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あさりの味噌汁


 かちゃかちゃと、微かな食器の音だけがやけに大きく室内に響く。


 ジー。


 二人とも何となくよそよそしいまま始まった夕食は、案の定沈黙が支配していた。


 ジーー。


 夕食のメニューを見た瞬間微かに固まったクリスだが、それ以降はひたすら黙々と食べ続けている。


 ジーーー。


 ……視線が痛い。

 クリスの頬に一筋の汗が落ちる。

 穴が開くほど見つめられ、謎の緊張感から食事の味も分からない……などという事は無く、緊張も忘れるほど美味い。どの料理も、口に入れるたびに強制的に料理に意識がいってしまうほどの美味だった。

 そして緩んだ口元が、飲み込むと同時にミルの視線を思い出して再び引き締められる。それの繰り返し。顔面筋の筋トレ状態だ。こんな状態でも美味しいのだから、異常な美味っぷりである。

 

 立ち居振る舞いは普段道りにしながらも、頑なにミルの顔を見ようとしないクリスに対して、ミルの方はこれ幸いと食事中ずっとクリスをガン見していた。

 男にしては長い睫毛、鋭利な目元、整った柳眉、すっと通った鼻筋、現実ではありえない程左右対称な美貌。


「イケメン」


 ガタッ、とクリスの椅子が音を鳴らす。

 思わず帰ってから初めてミルの顔を見たクリスは、薄っすら頬を染めて自分を見するミルと目が合い、慌てて互いに視線を逸らした。


 唐突な誉め言葉に動揺するクリス。

 うっかり口から転がりでた感想に焦るミル。


 復帰はクリスの方が早かった。


 いや、コイツの言うイケメンって誉め言葉じゃないだろ、何動揺してんだ俺は、と気を取り直し改めてミルを見た。


「なぁ」

「ぴゃい!」


 不意に声を掛けられ、未だに焦っていたミルから変な声が漏れる。

 焦りと動揺に恥ずかしさが加わり、カーッと耳まで赤くなって下を向いた。


「……」


 そんなミルの尋常ならざる様子に、声を掛けたはいいが言葉が言葉が続かない。

 気まずさと謎の緊張感が場を支配し、動揺がぶり返したクリスは少し落ち着こうと手元にあった味噌汁を(すす)る。


「……うめぇ」

「―――!」

 

 思わず口から洩れた言葉に、ミルはガバリと音がするほどの勢いで首を上げ、そしてパァァァっと笑顔になった。

 クリスはその笑顔を、視界の正面に入れないようにチラみする。直視するとダメージがデカすぎる。

 もう何だよコイツ、ホント何なのコイツ。


「でしょ! 【調味料生成】のスキルで味噌が出せる事に気が付いて作ってみたんだ」

「べ、便利だな料理スキル。俺も取れば良かったか」

「たっつんは生産系、鍛冶と錬金持ってるじゃん。被らせる意味ないでしょ」

「そりゃまぁそうだな」


 まだいつも通りとは程遠いが会話が弾み、少し緩んだ緊張感にズズズと味噌汁を啜りながら、クリスはほっと息を吐いた。

 ちらりと薄目で前を見れば、ニコニコと嬉しそうなミルの顔。これまた破壊力が高いのですぐに目を逸らす。

 場を濁そうと再び味噌汁を啜ろうとしたが、すでに空になっている事に気付いた。


 さてもうそろそろ現実逃避も止めて話をするか、まずは何を話そうかね。やっぱ様子がおかしい事か? でもいきなり本題を聞いてまたさっきみたいな空気になるのも気まずいしなぁ。と悩んでいると、ミルはお椀を見つめるクリスを別の意味で捉えたようだ。


「お味噌汁、お代わりあるけどいる?」

「……あぁ、貰おうかな」


 そういう意味で見ていたわけではないのだが、実際に美味いのでもう一杯欲しくなったクリスはお椀をを差し出した。

 それを受け取り、お椀の上にかざした手から直接注がれるアサリの味噌汁。


「ってそういう入れ方なのかよ!?」

「いちいち鍋出すのめんどくさいじゃん。インベントリの中は時間経過しなくて暖かいままなのいいよね」

「そりゃそうかもしれんが、何かこう……情緒とか風情とかがだな」

「えー? 【調味料生成】スキルでも直接手から出るんだから気分の問題じゃない? ほらこんな風に」


 取り出した小皿に、手からうにうにと味噌を出して見せるミル。


「まて、ヴィジュアルに悪意を感じる。今から味噌汁を飲もうとしている人間の前で、何故その形(・・・)で出した」

「うん、こう……ごめんね?」

「欠片もごめんって思ってねぇだろ!?」


 クリスは目の前でとぐろ(・・・)を巻く味噌を速攻でインベントリに回収し、味噌汁を見下ろす。


 ……うん、まぁ分かっているのだ。

 ミルも空気を変えようと、ワザと馬鹿な事をやっているということを。

 クリスはわざとらしく溜息一つ吐き、クソみたいな話題から話を替えた。


「今日は貴族階級のレベリングだったんだよな。そっちはどんな感じだったんだ?」

「んー……普通だったよ?」


 何故か疑問形で答えるミルに、クリスは胡乱気に眉を上げる。


「普通ってどんなだよ。具体的に」

「取り合えずボコボコにした!」

「それは普通って言わねぇ!」


 すかさず突っ込む。

 いくら人見知りで偉い人に弱いといっても、こと戦闘に関して、権力者に忖度するようなミルではないと思っていたが、なんかやり過ぎてる感がひしひしと伝わって来て焦る。変に禍根を残してないだろうなと、心配になるクリス。

 しかしミルはそんなクリスの様子に気付かずに、何やら気分を害する事でも思い出したのか、ぷんすかと頬を膨らませた。


「だって開幕いきなりプロポーズしてきたんだよ!? 人妻口説くとか最低じゃん慈悲はない」

「よくやった。俺が傍に居たら頭パーン(ギース)までは許したのに」

「いや、リザがあるといっても頭パーン(ギース)はちょっと……」


 突然真顔になったクリスにむしろミルが引いた。

 それに気づき、咳払い一つ挟んでクリスは冷静であることに勤める。だが、後で間男共の名前はアリアリさんから聞き出そうと心に誓う。


 この時、“デコピンによる頭部の爆発飛散”の暗喩として用いられた某アダムヘルのBランク冒険者が、くしゃみをしたとかしなかったとか。

 ショッキングな映像だったので二人ともナチュラルに(たと)えを使っているが、一発で伝わっているのがそもそもおかしい。


「まぁ冗談はさておき、問題なくパワーレベリングは出来たんだよな」


 限りなくガチトーンだった事に、突っ込む人間はいなかった。


「うん。それは滞りなく。元々みんな結構レベル高かったけど、全員レベル300超えたよ。もうあと半日ぼこぼこにすれば、スタンピードにギリギリ耐えれるレベルになると思う」

「ふむ……聖王国は支配者層にレベル上げ推奨しているだけあって、比較的高レベルが多いとは聞いていたがやっぱそうなんだな。ただ、アルトやフランに比べると、レベルの上がりが遅いか」

「それはしょうがないよ、相手している分母が多くなれば一人に割ける時間も減るんだし」

「才能面の違いもあるだろうしなぁ」

「むしろ僕としては根性が無いのが気に入らない。たった四時間戦闘しただけでリタイアとか、効率狩り舐めてんの? その十倍は耐えれる基礎体力の向上から始めないと」

「基礎体力と書いて廃人力って読みそうだな。流石にこっちの人間にそれを求めるのは酷だろうよ。向こうですら、俺らの効率狩りについて来られるのなんて一部の廃人しかいなくて、結局ペア狩りに落ち着いたんだろ」


 「それに、こっちの人間は命がけなんだから」と続けるクリスに、ミルも神妙な顔になって頷いた。


「それはそうなんだけど……うん、そうだね。僕が間違ってたよ」

「まぁお前の気持ちも分か―――」

大暴走(スタンピード)で命かけるんだから、命の危険のないレベリングはこっち主体で頑張って貰わないとね!」

「え、いや……」

「足腰経たない程度で手を抜いてたら、彼らが大暴走(スタンピード)で死んじゃうかもしれないもんね。動かなくなってもピンボールやボーリングみたいなことは出来るんだし」


 “レベリングも命がけだからレベルが上がりにくい”という意味で言ったクリスに対して、“大暴走(スタンピード)で命を懸けるんだから、もっと厳しくレベリングしろ”と受け取ったミル。

 クリスの脳裏に、「お前らボウリングしようぜ! 最初の玉はお前だ!」と哀れな犠牲者をぶん投げ、見事にストライクを取るミルの姿が鮮明に浮かんだ。この場合、玉とピンどちらが幸せなんだろうか?


 想像して、クリスは苦笑する。

 流石のミルも、動けなくなった相手にそんな無体は行わないだろう。これも先ほどの冗談と同じで、場の空気を和ませるための物だ。おかげで微妙な空気が完全に吹き飛んだ。わざとらしく決意に満ちたような顔をしているが。ツッコミ待ちだろう。

 クリスはお望み道りツッコミを入れてやる。


「いやいや、動けなくなった相手にそんなことしたら普通に死んじまうだろ」

「……? ちゃんと手加減するよ? 上級治療(ハイネスヒール)も付けちゃう」


 ガチだった。


 きょとんとした顔で自分を見つめるミルに、限りない本気を感じたクリスの頬が引きつる。

 相方は、本気で相手の為を思って人間ピンボールや人間ボーリングやるつもりだ。その慈悲と思いやりにあふれた地獄絵図を想像し、クリスは咄嗟に止めるように言おうと口を開いた……が、結局言葉を発する事無く口は閉じられる。


 何というか、訓練を受ける相手には可哀そうだが、確かにここで手心を加えるのは相手の為にならない。

 掛かっているのは自分の命と、世界の命運である。天秤に乗るのは自分だけでなく、家族や友人などの近しい者達も含まれのだ。


 以前自分で言ったではないか。今のままの天人に頼った有様では、確実に詰むと。


 ならば、俺がするのは相棒を止める事ではなく、事故が起きないように忠告することくらいだろう。HPが減った相手をうっかりボーリングしたら普通に死んでしまうのだから。


「ちゃんと範囲回復敷くんだぞ」

「しっかり【聖域(サンクチュアリ)】するね!」


 クリスにはそれが、【三苦治癒有り(さんくちゆあり)】に聞こえた。

 新しい拷問魔法かな? 頑張れ兵士たち。





■◇■◇■◇■





 クリスは四杯目の味噌汁を啜る。


「美味しいのは分かるけど、飲み過ぎじゃない? 生活習慣病とか大丈夫?」


 心配顔のミルに、クリスは鼻を鳴らした。


「俺のステータスで塩分ごときに状態異常(バッドステータス)貰うわけないだろ、なったらなったで回復するわ。そういうわけでお代わり」

「こんなステータスの無駄遣い初めて見た」


 呆れながらも五杯目の味噌汁を注ぐミル、しかし頬が緩んでいるのを隠しきれていない。なんだかんだで言いながらも、やはりクリスが美味しそうに味噌汁を飲んでいるのが嬉しいのだ。


「明日は出陣式だが、ミルは準備できてるか?」


 明日はアルレッシオ聖王国の騎士団の出陣式だ。

 昨日の段階で、正式に【聖令】が発令され、大暴走(スタンピード)の情報と共に世界各国の上層部だけでなく民衆にも広く流布されていた。

 末端の村落まで情報が届くのにはもうしばらく掛かるだろうが、領主クラスの貴族には既に円卓会議が終わった段階で打診があったため、情報の伝達は速やかに行われている。

 これはグレア大司教と聖王アルバートの水面下での根回しによるところが大きい。

 ちなみに、その辺の偉い人同士の調整に、アリストはあまり関わっていない。アリアにかまけてアーシャとグランドマスターのベスターに丸投である。それでも、アリアに使う時間を割いて渋々ギルドに重役出勤し、きっちり定時上がりしながらも並みの人間の五人分は仕事をしているのだから、有能ではあるにはあるのだ。が、彼が本気になればそれこそ四人いるグランドマスター全員が動くよりよほど影響力があるので、ベスター的にはギルドで書類仕事より交渉の方をして欲しい。自分の横で物凄い勢いで書類片付けながら「新婚旅行はどこにしようか」と重要書類よりよほど真剣に旅行パンフレットを睨むアリストに、ベスターは溜息を吐いてから面倒な貴族への交渉に出かけた。


 当然のことながら、史上で初めて発令された【聖令】と【大暴走(スタンピード)】の情報は全世界に激震を起こした。

 ミルはずっと王宮に引きこもっているので知る由も無いが、今朝がた騎士団の詰め所に赴いたクリスは、その喧騒を経験している。まさに上を下への大騒ぎとは、ああいうのを言うのだろう。


 困惑、恐怖、興奮、疑念、不安、様々な感情が渦を巻き、首都リネージュの緊張感は加速度的に増加している。このままいけば、遠くない未来に決壊し、暴動が起こるだろう。


 そこで、出陣式だ。

 今集められる騎士団と従者による、大行進。

 動員される数は騎士五千、従騎士二万、兵士五万と聞いた。公式発表なので大分盛っているだろうが、それでもかなりの数である。それだけの数の精強なる騎士と兵士達が、首都のメインロードを半日かけて練り歩く。大暴走(スタンピード)に向けて、少しでも時間が惜しい今だが、だからこそ国民全員の鼓舞と一致団結を促すパフォーマンスが必要なのだ。勇壮な騎士と兵士を見れば、民衆も少しは落ち着くことだろう。


 ミルとクリスの出番は一番最後。


 聖王国外壁外縁に勢ぞろいした七万五千の勇士を、天より降臨した新しい天人が一瞬のうちに転移させる。

 民衆にとっても、騎士兵士達にとってもこれ以上ないパフォーマンスとなるだろう。


「うん。といっても、スキン用意するくらいだけど」

「俺はむしろスキン無しで、全身鎧とかの方が迫力あるかもなぁ」

「まぁたっつんはそのままでいいんじゃない? 僕は顔を隠すけど、たっつんまでフルフェイスヘルムで顔を隠したら、流石に問題あるでしょ」

「一人だけずるくね?」

「顔が知れたら気が休まる時間が無いじゃん。僕はプライバシーとネットリテラシーには気を使うタイプなんだよ。だてに長年ネカマやってないよ」

「俺にもプライバシーはあるんだが」

「ありがとうたっつん。僕の心の平穏の為に犠牲になってくれて」

「知ってるかミル。それは犠牲じゃなくて生贄って言うんだぜ」

「大丈夫だよたっつん。その生贄、ラスボスだから」

「生贄である事は否定しねぇんだな……まぁ別にいいけどよ」


 愚痴りつつ味噌汁を啜るクリス。

 口では悪態を吐きつつも、ミルに頼られているというのは悪い気分ではなかった。


 本日五杯目の味噌汁を飲み終わったクリスを、ミルが笑って見ている。

 そこに先ほどまでの、妙な緊張感は存在しない。本当に、いつも通りの空気が戻り、クリスは心の底からほっとした。


「美味しいでしょ。褒めていいよ」

「あぁ、悔しいけどホントに美味い」


 ドヤ顔決めるミルに、クリスは言葉通り若干悔しそうに顔を顰め、すぐに参ったとばかりに笑った。最近、精神が張り詰める事ばかりだったので、味噌汁が五臓六腑に染みわたり疲れを癒し心を解してくれているような気さえした。


 馬鹿なやり取りといつもの空気、そして味噌汁のリラックス効果で、緊張感の解けたクリスの口から思った事がそのまま出る。


「毎日でも飲みたいくらいだな」

「―――っ、つ、使った食器片づけるね!」


 何故か妙に機敏な動きで食器を片付け始めたミルに首を傾げ、改めて見ればいつもと違う服装にようやく気付いた。


「そういや今日は、何で浴衣じゃないんだ?」


 ミルの手から滑った食器が宙を舞う。しかし次の瞬間には、何事も無かったかのように大きさ順に重ねられてミルの手の中にあった。


「ちょ、ちょっとした気分転換かな」


 長めの思考速度加速ブレインアクセラレートから復帰してなお、動揺を抑えきれなかったミルは、「メイドさんに渡して来るね」と逃げるように部屋を出て行った。


「寝るにはまだ早いが、どーすっかね」

『なんかもう、妾からしたらヤる事は一つしかないように思うがのう』

「うお!? 居たのかタマモ」

『何気に酷いな父上! ずっと隣におったぞ!?』


 結局、この日も二人は別々に眠りにつき、アリアからプレゼントされた透け透けネグリジェが日の目を見る事は無かったという。







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