いざアダムヘルへ
~~~ アダムヘルへの道中 ~~~
小高い丘の上にある転生の祭壇から、浅い森を10分ほど歩くと、一気に開けた草原とまばらに点在する小さな林、それを蛇行しながら避ける様に走る、馬車一台がなんとか通れるという細い道を見渡せる場所に出る。
今日は天気もよく空気も澄んでいるため、遠くにアダムヘルの外壁を見ることができた。
「この辺りはβテストの時と変わりありませんね」
「だな。転生の祭壇を降りてすぐから始まるチュートリアルが懐かしい」
懐かしそうに目を細めるクリスに、釣られてミルも笑みを返した。
始めたばかりの初心者のころですら、このAAOでは一般人よりかなり高い身体能力が付加してあったため、普通に歩くくらいはVR初心者の二人でもできたが、走る飛ぶの基本操作に慣れるのにかなり時間を要したものだ。
「チュートリアルでダッシュして石に転ぶ、止まれずに木にぶつかる。ジャンプして木の枝に頭を強打。この辺りはみな通る道だな」
「あの配置には運営の悪意しか感じません」
古の人気ゲームを彷彿とさせる、見えないブロックくらい絶妙に計算されたいやらしい配置だった。
「まぁそれがあったから、最初のこいつらとの戦闘で戸惑わなくてもよかったんだが」
「ラビッポですか……こんなかわいい生き物を最初に倒すのもハードル高いのですけど」
辺りをかなりの数、ぽよんぽよんと飛び跳ねている兎……というよりも、毛玉に兎の顔と耳が付いただけで、足が見当たらないのにぽよんぽよんと飛び跳ねる謎生物を見つめるミル。
このゲームのマスコット的存在で、チュートリアルのミッションで5匹倒すように言われるノンアクティブモンスターである。
警戒心も全くなくプレイヤーが近づいてもモシャモシャと草を食べるだけで逃げもせず、攻撃されてもピーピー鳴くだけでろくに反撃も逃げもしないという、いくらビギナー用モンスターと言えど、生物というものに喧嘩を売っているような存在であった。
ゆえにこそ、初期装備で攻撃することを躊躇させ、殴ったら殴ったで反撃もしてこないので良心の呵責に苛まれながらHPを削り切る作業をしないといけない、無駄にリアルSAN値が削れる敵だ。
「これでダメージで傷がついたり、倒した後に死体が残ったりしたら、最初から脱落者続出だったでしょうね」
「いやいや、一応このゲーム全年齢向けなんだから、そんな倫理コードにひっかかるような表現あるわけないだろ」
「まぁそうなんですけど」
そんなとりとめのない事を話しながら道を歩いていると、かなり遠くに黒い影があることに気づくミル。
「あらあれは……【ニュービーキラー】さんじゃありませんの」
「あぁ【トラウマ犬】か」
ひどい二つ名で呼ばれる黒い影だが、もちろん正式な名前ではない。
このフィールドで一匹だけいるアクティブモンスターで、洗礼係ともいわれる、運営が用意した初心者に初デッドをプレゼントしてくれる小粋な教師【ゼブラウルフ】である。
今でこそ、Lv10程度の雑魚でしかないが、索敵範囲に入った瞬間に襲ってくるアクティブモンスターなので、当時はラビッポを狩っていた初心者が気づかずに索敵範囲に入ってしまい、そのまま殺されるケースが後を絶たなかった。
戦闘中に足音に振り向いたら、全長2m、体高1.3mの狼が牙を向いて襲ってくるのである。そのビジュアルだけで慣れない人間はトラウマになりかねない。ゆえにシマウマカラーなのにシマウマ犬ならぬ【トラウマ犬】。
「このまま行くと索敵範囲に引っかかるけど、どうする?」
「迂回するのも面倒ですし、このまま行きましょう、引っかかったら引っかかったです」
「そこまで急いでないし迂回しないか?戦闘する意味もないだろ」
「ここからアダムヘルまで歩いて30分くらいかかりますから早めに到着して、いったん離席したいです」
「なんでまた?」
「乙女の秘密です」
あぁトイレか。と納得するクリス。
中身が男と知っていても見た目のせいで多少気まずくなり、話題を変える。
「了解。しかし全然初心者がいないな。さすがに6年もたったゲームだと、どれだけ定番ゲームでも過疎って来るのかね」
「さすがにこの過疎っぷりは心配になりますね。種族が増えてスタート地点はここだけではないとはいえ……今度の大型アップデートでまた人気が出ればいいんですが。このままでは洗礼係さんも廃業の危機です」
そんなことを話しながら進むと、こちらに気づいたらしいゼブラウルフが歩く方向を変え走ってくる。
「お? 索敵範囲にはまだ随分あったと思うが……どうする、俺がやろうか?」
「盾役も回復薬も出番はありません。大人しく見学しておきなさいな」
「はいはい。補助魔法は?」
「あんな雑魚相手にいりませんわ」
そう言うと、立ち止まったクリスを置いて数歩前に出るミル。
数メートル手前で飛び上がり頭上から襲いかかってくるゼブラウルフに対して、インベントリからクイックアクションで愛剣の一本、神剣【ラングーン】を取り出すとすれ違いざまに首に一閃しすぐに収納する。
高いAGIとSTRから放たれる一撃は、神剣の美しい姿を認識すらさせず、ただ銀色の残像だけを残しゼブラウルフを両断した。
首に明らかに過剰な火力で致命傷を受けたゼブラウルフは、その瞬間光の粉となり、ドロップ品だけを残して消え去る……はずだった。
――― ドン! ドチャ
「え?」
「は?」
飛び掛かった勢いのまま、クリスの横を通り過ぎ、生々しい音を響かせながら地面に激突したゼブラウルフは、その衝撃で首と胴体を別れさせ、血をまき散らしながら数mほど転がり止まる。
その光景を呆然と目で追い、ビクビクと痙攣する死体を硬直したまま眺めて、たっぷり1分は経ってからようやくミルが起こった現象を理解する。
「な……んで……。死体が残っているの……?」
「……倫理コード仕事しろ」
理解できない現象に頭が働かないミルと、一周回って冗談を言うしかなくなるクリス。
徐々に広がる血だまりと鉄の匂いに、目の前の状況をやっと飲み下し、どうにか二人の思考回路が復活するのに、さらに1分はかかった。
「明らかに全年齢向けのゲームにはありえない表現なんだけど、なんでこんなことになっているのかしら?」
「倫理コード無視しまくりだな。これもバグの影響か?」
「バグとしても元からこういう処理をしていなければ、できない表現だと思いますが……」
「うーむ……。元から海外向けにこういうリアルな描写を用意しておいて、全年齢向けでは倫理コードに沿った表現に抑えているのかもしれない。海外製の成人指定の戦争ゲームでは、逆に全年齢向けにそういうマイルド処理をすることもあるみたいだし」
「……そうなの?」
困惑を深めるミルに、何とか強引にだが論理的な回答を見つけるクリス。
「もしかしたら、テスト用のクローズサーバーか何かに紛れ込んでしまったのかしら」
「あぁ、それなら最初が転生の祭壇だったのも頷けるし、テレポのメモリーが消えてたり使えないメニュー項目があるのも納得できるかな」
「……いったん落ちて再ログインしてみましょうか」
「そうだな。もしサーバーが元に戻れば、拠点に戻れるかもしれないし」
そう言い二人で頷くと、メニュー画面を開き、とうとう最大の理不尽を発見し絶叫する。
「ログアウト……できねぇじゃねぇか!!!」
「どーすんだよこれ!?」
完全にグレーアウトしたログアウトのシステムメニューを確認し、思わずロールプレイも忘れて怒鳴るミルとクリス。
「ログアウトできない! バグ報告もGMコールもダメ! チャットはオープンしか使えない! テレポもできない!」
「まじかよ……じゃぁなんだ? 俺ら外的要因でセーフティが働いて強制ログアウトするまでこのままってことか?」
「ありえない……」
この場合の外的要因というのは、停電、ネットワークの切断、地震などでVRマシンが一定以上の衝撃を感知する、連続作動上限の6時間の経過、極度の空腹や急病などで血糖値や血中酸素飽和度が下がった場合などさまざまあるが、健康体の二人には最後の項目は期待できず、その他の項目も動作上限時間以外は望み薄である。
連続作動上限時間にしてもリアル時間で6時間であるが、体感時間が16倍に引き伸ばされるVR空間の中では96時間となり、最大4日間もの間この訳の分からない状況を続けないといけないことになる。
予想の果てに絶望的な状況を理解し、不毛な時間を耐えるしかないことをあきらめ半分で覚悟する二人だったが、そんな予想をあざ笑うかのように、この『現実』はより過酷であることを、二人はまだ知らない。
皆さんの暖かい言葉が胸に染みます。
ありがてぇ……ありがてぇ……。
これからも頑張ります!