら視線をそらすミル。
目の前の盗賊が怖い……というのはまかり間違っても無い。
こんな木端盗賊など見ただけでショック死するほどの威圧感を放つ、上級ダンジョンのドラゴンやらデーモンロードやらノスフェラトゥキングやらに嬉々として突っ込んでいく相棒が、この程度で萎縮するほど可愛らしい精神構造のはずがないのだ。
「……何か今、ものすごく失礼な事を考えませんでしたか?」
「どうした。らしくないぞ脳筋」
「うるさいです! とっととやっちゃって下さい!」
心配そうに遠慮なく罵倒してくる幼馴染は、胡乱気な視線で催促してくるミルに首をかしげながらも、自キャラに男の下品な視線を向けられて鳥肌でもたったかな? と当りを付ける。
宿屋で自キャラの下着姿を鏡に映しうっとりと見つめるほど、端から見れば完全にナルシストな自キャラ愛に満ち溢れる幼馴染には、キモすぎる視線だったかもしれない。
ちなみにAAOは全部装備を外しても下着姿までにしかなれない。もし全裸になれたら間違いなく全裸でナルってるのが想像できるのが残念である。
「さて聞いていた通り、うちのお嬢様がかく仰られますので、速やかに退くか、俺に退治されるか、選べ」
気障に、かつ全力で相手を小馬鹿にしながら前に出るクリスに、INTが低そうな盗賊が我慢できるはずもなく。
「チッ! 抵抗しなけりゃ命だけは助けてやったのによ!!」
「顔のいいやつは嫌いなんだよクソが!」
「死ね!!!」
御頭らしき長剣を持った盗賊と、弓を持った盗賊以外の、斧、短剣、槍を持った盗賊がクリスに襲いかかる。
正面から袈裟がけに叩きこまれる斧、左側面から心臓に突き込まれる槍、右側面からわき腹を切り裂こうとする短剣に対してクリスは、特に何もしなかった。
――― ガッ!
『な!?』
下級の騎士なら対応出来ないであろう、自分たちの必殺の連携で成すすべなく血の海に沈む哀れな男しか想像していなかった盗賊達は、しかし服すら破る事が出来ず、平然と自分たちの攻撃を体で受け止めたクリスに驚愕する。
「ふむ。実験がてらあえて受けてみたが、これだけLv差があると痛みすら無し、か」
そう言いながら、両腕を上げ、未だ呆然としているの左右の盗賊の額にデコピンをお見舞いする。
ベチンっ!!
『ギャ!!』
ゴブリンのような声を上げ3メートルは吹っ飛ぶ盗賊二人。
「STR初期値でもLv補正考えればこんなもんだよな。さて次の実験だ」
――― ゴスッ!
「ヒギャ!」
「ひぃ」
指一本で人間が吹き飛ぶ光景に、呆然としていた真ん中の盗賊の股間を蹴り上げるクリス。
ミルにお子様には言えないような事をすると言っていた盗賊は、残念なことに一生そういった行為とは無縁な体を手に入れる事になった。
ちなみにあとの悲鳴は、同じ男として痛みを想像したミルが思わず漏らした悲鳴である。
「怖いわ! たまひゅんするわ!!」
「あー。まぁその心配はもうないんじゃないかな?」
思わず股間を抑えながら言うミルに、ある確信を持ち苦笑して答えるクリス。
「て、てめぇ化けモンか!?」
「冗談じゃねぇ逃げるぞ!」
「待て、【動くな】」
踵を返して逃げようとする盗賊の残り二人に待ったをかけて、ついでに【拘束】状態異常を無詠唱で掛ける。
「なぁ!?う、動けねぇぞ」
「か、頭ぁ。俺も動けねぇっす」
「五月蠅い。【黙れ】」
ついでに【沈黙】の状態異常もかけられ、喋ることすらできなくなった盗賊二人。
「なんでお前たち二人を残したと思っている。この三人を片付けさせる為に決まっているだろう」
絶対に殺されると思っていた盗賊二人は、その言葉に怯えながらも『見逃してくれるのか』といった意味合いの視線をクリスに向ける。
「なんで見逃すの?殺っちゃったほうが早くない?」
「まぁちょっと考えがあってな。後で話すよ」
いまだにイライラしながら聞いてくるミルに、『余計な事言うな糞餓鬼』といった意味合いの視線を向ける盗賊、それに更にイライラするミルという悪循環に苦笑し、さっさと状態異常を解くクリス。
「とっとと消えろ。俺の気が変わらないうちにな」
『へ、へいっ!!』
へこへこそそくさと退散していく盗賊に白い目を向け、完全に気配が消えるまで見送ってから、真剣な表情でミルに向き直るクリス。
「ミル、大切な話がある」
「奇遇ね、私もだわ」
どこか悲しそうに、だが真剣にこちらを見返すミルに、クリスも気付いたか、と一つ頷く。
思えば、ヒントはたくさんあったのだ。
やけにリアルなグロ表現、存在しないはずのモンスターの群れ、達者に話すNPC、何より肉を蹴り潰すあの生々しい感触と、倫理コードどころかハラスメントコードすら抵触する急所攻撃が全く問題なく行える事。
「どうやらこれは現z「漏れそう」」
そして場面は冒頭に戻る。