ミル、衝撃の事実に気付く―――?
朝方、普通より少し遅い時間に目が覚めた僕は、隣にクリスが戻っていない事に気付き溜息を吐いた。
「……さむ」
昨日今日と広いベッドを一人で使ったけれど、温かい上等なベッドのはずなのに肌寒さを感じる。テントの方が余程暖かだった。
……寂しい。
たっつんが自分を女性として扱うのは悪い気はしないけれど、それでこれまでのような気やすい関係がぎくしゃくするのは、嫌だ。
僕はリビングに続くドアを開けた。
案の定、ソファーの上で眠るたっつん。昨日今日と色々あって、僕を女として意識したせいで一緒に寝れなくなったのだろう。
近づいて寝顔を覗き込む。
長い睫毛、輝く金髪、整った目鼻立ち。現実のたっつんもイケメンだったけど、それとは比較も出来ないほどの美形な顔。作り物めいたそれは、微かに寝息を立てて生き物であることを主張している。
僕の肩から落ちた銀色の髪の毛が頬を撫でても、起きる気配もなく眠り続ける彼。
髪の毛が撫でた場所をなぞる様に、頬に指を伝わせてみる。
吐息を感じられるほどの距離で、じっと見つめる。
知っているようで、知らない顔。現実のたっつんの顔すら、こんなに間近で見たことはない。
たっつんとは違うけれど、現実のたっつんと同じくらい見慣れた顔。
元の世界ではないけれど、でもまごうこと無き現実な彼。
そして元の世界と全然違う、女の、僕。
僕はこみ上げるものが我慢できなくなり、自分の顔をさらに近づけた。
走った後にお風呂に入ったのであろう石鹸の香りが鼻をくすぐり、女性のようなきめ細やかで滑らかな肌を唇で感じて、そこでやっと自分が何をしているか認識して慌てて体を起こした。
「……何やってんだろ、僕」
彼の頬に触れた唇に指を這わして、溜息と一緒に呟きが漏れた。
たっつんにこの気持ちを隠すって、昨日決めたばかりじゃないか。
僕がたっつんを好きだなんてバレたら、ドン引きされる。そしたら今よりももっとぎくしゃくして、今まで通りの関係じゃ絶対にいられなくなる。親友どころか、友達ですらいられないかもしれない。
それだけは絶対に阻止しなくちゃ。
そんな考えとは裏腹な自分の大胆な行動と、キスした拍子にたっつんが起きるのではないかという恐怖に、僕の心臓は痛いくらいに脈打っている。
胸が苦しい。
好きなのに隠さなければいけないことに。思いを告げられないことに、心が悲鳴を上げている。
「むぅ……」
僕がこんなに切ない思いをしているのに、幸せそうに寝やがってこいつめ!
お前に引かれないために、僕はこんなに苦労してるんだぞ! 昨日だってあんなにフォロー(という名の煽り)をしたじゃないか! たっつんがもっとこうガーって来てくれたら僕だってなし崩し的に―――っ!?
そこで僕は、衝撃的に思い至る。思い至ってしまった。
あれ、僕がたっつんに迫るから、男が男にってドン引きされるわけで?
あれ、もしたっつんから僕に迫ってきたら、男が女に迫ってるわけで?
あれ、恥ずかしいけど、僕は別にたっつんならいいかなって思ってるわけで?
あれ、たっつんから迫られる分には。
問 題 な く ね ?
!!!
そうか、何で気付かなかったんだろ僕!(錯乱)
たっつんから迫ってくる分には普通に男女の関係じゃん!!(混乱)
なら、告白せずにたっつんを誘惑して襲ってもらえばいいじゃないか!(迷走)
じゃぁまぁ僕は何も我慢する事ないね!(開き直り)
たっつんが僕の魅力に負けるのはたっつんの責任だし!(責任転嫁)
別に一緒に寝てて襲われても僕は問題ないわけだし!(当たり屋的思考)
たっつんが僕の魅力に負けて襲ってきて、もし後で後悔するようなら慰めてあげよう! そして既成事実を盾にしてマウント取って、いい感じの関係に収まろう!(詐欺師の考え)
という事は、昨日の僕ってめちゃめちゃ惜しい事をしたのでは!?
……いや、でもやっぱ素面の状態で襲って欲しいよね。襲われるにしたって、ちゃんと大事にして欲しいし。初めては一生の想い出だし?
取り合えず、次からは常識的な範囲で精力の付きそうな料理を作ろう。理性が残る程度にギンギンになるやつ。
そして今は寝よう。実は僕もあれから色々もんもんと考えて寝不足気味なんだ。問題が解決した今なら何も悩まずにぐっすり寝れそう。
そうと決まれば添い寝だ。
レッツ既成事実。
朝チュン状況にたっつんがどんな顔をするか楽しみだぜ!
たっつんの上に覆いかぶさって、存分に筋肉と温もりを堪能しながら、僕は安らかな眠りに落ちていった。
■◇■◇■◇■
何かの物音に目が覚めると、腹の上にミルがいた。
「……馬鹿なのこいつ」
人が悶々と後悔と罪悪感に苛まれながら、空が白くなるまで走ってやっとこさ凶悪な支援効果を解除したというのに、朝から何をやってくれてんだ。
こっちとらコイツの信用を裏切らない為に、必死こいて下半身を制御して、間違いが起こらないように別々の場所で寝たというのに、この馬鹿は人の気も知らないで何でわざわざソファーまで来て寝こけてやがるのか。
親友の信頼が、こんなにしんどいと感じる日が来るとは思わなかったぞ。
腹の上にミルの体温を感じる。
男のそれとは違う、柔らかさを持ったそれを必死に意識から隔離して、チョップして起こそうと手を振り上げた。
振り上げて……安心しきって、涎を誑さんばかりに口を開け寝こけるだらしない相棒の表情が目に入り、振り上げた手を自分の額に当てて天を仰いだ。
……いかん。こんな顔ですら可愛く見える。
恐ろしくて自分の好感度の鑑定をする気にもならない。明らかに上がっているのが分かる。
流石に【精力増強:大】の支援効果が付いている時ほどではないが、それでも普段より二割増しでミルが可愛く見える、気がする。
「……はぁ、取り合えず起こすか」
このまま悶々としていても仕方がない。それに、今は大人しい下半身だがこのままでは長くは持たない気がする。
早く起こして離れねば。
その時になってようやく俺は、廊下側からずっと物音がしている事に気が付いた。
廊下側、つまり扉の方から先ほどから、トントンと扉を叩く音が続いている。というか普通にノックだ。
いかん、来客か。どうやら深夜まで走っていたせいで寝すぎてしまったらしい。
俺が慌ててミルを起こそうと頭に手を伸ばしたのと同時に、扉が開いた。
「アリア様、流石に勝手に入るのはっ……!」
「ちんたらしてたら昼になっちゃうよ。寝室で寝てたらここからのノックの音なんか聞こえないって、忙しいんだから中から声を掛けて―――」
「え」
「え」
「え」
『おぉ!』
顔を覗かせたアリアと、タマモを抱えた男装のフランシスカ、そして何故かいる冒険者ギルドの受付嬢アーシャがこちらを見て、扉の前で固まった。
「え゛」
今の俺の状況は、肘をついて半身を中途半端に起こし、ソファーに寝ながらミルを腹に抱いている状態。
衣服は浴衣なので寝起きでかなりはだけ、半裸に近い。
見ようによっては朝チュン。または朝からナニをナニしているように見えなくも……!?
「……ベッドでヤれ!」
「ヤってねぇ! つかまずは出ていけ!」
ミルを掛けていた毛布で包み、「え、なに!? また風呂敷包み!?」という悲鳴を無視して寝室に放り込んで、急いで普段着の神官服を装備する。
さて、何て言い訳するか。朝から頭が痛い。
■◇■◇■◇■
「昨日はお楽しみでしたね」
「絶対言うと思ったよ!」
にんまりと厭らしく笑うアリアに、渋面のクリスが突っ込む。クリスは着替えてすぐに皆を部屋に通したが、ミルは支度に時間が掛かっているのかまだ寝室から出て来ていない。
「ホントに何もなかったの? 明らかに朝チュンだったけど」
「何もねぇよ。ミルが寝ぼけてこっちに来ただけだ、夜は普通に別々に寝たわ」
「ふーん。君らホントに仲いいよね。―――元同性とは思えないよ」
後半はアーシャとフランシスカに聞こえないように、アリアはクリスに囁く。
クリスの眉間の皺が深くなった。
「俺は今でもそのつもりだっつうの」
「ほーーーん」
「この、全然信じてねぇな」
生返事を返すアリアに小さく舌打ちして、クリスはアーシャの方へ目を向けた。今会話しても追い詰められるだけなので戦略的撤退である。
「んでフランシスカはまぁ分かるとして、アーシャはどうしたんだ?」
「あれ、私の事は聞いてくれないのかい?」
「あんたは今日の打ち合わせだろうが」
「つれない反応だねぇ。まぁその通りなんだけど」
肩を竦めるアリアを一瞥し、すぐにアーシャに視線を戻したクリス。アリアの扱いがすっかり雑になっているが、やたらとこちらの関係を引っ掻き回そうとしているのが目に見えるので、対応の塩分もきつくなるというものだ。
そんな天人同士の、一見険悪そうな雰囲気に戦々恐々とするアーシャ。
「大丈夫ですアーシャさん、誰も本気で怒っていませんよ」
『じゃれているだけじゃな』
そんなアーシャに、フランシスカとタマモが声を掛けた。だいぶ天人のノリという物を理解して来たらしい。それに、アリアも本当にクリスが嫌がっているのなら、ちゃんと空気を読むだろうと信頼しているのだ。伊達に年の功を重ねていないだろうと。勿論口にはしない。
フランシスカもタマモも空気が読めるタイプの人間と精霊獣だった。タマモの場合は読んだうえでぶち壊すのだが。
冒険者ギルドの命を受け離宮を訪れたアーシャは、偶然出会ったアリア達に拉致気味に同行させられ、道すがらフランシスカがどうして男装なのかの経緯を聞いていた。こんな少女がこんな格好をしてまで頑張っているのに、年上の自分が動揺してはいけないと深呼吸して気持ちを持ち直す。
目の前の二人が生きる伝説といえど、クリスの方は数日前までただの優秀な冒険者と思って普通に接してきたのだ。多少無礼を働いても笑って許してくれるだけの度量を持っている事は知っている。
アリアの方も、侍女に案内されて訪れた離宮で親切にも案内を買って出てくれたのだ。伝説の人なので未だ緊張するが、アダムヘルの孤児院育ちで平受付嬢のアーシャ的には、グランドマスターのベスターですら雲の上の人なので、ベスターとアリアとの偉大さや尊さがたとえ月と太陽くらい離れていようとも、地上から見上げればあんまり大きさは変わらないのだった。つまりどっちも偉くてどっちも緊張する。
それならば、異性であるグランドマスターや聖王に比べれば、アリアは見た目は同年代の同性なだけまだ話しやすいというものだ。
これがもしアリアが復活した場面や、円卓会議に参加していれば、世界の首脳陣に首を垂れさせるアリアに畏怖の念も覚えただろうが、幸いというべきかどちらにも参加しておらず。またアリア教の熱心な信者でもない為、アリアへの恐れは少ない。そんなアーシャの態度は、アリア的にも結構好印象なので、アリアもアーシャを気に入っていた。
これよりアーシャは、能力の高さもあるが世界にたった三人の天人から気に入られた事も相まって、本人の望む望まざるに関わらず、どんどんと冒険者ギルドで頭角を現していく事になるのだった。
そんな事になるとは知らない現在のアーシャ。目下の懸念は、アルトが王太子であったという事を先日知った事だ。
唾つけとかなくてホントに良かった! と、胸を撫で下ろす。
イケメンで人当たりが良く、優秀で若くしてDランクになったアルトは、同年代という事もありアーシャを含む若い受付嬢達の攻略対象筆頭だった。まぁフランシスカと明らかに仲が進展しているのでアーシャは途中で諦めたが、強引に迫ったりしていたらと思うと冷や汗がでる。
同時に、これからは自分はこの人たちの専属になる。天人の周りにいる男の殆どは世界的に見ても重要人物ばかりなので、イケメンがいたとしても気軽に声を掛ける事も出来ない。婚期の危機である。同期の受付嬢達に後れを取るわけにはいかないのに!
アーシャの今の目標は、取り合えず天人様の担当から外れ、適当なイケメンで高ランクな冒険者と恋人になり、円満に寿退職して家庭に入る事だ。ただ純粋に平凡で幸せな家庭を築きたいと思っている。
普通に考えればかなり高望みの目標だが、アーシャも孤児から受付嬢に選ばれるくらい容姿能力共に恵まれているので、十分にありえた未来だっただろう。
だが現状ではそれも夢のまた夢となってしまった。
天人という規格外に触れて、自分の器という物を知ったアーシャの出世欲は、真っ白に燃え尽きて平凡を求めている。が、残念ながらその天人に気に入られたせいで、平凡とは程遠い婚期を逃しそうなエリートコースまっしぐらになっているのだから、皮肉なものだった。
「私の用事はご夫婦揃っての方が良いですので、ミルさんが来られてから話させて頂きます」
「そうか、まぁそろそろ来ると思うんだが」
内心の動揺を数秒で仕舞い込んで(見た目は)冷静に言うアーシャにクリスが答えた時、寝室に続く扉が開いた。
そして、出てきたミルを見た全員が刮目する。
特に何か変わっているという訳ではない。青と白を基調としたプリンセスラインの【女王エリザベスのドレス】も、輝くように光を反射させる銀髪も、幼さの中に美しさと可憐さを凝縮した息を飲む美貌も、何も変わっていない。
だが、何かが違う。
言葉にするのは難しいが、一枚皮が剥けたような、綻んでいた蕾が花開いたような、蛹が蝶に羽化したような……。
息を飲んで自分を見つめる一同に全く気付くことなく……いや、クリスだけを一途に見つめているから気付けるはずも無く、ミルはいつもの様にクリスの斜め一歩後ろに立った。
いつもならばそこで終わり。それ以上近づくと本当に寄り添うという状態となる一歩手前がミルの定位置。
しかし、今日は更に一歩進み、いつもよりもより近く、そのクリスの腕と腕が当たる程の距離に寄り添った。
「ミル―――」
何か近くね? と続けようとしたクリスの言葉が、顔を上げたミルを見た瞬間、消えた。
「なぁに、クリス」
何故ならば、ただ名前を呼ばれただけだというのに、あまりに嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに―――笑ったから。
ミルを見つめたまま硬直したクリスに、ミルは不思議そうに首をかしげ、まぁいいかと視線を外すと、少し考えてから恥ずかし気に更に身を寄せ、そっとクリスの裾を摘まんだ。
「……いや、君ら絶対昨日何かあったでしょ!?」
我に返ったアリアが叫び、これはただ事ではないぞとクリスに詰め寄る。
昨日のアレか!? アレのせいか!? と激しく動揺するクリス。しかし、昨日の失態は、二人の暗黙の了解ですでに清算済みのはず。
「いやねえよ! ねえよな!? だよなミル!?」
しかしあまりのミルの様子の違いに、実は何か見落としや認識の相違があったのではとクリスがミルに問いかける。
それに対してミルは、頬を染めて視線を彷徨わせ、クリスの裾を摘まんだまま後ろに身を隠しながら答えた。
「べ、別に、何も……ないよ?」
「これ絶対何かあったやつだ! クリス君、身に覚え無いはずないでしょ、ちゃんと責任取りなさい!」
「いやホントに何にもないんだって!」
「はあ!? これを見てどの口がそんな事言うの!? 最低、女の敵!」
「俺は無実だー!」
言い争うクリスとアリアを尻目に、フランシスカがポツリと漏らした。
「もう夫婦なんだし、これ以上ない程に責任取っているんじゃ?」
オシドリ夫婦がより仲睦まじくなったようにしか見えないフランシスカだった。




