ご飯にする? お風呂にする? それとも
その日の夜、クリスはくたくただった。
今日の仕事は、前線基地への物資の輸送と本格的な工作部隊の移送。
第二外壁にある聖王国軍第六師団詰所(主に工作と建築、そして輜重を専門に行う師団)へ赴き、工兵三千名と護衛騎士五百名、そして大量の物資を輸送した。
広い訓練場の中に一糸乱れぬ隊列を組み並ぶ騎士と兵士、天高く積み上げられた建築物資にクリスは冷静な表情の下で度肝を抜かれた。よくもまぁこれだけの資材と人員をたった数日で用意したものだ。
そして、その全てを一度の効果範囲を拡大した転移陣で、昨日メモしたばかりの前線基地予定地へ輸送する。ちなみに、集められた者達は事前に話を聞いていたが、それでも足元が光ったと思った瞬間に一瞬で景色が変わり、草原の中にポツンと放り出されたことにクリス以上に度肝を抜かれ。鍛え抜かれた精鋭であるにもかかわらず隊列は乱れ、どよめきが蒼天の空に響いた。
そしてクリスは、全員の注目から逃げるようにアリアに言われた作業を開始する。
ドッカンドッカンと見た事も無い魔法で地面が圧縮されて均等にならされるのを見て、兵たちの驚愕は畏怖へと変わった。
一方、ものの三十分そこらで周囲約三キロ四方の地均しを終えたクリス。一回の広域化+多重詠唱した【超重圧壊】で約三百メートル四方が均されるので、借りた馬でひと駆けしながら魔法を連発するだけで今日の仕事が終わってしまい、すぐに手持ち無沙汰になった。あらためて有効範囲操作の補助魔法は修正案件だと思う。広げたぶん威力は落ちるのだが、多重詠唱で威力を高めれば問題ない。多重詠唱すると加速度的に消費MPも増えるが、VIT=INTの二極型のクリスが、神官系の補助魔法や魔術士系のパッシブMP回復スキルや精霊術士系のマナドレイン系スキルやらで更に強化されているこの世界では、四重詠唱で消費MPが32倍になってもMPが減る様子を見せないのだ。ゲーム時だったら流石にMP切れを起こしているだろうに、この世界の仕様がクリスの特化型ステータスと噛み合い過ぎていた。
改めて前線基地周囲を見ると、見渡す限りの草原。
一応、大陸を北から南に横断する大河二つが蛇行して近づき、ヘルモア平原の中では狭い区域ではあるが、それでも十数キロもある草原である。どう考えても防衛地点として優秀であるとは思えない。
暇だし帰ってミルの様子でも見てくるか、と拠点建築を始めた工兵を見ながら考える。
工兵たちはまず防衛拠点を囲む簡易柵から建築を始めている。
この辺りに居たモンスター達は、軒並みクリスの魔法で文字通り叩き潰されているが、それでも安全とは言い辛い外フィールドである。騎士団の精鋭五百名が周囲を警戒しているし、アリストから聞いたこの辺りのモンスターは一部のフィールドボスを除いて一五〇レベル前後、騎士団の精鋭が二五〇レベル弱なのでレベル的には問題ないだろうが、流石にレベルの低い工兵を裸で建築させるわけにもいかず、多少遅れるのを覚悟してでも簡易的な柵から作っているのだ。
そこでクリスは柵の建築を手伝った。
何となく昨日の事もあり、ミルの顔を見たいようなちょっと時間を空けたいような微妙な心持だったのだが……時間を置くことを選択する。本人は否定するだろうが、ヘタレたのである。
しかし逃避に走ったクリスの心情とは裏腹に、手伝った結果出来た物は柵とは言い難い高さ十メートル幅一メートルはある石の壁であった。
いつぞやの野営でミルと試した【石壁】の魔法である。
魔力を絞りに絞った石壁でも三メートルの高さになったのだ。手加減してもこの程度余裕である。
一時間ほどでこの作業も終わり、昼前にはまたもクリスは手持ち無沙汰となってしまった。兵たちの顔が畏怖から尊敬に変わる。
クリスが石壁を立てている間に工兵達はテントの建築を行い、取り合えず中央の司令部付近は体裁の整った前線基地で、昼食を取る。
メニューはベーコンと野菜がたくさん入ったコンソメスープとフランスパン、黒コショウの効いた何かの肉の串焼き、そしてワイン。
……物足りない。いや、前線基地の工事現場で食べる物としては上等だ。
この世界の兵站は、全員がインベントリを持っているので元の世界と比べても非常に優秀である。1ストック=本人のLv×1Kg。それが本人のレベル分だけストックできるので、レベル100の兵でも最大10トンを携帯できるし、インベントリ内は時間経過も無い。実際は装備や衣服などの生活用品も入れるし、1ストックには一種類しか入れられないのでかなり入る量は減るが、それでも十分すぎる容量がある。なので地球のレーションやマズイ缶詰のような物に頼らずとも、新鮮な野菜や肉を使うことが出来るこちらの世界の飯は野営でも美味い。
単純に、自分の舌が肥え過ぎたんだな。誰かのせいで。
出先で無性に嫁さんの料理が食いたくなるとか、どこの新婚だよ。呪いか。
クリスは首を振ってそれ以上考えるのを止めた。これ以上考えてもドツボに嵌るだけだ。
すでに首まで嵌っている事実には、必死に目を逸らした。
壁に囲まれた前線基地を見回す。確かに防御力は向上したが、これではダメだ。
相手は四〇〇レベル前後のモンスターの群れ。それを一匹でも後ろに流したら大惨事が起きる。
周辺の村落の住人は主要都市へ避難し、そこからまとめてクリスが首都へ輸送する予定だが、こういった避難では頑なに住居から動かない者も必ず出てくる。交通手段の発達していた元の世界ですらそうだったのだから、こちらの世界はもっとだろう。クリス的には逃げないのは自己責任なのだから、『何とか頑張れ』といった感想だが、ミルは悲しむかもしれない。あいつは根が良い奴だからなぁ。
石の外壁を見ながら、クリスはふと思い出した。それは元の世界の古代中国が北の蛮族から国を守るために作り上げた、万里の長城である。
全長六千キロを超える、宇宙空間から目視出来レベルの巨大建築物。魔法も近代重機もない時代に人の手で作られた世界最大の壁だ。
中国旅行で見たアレに比べれば、魔法で十数キロの石壁作るくらい大したことはないか。墨俣一夜城ならぬヘルモア一昼壁だ。
あと、まだ戻るのには時間が早い。もうちょっと時間を潰してからにしよう。と再びヘタレるクリス。
昼食後、クリスは気合を入れて動き出す。まずは拠点から西のネイシス川へ。
ははっ、ミルが驚くぐらいの物を作ってやるか!
馬にまたがり、デデドン!デデドン!と外壁用の石壁より更に大きな、高さ三十メートル幅五メートルもある石壁を手加減無しで連続でそそり立てながら、クリスは馬を駆けた。ミルの驚く顔を思い浮かべてちょっとハイになっている。微妙に金玉料理の後遺症が残っていたのかもしれない。
瞬く間に地形を変えながら走り去っていったクリスを見る兵たちの目が、尊敬から信仰に変わった。
後の世に【神人の壁】と呼ばれ、神話として長く語り継がれる巨璧群は、こうして嫁に合わせる顔が無い旦那がヘタレた結果、一日にして完成したのだった。
■◇■◇■◇■
その夜、ミルはそわそわしながらクリスの帰りを待っていた。
すでに日は暮れ、夕食にも少し遅い時間。入浴を終え、やる事も無いのでインベントリを整理しながら、クリスを待つ。
今日のミルの予定はアルレッシオ聖王国の主要貴族に対する顔見せと、大人数によるレベリングのシミュレートだった。
人見知りのミルとしてはかなり厳しいミッションだったのが、そこはアリアがしっかりとサポートしてくれて、ミルはほぼ喋る事なく微笑んでいるだけでよかったので事なきを得た……かのように思われた。
ミルさん、自己紹介後に六名から求婚を受ける。
青筋を立てるアリア、焦るアルバート王、ドン引きするミル。
おいこら聖王、そういうのは無しって言ったよなぁ? と、アリアに据わった目で睨みつけられたアルバートは、内心ガクブルしながら見た目は堂々とミルに丁寧に謝罪した後、出来ればボコボコにするくらいで許してやって欲しいと懇願した。
既婚者であるという事は事前に伝えてあったのだが、ミルの美貌に暴走する者が現れたのだ。
求婚したのは侯爵家と伯爵家と子爵家の若者だった。自分たちの行動で敬愛する王に頭を下げさせる事になった彼らは、顔を真っ青にして土下座せんばかりに謝罪したため、ミルは謝罪を受け入れる。
しかし、それとは別に全員イケメンだったので、イケメンでタラシとか生きてる価値ないよね。とミルの中で私刑が確定し、全員念入りにボコボコにされた。タラシ滅ぶべし、イケメンしばくべし。
結局、それのとばっちりを受ける形で一緒にボコボコにされた貴族達は、予定していた時間をかなり残して全員足腰立たなくなったので、速い時間にお開きになった。回復役は居たので体は大丈夫だったが、心が音を上げたのだ。しかしまぁ、プライドはへし折られたがレベルはちゃんと上がったので結果オーライである。
思いがけず空き時間が出来たミルは、クリスの胃袋を掴むべく厨房を借りて夕食を作った。
疲れて帰ってくるクリスの為に、精の付く物を丹精込めて作り上げる。あくまで疲れを取るための物なので他意はない。無いったら無い。
ちなみにメニューは、メインにウナギの蒲焼丼、牡蠣のバター炒め、彩野菜のバーニャカウダ(ニンニク増し)、小鉢に長いもとオクラの和え物、そしてアサリの味噌汁である。
これで元気いっぱいだね!(意味深)
お風呂でアリアに教えて貰った方法で入念に体を洗い、今日は浴衣でなくバスローブを着て仕事終わりの旦那様お出迎え準備完了である。
バスローブの下は、アリアに貰った可愛いデザインのすっけすけネグリジェだ。
帰ってきたクリスに、いきなりネグリジェで定番の「おかえりなさいアナタ、ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」をしようかとも考えたのだが、普通に恥ずかしい上にドン引きされたら死ぬので思いとどまりバスローブで隠した。脳筋にしては賢明である。
ちなみにこのネグリジェ、アリアが用意した物だ。
これをミルに着せてクリスに突撃させ、反応を楽しむ予定だったのだが、今日の話を聞いて普通に勝負服としてミルにプレゼントしたのだった。
勿論いきなり使用するとはアリアも思っていない。
アリアとの二者面談で、男が引く行動を結構していた事に気付いたミルは、下がった好感度を取り戻そうと焦っていた。ガンガン誘惑して好感度を取り戻し、あわよくば襲って貰うための武器として、勝負下着に手を出したのだった。
そして準備万端で待つ事数時間、食事はインベントリに入れているので冷める事は無いが、そろそろソワソワし疲れてきたところで、ノックの音と共に「ただいま」とクリスが帰ってきた。
よし言うぞ。さぁ言うぞ。
おかえりなさいアナタ、ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?
「お、おかえりなさぃ……」
無理でした。
“ただいま”に対して“おかえり”と言うだけで何故か胸が一杯になって言葉が続かず、台詞がフェードアウトするミル。
クリスは疲れからか、もじもじするミルの様子に気付くことも無く、外套を脱いでいる。
ミルが用意していた部屋着をおずおずと出すと、見もせずに「サンキュ」と受け取るクリス。
「あの、ご、ご飯食べりゅ?」
噛んだ。
あれ、何か何にもしてないのにめっちゃ恥ずかしい。
いつもみたいに喋れない。
「いや、ひとっ風呂浴びて汗流してからにするわ。ミルはもう食ったか?」
ミルに背を向けたまま尋ねるクリス。
ミルが「まだ」と答えると、クリスは「んじゃ一緒に食うか。メイドさんに声掛けとくわ」と部屋を出ようとする。
ミルは慌てて、噛まないように注意しながら言葉を紡いだ。
「あっ、今日は僕が作ったから……」
「お、マジか。……また変なモン入れてねぇだろうな」
「い、入れてないし!」
「ならいいけどよ」
変な物は間違いなく入っていないので嘘は言っていない。
食材がちょっと滋養強壮に良いのと、ミルの料理スキルで効果が数段アップしているだけだ。
腹減ってるから、ちゃちゃっと入って戻るわ。と言って出て行ったクリスを見送り、ミルはソファーに崩れ落ちた。
やばい。普通に出来ない。クリスがこっち見なかったから助かったけど、じっと見られたら絶対揶揄われるか心配される。ちゃんと、ちゃんとしないと。
やばい。ミルの顔が見れん。心配される前に普段通りに戻らないと……普段ってどんなだっけ?
お互いどこかぎこちないまま、壁を隔てて二人は同時にため息を吐いた。




