神の恩恵
「アルバートが今日の夜に一緒に会食をしたいと言っているんだが、いいだろうか?」
クリスと合流したミルが復活したアリア、フランシスカ、アルト、タマモと一緒に昼食を取っていると、アリアがそう切り出した。昼食を持ってきた従者が言伝を持ってきたようだ。
場所はミル達が訓練をしていた場所。午後も彼女らは訓練を続ける予定なので、昼食もここで取ることにしていたらしく、すでにアリアが朝のうちに手配を済ませていた。
良く晴れた春の日差しの下、芝生の上でピクニック……というには、訓練でそこかしこに穴ボコやら焦げ跡やらで殺伐としているが。
クリスにしてみれば、ここしばらくミルの料理を食べていないので物足りないような、しかし食べれば好感度が上がりそうで怖いような、複雑な心境だった。
「国王と会食ねぇ。面子は俺とミルか? マナーとか知らんのだけど」
「他にはアリストと私も呼ばれているよ。向こうは国王と宰相のジークハルト、あと近衛騎士団長のブルクハルトに宮廷魔術師筆頭のカテリーナだ。マナーはそこまで気にしなくていいさ。ぶっちゃけマナーなんて時代で変わるから私も怪しいし」
「そんなもんか」
あぁ二百年近く経てばそりゃ文化も変わるだろうな、と肩をすくめるアリアを見ながらクリスも思う。
「私は偉い人との会食とか緊張するんで遠慮したいです。あと、フランとアルトは?」
バスケットに詰まった色とりどりの具材が挟まったサンドイッチの一つをクリスに渡しながら、ミルが言う。その際指先が微妙に触れ、お互いコンマ数秒硬直し、何事も無かった様に動き出す。どちらも咄嗟に思考速度加速をして一瞬で動揺を抑え込んだのに気づいたものはいなかった。無駄に高度なポーカーフェイスである。
ただお互い視線を合わせず、いつもより少し座る位置が遠いので、何かあったのかな? と思われる程度にはバレバレだった。
アリアはそんな二人の様子に一瞬面白そうに眼を細め、突っつかない方が面白くなりそうだとすぐに表情を改めて会話を続ける。こちらは普通に高度なポーカーフェイスだった。
「いやいやミルちゃん、立場的にはミルちゃんってその面子の中で頂点だよ? 今の聖王国って天人である私が作って子孫に譲った形だから、まんま王権神授なんだよね。この場合神って私だから同じ天人であるミルちゃんとクリス君は王より立場が上になるのさ。
それと、今回の会食は建前としてアルレッシオ聖王国のトップと天人との親睦を深める目的だから、王太子とはいえ未だ要職についていないアルトは場違いだし、身分的に村娘のままなフランちゃんはもっとだよね。
ただ、戦力的な意味では現状この世界屈指であるわけだし、大暴走でも活躍してもらう予定だから、私の推薦があれば同席できるけど、したい?」
問われたフランシスカはブンブンと全力で首を横に振り、アルトも苦笑してそれに習った。
フランシスカはそんな胃が痛くなりそうな場に居たくないし、アルトは父が呼ばなかったのなら自分の出る幕ではないのだろうと弁えたのだ。たまにはフランシスカと二人で食事もいいかな、とも思っている。
そんな二人の様子に、出来れば自分もエスケープしたいなぁと思いつつ、クリス一人に押し付けるのも可哀そうなので渋々とミルは頷いた。
「はぁそうなんですか、全然実感ありませんね。まぁ私は基本的に喋る気が無いので、クリスが出るのなら出てもいいですけど……」
ちらちらクリスを見るミル。クリスはそんな視線に気付きながらも、平静を装ってサンドイッチを口にする。うん、不味くは無いがあっさり過ぎる。もう少しマスタードが効いてる方が好みだな、と現実逃避気味に考えながら答えた。
アレは罠だ、見てはならない、主に好感度的な意味で。クリスも地味に必死である。
「むしろ俺たちに出ないって選択肢はあるのかそれ。会食と言う名の内々での作戦会議だろ」
「話が早くて助かるね。勿論断ってくれてもいいんだけど、その場合後々こちらの貴族との会食とかサロンへの招待とか面倒事が増えるよ。アリストに聞いた話だけど、この聖王国にも未だに派閥はあるみたいだしねぇ。
君たちを自分の派閥に引き込みたい貴族も多いだろうから、最初っから国王派として振舞っておいた方がそういう輩への牽制になる」
「面倒臭、それってほぼ選択肢無いじゃないか」
クリスは嫌そうに顔をしかめた。それにアリアは首を振る。
「この世界に根を張るつもりなら、色んな貴族に渡りをつけるのは悪いことじゃないさ。まぁそれをするには、君達ももっと貴族社会にどっぷりハマって、魑魅魍魎たる貴族共の詐謀偽計手練手管を知ってからじゃないと、いいように使われるだろうけどね。
……いやぁ。建国から黎明期までは一致団結してた元パーティーメンバーの貴族たちが、地位と権力を得て立場の違いやら個人的な趣味嗜好から次第に険悪になっていって、代替わりから派閥作って権力争いし始めたのをずっと見てたけど、軽く人間不信になるくらいには面倒臭いよマジで。お互い正義と信念があるから聖王と言えども口出しできなかったしねぇ。
まぁそんな訳だから、元の世界に帰る気なら、私の目が届く国王派に居るのがオススメかな」
実感が籠りまくっているアリアの言葉に、クリスの眉間の皺が深くなる。
自分はそんなの御免被ると、諸手を上げた。
「はいはい。国王様にはイエスと伝えてくれ」
「助かるよ」
クリスの言葉に満足げに頷くアリア。
そしてアリアは更に続けた。
「それとアルバートに敬称は不要だ。ミルちゃんもね。私達天人はこの世界の誰に対しても下手に出る必要はない。天人とはそういう立場にあるって事を自覚しておくれ」
「……それはそれで気を遣うな」
クリスはアダムヘルの治療院にて、自分を中心に周囲がだんだんと宗教染みてきたのを思い出し、アレの完成形であるアリアの言葉に渋面になった。
「君たちの言動ひとつで、誰かの首が飛びかねないからね」
何でもない事のようにサラリととんでもない事を言うアリア。その軽さが逆に、数十年の間為政者として君臨した者の諦観を感じ、クリスとミルは気圧されたように喉を鳴らした。
「……いきなりそんな事言われてもな」
「責任持てないですよ……」
不安そうに互いを見る二人。この時ばかりは気まずさよりも不安が勝った。
自分の軽はずみな行動で人が死ぬ、そんな事は未だ学生の身分である二人には荷が重すぎる。
アリアは、そんな二人に逆に安心していた。いきなり持たされた権力と責任に尊大な態度を取るような人間でなくて良かったと思う。だがまぁもう少し様子を見なければ、完全に信用する事は出来ない。個人的に二人の事は好きだが、二人が何かのきっかけでこの世界の敵になるのならば大暴走などよりも余程脅威なのだ。
常に最悪の状況に備える為政者としての考えが染みついているアリアにとって、個人的な好悪の感情よりも、最悪の状況になった時の命の数に天秤が傾くのは当然だった。
アリアはすんなりとそんな結論に達した自分の心に、内心で苦笑いした。自分の中の純粋さとか高潔さとかが、すっかり汚い大人の色に染まってしまったものだと。
そして自分の無くしたものを、まだ多く持っている二人には、どうかこのまま幸せになって貰いたいと純粋に思う。
「まぁ、その辺は私がうまい事してあげる。私は君たちの味方だから」
君たちがこの世界の味方である限りは、ね。とアリアは心の中だけで付け加える。
まぁこの二人は、根が善人っぽいから大丈夫だと思うけど、とも思っているのだが。
「……改めて言われると、僕たちすごい人と旅してたよね」
三人の会話を聞いていたアルトが、ぼそりと呟いた。
それに対して、ハイライトの消えた目でフランシスカが答える。
「アルトはまだ王族だからマシじゃない、私なんてただの村娘なんだけど」
最近ハイライトが迷子になりがちなフランシスカさん。
生まれは虐待され系孤児、次に魔法使いの弟子へランクアップし、師匠の死で不吉な小娘にランクダウン、聖王国立ソレイユ学院の入学資格を得て受験生にランクアップしたと思ったら、道中で襲われオークの苗床一歩手前の最低最悪のランクダウンを経て、今は神様のような存在と王族に囲まれて昼食を食べている空前絶後のランクアップだ。
ジェットコースターを超えて、積乱雲に突っ込んだ小型セスナのような激しい人生軌道。凡人なら加速度だけで昇天するレベル。オリハルコンメンタルのフランシスカだからこそ精神がもっていると言える、かもしれない。
「そのただの村娘が、ミルちゃんとの模擬戦でここまで強くなれるんだからねぇ」
そんなフランシスカを見ながら、しみじみと言うアリア。
アリアにとっては、彼女の存在が世界のパワーレベリングなどという荒唐無稽なクリスの案を受け入れた一番の要因といって良い。
元々ある程度のレベルがあったアルトと違い、まごうこと無き一般人だった彼女が居なければ、いくら天人の発言とはいえ、円卓会議であれほどすんなりとクリスの案が通ることは無かっただろう。
伝説の初代聖王に見つめられた村娘はとても居心地が悪そうだった。多少慣れたとはいえ、未だに自分がここにいるのが場違い過ぎてちょっとしたことでビクビクしてしまう。
男性用の軍服の上から、“手首”をさすって心を落ち着けるフランシスカ。
「あー、それなんだがな。多分これだけ早くレベルが上がってるのはフランとアルトだからってのもあると思うぞ」
「え、どういうことだい?」
不穏な発言をするクリスに、全員の視線が集まる。
アリアとしては、大暴走対策のパワーレベリングの根底が覆る話であるから、聞き捨てならない発言だった。
クリスは二個目のサンドイッチをミルから受け取ると答えた。
「アダムヘルから移動中に、アルトとフランと同じように訓練した三人組の冒険者がいるんだが、そいつらのレベルは300後半止まりだっんだ。
その時点でのアルトが420くらいでフランシスカが410ちょい。アリアリさんは知ってるだろうが400超えると必要経験値の桁が変わることを考えると、明らかに上がり幅が違うだろ。おそらくこの二人が特別なんだろうな」
言われた二人はキョトンとした。
強くなっている実感はあったが、数値としてレベルが見えない二人にはそこまで差が出来ていることに気が付いていなかったのだ。
「んー……そうなのかい? 個人差があるのかねぇ。強くなってる実感あったけど、実は私もそんなにレベル上がってなかったり?」
「いや、順調に上がってるぞ。今レベル458だから30以上上がってる。朝から4時間程度でそれなら、今日一日やれば400後半になるんじゃないか。他の冒険者もアルトとフランよりは上がりが遅いってだけであと数時間も模擬戦すれば400に届いてただろうしな」
普通の冒険者がトータル数時間でレベル400台に到達できるのならばそんなに問題ないかな。とほっとするアリア。自分のレベルも順調に上がっていて一安心だ。
上級鑑定でアリアのレベルを確認したクリスは、ついでアルトとフランシスカのレベルも確認する。
アルトが494、フランシスカが487。この二人は完全に人類最強戦力だ。アリアよりレベルの伸びがいいのはやはり【神の恩恵】の効果だろうか。
それと、フランシスカの職業がいつの間にか【賢者】になっており、【神の恩恵】の【賢者の卵】が【賢者】に代わっていた。何かしらの要因でステータスの更新が起こったようだ。レベルか、何かしらの実績かは分からないが。
改めて見てみればアルトの【勇者の卵】も【勇者】に代わっていた。これは失恋ショックで覚醒した時だろう。
失恋で覚醒する勇者というのも情けない話ではあるが、アルトらしいといえばアルトらしい。
現在のフランシスカとアルトの【神の恩恵】は。
フランシスカ:【魔導の申子】【賢者】【天賦の才】
アルフレット:【剣の申子】【勇者】【導きの主】
となっていた。
「おおう。こっちでは400超えてから1レベル上げるのに年単位掛かってたのに、君たちすごい経験値効率だねぇ。魔王戦の時に君たちが居ればって思うよ……まぁ言っても仕方ないんだけどね」
過去を思って視線を落とすアリア。青色の瞳が水面のように揺れる。
そんなアリアに、クリスは肩をすくめるにとどめた。
彼女自身答えが欲しくて言った事ではないだろう。それは助けられなかった者達への懺悔であり、決して叶う事のない妄執だ。
彼女の後悔や葛藤や苦悩を知らない自分が、どうして軽々しく声を掛けられようか。
クリスは沈んだ空気を紛らわせるように、手元のサンドイッチに噛り付いた。
「ん?」
味に違和感。というか、先ほどと同じ内容のサンドイッチなのに、マスタードの効いたクリス好みの味付けに変わっていた。
思わずサンドイッチを手渡してきたミルを見ると、“してやったり”とばかりの笑みを返された。
味が好みでない事を表情には出していないつもりだったが、相棒には筒抜けだったらしい。クリスは嬉しいような恥ずかしいような照れくさいような複雑な気分で、ミルによる魔改造サンドイッチを見る。
止めろよそういうの、好感度上がっちまうだろ。と思うが味の誘惑に勝てず、チラリと自分の好感度を見て上がってない事を確認。
よぅしセーフ! このくらいならまだ大丈夫なんだな、と安心してサンドイッチの咀嚼を続行した。
『まだ大丈夫はもう危ない』という格言を彼は知らない。
一方、いたずら(?)が成功したミルは嬉しくてたまらない。本人はドヤ顔のつもりだが溢れる嬉しさがダダ漏れで、もはやただの笑顔だった。
クリスがサンドイッチを食べる姿をジーっと見つめ、食べ終わったらすかさず次を渡して、満足げなクリスを確認し“ニヘら~”とするミル。傍から見たら甲斐甲斐しく夫の世話を焼く妻以外の何物でもない。
場の空気を全く読まずにイチャイチャし始めた(ようにしか見えない)二人に、沈んだ空気が霧散する。
「……人がちょっと落ち込んでる横で桃色空間展開しないでくれる? いやまぁ私も変な空気にして悪かったと思うけどさぁ。あとアルト、そんな羨ましそうな顔してもミルちゃんは構ってくれないぞ。羨ましいならフランに“アーン”でもしてもらったら?」
「っ!? い、いえ僕は別に羨ましそうなになどしていませんよ!」
『母上、妾にも母上の味付けしたサンドイッチをくりゃれ』
「ん、いいよ。はい、タマモ」
慌てるアルトで場の雰囲気が完全に元に戻った。困ったときのアルト弄り、アリアもアルトの扱い方が分かってきている。
「んで、クリスはこの二人のレベルが上がりやすい原因に何か心当たりない? ステータスに成長+みたいなのがあるとか」
「ごほん! ……あー、一応あるな」
桃色空間と言われ気まずげに咳払いし、ミルから受け取ったお茶をひと飲みして返して、クリスは答えた。反論しないあたり自覚はあったらしい。
逆にミルはクリスに夢中で話自体を全く聞いてなく、頭に『?』を浮かべてクリスから受け取ったお茶を自分も飲もうとし、寸前で固まって……やっぱり飲んだ。
ほのかに頬を染め口元をにまにまと歪めるミルに周囲が生温い視線を向ける中、クリスだけは気付かずに真剣な顔で【神の恩恵】について三人に話したのだった。




