覚悟
「モンスターの大群数万じゃと!?」
午前9時半。
アリア教会の大司教を司っている儂、グレアは教会の執務室で緊急の報告を受けていた。
椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がる儂に、報告に来たラウディも硬い表情で頷く。
「はっ。しかもレベル400を超える……と」
昨日、第五部隊の諜報部隊員が接触に成功し、好印象を得たという所まではよかった。
ミルノワール様に接触したエリーナ達三人にも印象を聞き、ラウディも含め全員が天人様は善性であるという報告を受け、胸を撫でおろした。
全員が全員、天人様に心酔しすぎな気もしたが、それに関しては信仰の対象が目の前にあるのだから仕方ないとも言える。
心を許しすぎず、客観的に見るように釘を刺したが、果たしてあの三人は理解しているのだろうか。
だがまぁ多少の不安は残るが、概ね満足いく結果に儂は安心していた。
今日、朝の礼拝を終わらせた儂に、転がり込むようにラウディが緊急報告を持ってくるまでは。
天人様お二人に付けたエリーナ達とは別の諜報員からの緊急報告を聞いたラウディは、その足で儂の執務室にノックもそこそこに入ると、世界の危機を報告してきたのだ。
「アップデート……か」
「【楽園の用語集】にある言葉ですな」
「世界の変革、転換期という意味だったか」
「アリア様がご降臨なされた時に予言されたと言う、あの」
歴史を紐解いても稀に見る凶事、今世にタラップ戦役と呼ばれ伝わるサンクロイア王国とディファルド連邦の戦争、そして魔王の降臨。
アリア様は、その二つの転換期を予言し、人々を導く事で被害を最小限に抑えられた。
アリア様は著書の中で、自身がこの世界に降臨したのは、これを鎮める為ではなかったのか。と記されている。
ミルノワール様とクリスタール様が真の天人様であられるなら、彼の方々が予言した世界の転換期も十分にあり得るということだ。
いや、もう自分に嘘をつくのは止めよう。たらればなどと現実を否定したところで、彼の方々がアリア様と同じ目線で世界を見ているのは、すでに明白ではないか。
希望的観測でお二人が天人様でないと思ったところで、事態は好転せん。
なればこそ、儂は最悪の状況を想定して最善を尽くさねば。
「うむ、前回の転換期はアリア様の御力で乗り越えることが出来た。だが、今回の大暴走の情報が本当ならば、天人様お二人だけの力で何とかなるとは、とても思えん」
「……それでもお二人は、この世界を救うおつもりのようです」
「そうか……いや、そうで、あろうな」
きっとお二人は強いのだろう。アリア様がそうであったように。
だが、強さにも限界と言うものがある。
どんな巨石も川の流れで削られ、最後には砕けるように、圧倒的物量には抗いきれぬ。
いや、たとえお二人が砕けぬ巨石であろうとも、一挙呵成に襲い来るモンスターの大軍を、漏らさず打ち取り続けるなど不可能だ。どうあっても打ち溢しは防げぬだろう。
レベル400ものモンスターが一匹でも人里に到達すれば、待っているのは地獄絵図だ。
ならば天人様を頼らず、アルレッシオ聖王国、サンクロイア王国、ディファルド連邦、魔国ブリンガルの四か国が総力を結集してこれに抗った場合はどうなるか。
四ヵ国で出せる兵力は凡そ最大で35万前後。それに加え、アリア教会の騎士団と冒険者で5万くらいは賄えるだろうか。
北からの大暴走なら、大森林と大霊峰のエルフとドワーフも他人ごとではない筈だ。あの偏屈共も戦力として期待していいだろう。
合計で45万に届くかどうか。
だが、その兵力の6割はレベル三桁に届かぬ人間の一般兵だ。人間の正規兵でレベル150前後、獣人の兵でレベル200前後。魔族の兵はレベル250も珍しくないが、絶対数が少ない。エルフとドワーフは未知数。
現在確認されている最高レベルのモンスターが、レベル392の【墓守】だが、そやつ一匹に対して、レベル250の兵が10人がかりでも勝利は覚束ない。レベル100に達しない一般兵では何十人揃えても蹂躙されるだけだろう。
それ以上のレベルのモンスターが数万。彼我の戦力差は十倍以上。
屍山血河の果てに、希望すらも見えず。ただ、愛する者達が殺戮される未来のみ。
どう足掻いても絶望。
ならば、たった一日であるが、接触した者全てが感じた彼の方々の善性を信じ、全てを託してみてはどうか。
アリア様が、この世界を優しさで救い、慈しみ育んでくださった様に、我々が何もせずとも此度の天人様が、万難を排しこの世界を守って下さるかもしれん。
……だが、それで良いのか。
この世界に生きる者として、頭を垂れ、座して動かず、天運に頼り、己に迫る災いを対岸の火事として、心優しき人の助けを希い、ただ吉報を待つ。
心優しき彼の人が、傷つき、倒れるかもしれぬのに。
「 否 」
儂の口から熱が漏れる。
久しく忘れていた、熱い何かが。
怪訝な顔を向けてくるラウディに、儂は視線を向けた。
ふふふ、貴奴め一歩引きおった。この老いぼれにも、百戦錬磨のこ奴を引かせるほどの熱が、まだ残っておったらしい。
「ラウディ=ガーランド」
「はっ!」
「天人様は、これから何をすると言っておられた?」
「……諜報員の聞き違いでなければ、5日以内にCランクになり、10日以内にアリア教本部へアリア様の墓参りをする、と、何でもそれが、“ちゅーとりある”なる儀式で、アリア様からの指示との事」
「Fランクから5日でCランクにか。……なんとまぁ荒唐無稽に聞こえるが、天人様だからのぅ」
才能ある冒険者でも3年以上かかる道のりを、たったの5日で踏破しようと言うのだ。呆れを通り越して苦笑しか漏れないが、天人様には可能なのだろう。
ならば、儂らは陰ながら、その手助けをしようか。
「大暴走まで、まだ猶予はあるのだったな?」
「おそらくは……ですが、予兆らしき地震はすでに起こっております。何度目かの地震の後、冒険者ギルドの調査があり、そこで【神域】という物が大霊峰上空に出現すると」
「……その調査をさせなければ、出現しないと思うか?」
「……分かりませぬ。ですが、それを期待して何もせぬのは、浅薄に過ぎましょう」
「儂もそう思う。―――よし」
覚悟を決めた。
「四ヵ国と北の偏屈共そしてアリア教本部に早馬を出す。全軍総員の準備を促そう」
「天人様と共に戦う、という事ですな」
「うむ。最初からそれ以外に、この世界が助かる道はあるまい」
「聖王国は別として、残りの四ヵ国は動きましょうか?」
「心配いらん、【聖令】を使う」
「!? それは……よろしいのですか?」
聖令。
今まで一度として使われたことの無いソレは、教皇とアリアの直系の子孫たる聖王国聖王のみが施行できる、何よりも優先される絶対命令。
―――『私に恩を感じるのならば、聖令が発令された際に、全力を持って応えてほしい』
アリア様は崩御の間際、当時のアルレッシオ聖王国聖王、サンクロイア国王、ディファルド連邦首長、魔国ブリンガル議長、アリア教教皇、そして生き残っていたパーティメンバーを集めて、そう仰られた。
以来聖令は、積りに積もったアリア様への恩への唯一の返し場所として、今日まで連綿と受け継がれている。
「世界の危機である。背に腹は代えられん。時間もない。
なに、明後日には儂も本部に向けて立ち、直接教皇様と聖王様にお話しする。事後連絡になるが、事情が事情だ。話して分からぬ方々では無かろうよ。万が一分からぬなら……無理やり儂の名で出す」
「!?……間違いでした。では済まされませんぞ」
「ははは、その時は喜んで、この首差し出そう」
「……その時は、私もお供します」
「馬鹿者。間違いであったなら、聖王国とアリア教に泥を塗るのは儂じゃ。その泥は儂の血だけで洗い流してみせるわい」
「しかし!」
「諄いぞ。お主の命まで儂に背負わせるでない。迷惑じゃ」
責任感の強い奴じゃが、そこまで背負わせられんし、背負いきれんし、背負ってやらん。
「それにな、この首はだかが誤報一つ取り消せぬほど、軽いものではないぞ」
思いつめた顔をするラウディに、ニヤリと笑って言ってやる。
聖令の誤報など前代未聞もいいところじゃが、まぁこの首一つで足りるわい。
儂が大司教になる前からの付き合いであるラウディには意味が分かったらしく、思いつめた顔が苦虫を噛み潰したような顔になった。
くっくっく、まぁ誤報となったら、平和な世界で生きるがいい。
「……天人様達はどうなさるおつもりで?」
「聖令を発令しても、軍の準備ができるまでしばらくかかる。それまではその“ちゅーとりある”とやらを進めて頂こう。
アリア様からの聖典による指示であるなら、無下には出来ぬしな。いよいよ間に合いそうになければ教会の者を接触させる」
「承知しました。ではそれまでは、こちらからは何もしないので?」
「いや、当然裏から手を回す。天人様達がギルドランクを上げるのは早いに越したことがないからな。天人様達が受ける依頼の傾向を見極め、似たような依頼を教会の名で大量に出すとしよう。ちとGptを高めにしてな」
「なるほど、冒険者ギルドとしてはいい顔をしないでしょうな」
苦笑するラウディ。
「権力に屈しない公平な組織としての体裁は、この際、引き出しにでもしまっておいて貰うわい」
「ははは、では我々聖騎士団は何をしましょう?」
「訓練をするにも時間が無いからのう。待機し英気を養っておれ。……あぁしばらく人が減るじゃろうから、見習いの派遣と治療院の回復職の補充もな」
教会に併設された治療院は、普段は聖騎士団の回復職が常駐しているが、しばらく前の盗賊団殲滅作戦で街の騎士団の被害が大きかったため、そちらに派遣していた。
代わりの回復職は冒険者ギルドに依頼を出し、補充はしているが、聖騎士団が動くことになれば当然聖騎士団所属の回復職は連れていくことになる。
その間、治療院の回復職は冒険者に補って貰わねばな。
「町の騎士団に回復職を派遣している関係で、人手不足気味になっていましたので、回復職の募集はすでに冒険者ギルドに出しております。来たものに、聖騎士団の回復職が抜けている間の補充員として詰められないか聞いてみましょう」
「うむ」
さて、ある程度方向性が決まったので、覚悟を決めて聖令発令の為の準備をするとしようか。
あぁその前に、紅茶でも入れて落ち着くか。一世一代の大仕事が焦りで雑になっては、悔やむに悔やみきれんからのう。
「ラウディ殿も、紅茶でも飲まぬか?」
「……覚悟を決めてからの落ち着きっぷりは見習いたいものですな。流石です」
「年の功と言ったところか。用意させるから、ちと待っておれ」
儂とラウディは、これからしばらく出来ぬであろう落ち着いたティータイムを満喫するため、紅茶ができるのを待つのだった。
ラウディと共に心静かに紅茶を嗜んでいると。ノックの音とともに紅茶を淹れてくれたシスターの声がした。
「大司教様。冒険者ギルドから治療院の回復職の依頼を受けた冒険者の方がお見えです」
そう言えば先ほど、ラウディがすでに依頼を出していると言っておったな。どうやらさっそく冒険者が来たようだ。人気のない依頼だというのにタイミングがいい、これもアリア様のご加護であろうか。
治療院はこの教会に併設されている関係で、名目上責任者は儂という事になっている。依頼を受けた冒険者がこちらに来るのは当然だ。依頼表に儂のサインが無ければ達成したことにならんからのう。
ラウディに視線を向けると紅茶を飲みながら静かに頷く。
聖騎士団が出払っている間の臨時回復職の件もあることだし、このまま三人で話すとしよう。
「分かった。入ってもらいなさい」
紅茶を飲みながらというのは些か不躾かもしれんが、あまり畏まることもあるまい。
儂もラウディの、そこそこの地位にある身。一介の冒険者では緊張もするだろう。
ここはこのまま紅茶を嗜みつつ、友好的に話を進めてアットホームな職場を演出するかのう。
儂の考えが伝わったのか、ラウディもゆったりと紅茶を飲む。
うむ、ディファルド連邦産の紅茶は旨いのう。
「失礼する」
「「 ブフォ!!! 」」
入って来た金髪碧眼の美貌を持つ青年を見た瞬間。
儂ら二人は紅茶を盛大に噴出した。




